●はじめに

 お初にお目にかかります。えがわあやこ、と申します。今回からしばらくこちらの場所にお邪魔させていただき、母・田原節子を語らせていただく事となりました。

 さて節子です。このラブピースクラブで、北原みのりさんが何度か取り上げて下さったので、ご存知の方もいらっしゃるでしょうか。その昔、1970年代はウーマンリブの精神的支柱(節子の夫である田原総一朗・談)とやらの村上節子として、また後には田原総一朗の女房(結婚は89年です)・兼監督の役割、そして乳がん患者兼乳がんご意見番(いろいろ兼ねてますね)・田原節子として、知る人ぞ知るところの人となりまして、それが田原節子。(ついでに言えば旧々姓は古賀です) 私の母なのであります。

 母は2004年8月13日に67歳で逝去しました。ずっと母の発病以来6年近くの間、母にべったりとくっついてサポートしてきた私は。いや、自分が本当に迷い、壁にぶち当たった時は母に相談して、道を指し示してもらっていた私は。

 母が目の前からいなくなって自分の立ち位置を見失い、しばらくは燃え尽きていました。いざという時そうはならないように気をつけようと、自分の時間も一生懸命充実させてきたつもりだったのに、やはり燃え尽きてもうた。39歳(くしくも母が裁判を起こした時と同じ年齢)で、ようやく、これからはどんなに困り果てても自分でしっかりと応えを見つけていかなければならない、かなり遅まきながらの精神的自立を求められる状況となりました。手探りの自立です。

 母の声を聞かなくなってもうすぐ2年になります。2年も。信じられないですけどね。お腹の中にいた時から聞いていた、あの弾力のある、元アナウンサーだけあって割と美しく、そして少しも揺るぎの無い声を_亡くなる数ヶ月前からは体力の低下から声はどんどんハスキーになっていき張りもなくなっていったのですが_。あの怒りんぼの女王様から、もう2年近くも怒られてもいないなんて。

 今、怒りんぼ、と書きましたが、母という人は、何でも手当たり次第に読みたがり、めいっぱい知りたがり、心から出会いを喜び、不条理に対してはとことん怒りまくる。そんなよく笑い、よく怒る、生命力の塊のような面白い人でした。

 テレビ局のアナウンサー16年目にして「容色が衰えた」と閑職への異動を命じた会社に(父と母の共著『私たちの愛』(講談社)の中の文章によれば、会社ではそれまで母がウーマンリブに関わっていた事がもともと問題になっていたようです)おこした裁判で勝利、CM制作部に移りCMプロデューサーとして活躍。と娘は信じてる。80年代当時の母の「覚せい剤やめますか それとも人間やめますか」のコピーは結構、有名でした。よね。

 その後50歳で早期退職、田原事務所に積極的に関わるようになり、やがて父・総一朗と結婚。この頃、体調を崩していた父を危なっかしくて見ていられなくなったらしいです。 

 母の父に関する仕事は多岐に渡っています。
 例えば、父の原稿のチェック。父は原稿を書き終わると編集者よりも先に母に見せて、OKだったり駄目だしだったりをくらっていました。
 番組のモニター。父が出演する生番組は母は必ずリアルタイムでチェックし、本番が終わるとすぐ「どうだった?」と即電話で聞いてくる父に対し「面白かった」にしても「つまらなかった」にしても、どれどれどうだったから面白かった、つまらなかったとはっきり伝えるのです。何日も準備を続けて、長時間の本番をやり遂げて、いきなり「つまらなかった」と言われた時の父の心情を思うと気の毒極まりないものがありますが、はっきり言わなければ、「面白かった」時の信憑性もありません。
 SPの役割もしていました。地方の講演などに行く際は必ず二人で出かけて、主催者の方との挨拶など社交係もし、母が父を身体をはって守っていたそうです。因みに荷物も以前は母が持って歩いていました。これは亭主関白だからではなく、皆が父の事をペンより重いモノは持てない人だと信じていたからなのです。
 後日、癌が進んで母が車椅子生活になった時に、率先して車椅子を押したり、車椅子をたたんで運んだりしたのが他でもない父だったので、そんな力持ちだったのか。と母も、父の秘書をしている園子(母の実妹)も事務所皆で驚きました。

 今回、北原みのりさんから「節子さんの事を書いてみませんか」と連載のお話をいただいたのを口実に、個人的にきちんと母と向き合おう、と思っております。超がつくマザコンの私に母の事をまたじっくりと見つめ直す時間をいただいてラッキー。私の気持ちの整理もつけられるかもしれないと。
いや…カッコつけましたが整理なんて別に本当はつけるつもりもないんですけどね。


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