●4年目の命日に

節子は、テレビでのスポーツ観戦が好きだった。特に60歳を過ぎてからだ。
私が小さい頃、節子が熱心にテレビを観ていた記憶はない。テレビ局勤務だったくせに、家でテレビをつけるのが嫌いだった。「テレビの音ががちゃがちゃするのはうるさい」とかなんとか言って。

1981年頃だったろうか。節子が突然、夜中のテレビ番組をまさにかじりついて見るようになった。それはテレビ朝日の「トゥナイト」という夜の情報番組(こんな括りで合っているだろか)で、その頃から、父・総一朗がご意見番というか、例えば少し前までの「報道ステーション」で意見をいっていた星浩さんのような立場で、登場し始めたのだった。と思う。勿論、二人が結婚するずっと前だ。ついでに言うと、その頃の私は、総一朗の存在には全く気がついておらず、母があんなに熱心にテレビ見てるなんて珍しいなーくらいにしか思っていなかったのだ。

その後、1990年に節子は総一朗と結婚し、基本的に自分のやりたい事を後回しにして、全てを総一朗のためのサイクルで生きることを自ら選んだ。その頃から、節子はテレビをよく観るようになった。自分の時間を確保することがどんどん難しくなり、ちょっと父が原稿を書きに仕事場に行っている最中(それでもいつ内容の相談や資料のありかなど、父から連絡が入るかはわからない)に、テレビを観ていた。たぶん、節子が自分で何か始めてしまっては、そっちに集中してしまって、父の要望にこたえられないからだったのだと思う。

なかでも一番熱心に観ていたのは、女子マラソンだった。

テレビで中継する大きなマラソン大会は大抵、日曜日で、総一朗のリキ入れ毎週生番組「サンプロ」の時間に微妙にかぶったりかぶらなかったり。
節子は「サンプロ」のときはいつも(「朝生」の時も)テレビのど真ん前に食卓の椅子を一脚持ってきて、じっと姿勢よく膝を揃えて座って見ていた。誰の一言も聞き漏らすまい、見逃すまいと。まるで総一朗のすぐそばで、檄を飛ばしたり指示を出したりするセコンドのように。ぴったり寄り添っているかのように。「サンプロ」の時間が終わると、すぐその後に、どこかのチャンネルでマラソン(特に女子の)をやっていると、そのまま定位置にい座り続けて見ていた。本番を終えて打ち合わせも終えて父が家に帰ってきても、まだそのままの姿勢で見てたりして。いつもなら、有無をいわさず、テレビがついてたら例えこっちの人が見てても何も聞きもせんと、ぱちっと消してしまうような総一朗が節子のテレビへの食いつき加減を見て「何見てんの?」と言わんばかりにテレビを覗き込むのがいつも何だかおかしかった。マラソン大会が日曜日にあるたびにそんな様だった。それで、総一朗も巻き込んで、一緒に観戦。

節子があっちの世に引っ越していったのは、丁度前のアテネオリンピック開会の日だったと後から知った。2004年8月13日。節子は北島康介の「チョー気持ち良い」を知らない。テレビでマラソンを見ると必ず、いつも節子が姿勢よく見ていた様を思い出す。もしかしたら、意識の中で、ランナーと一緒に走ってたのかなー。なんて、この8月で丸4年目の命日をむかえた後の、感傷かな。「そんなセンチメンタルじゃないわよ!」と、また節子に怒られそうだけれども。

追伸:前回の続きは次回に。


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女と自然
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「女」をしょいこむ、ということ。
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母親の恋
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我が母ストーリー第28回 幸せについて
[2008/01/07]
江川綾子から高橋フミコさんへ
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我が母ストーリー第27回 なぜ「父」と呼ぶか2
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我が母ストーリー第26回 なぜ「父」なのか。
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