●最後のテレビ出演

この原稿を打ってる今(7月11日)、そろそろ東京はお盆だから、という訳ではありませんが…ちょっとセンチメンタルです。

昨年、広島のがん患者会「びわの葉の会」という所の代表・松田勇さんにお声をかけていただき、なんとこの私が講演(らしきもの)をしました。一応、無事に終わりましたが。それまで人前で話した事など、学校の読書感想文を読んだ時くらいだった私が。(この後、人前でお話をしたのは一度だけ。こないだの4月の「おっぱいまつり」でした)勿論、松田さんは本来は母・節子、もしくは父・総一朗に来てもらいたかった訳ですが、日にちも合わず、それなら、と何故か私に話が来たのです。そう来るかっ。
いやーお腹に悪かったー。本当に緊張って、腹に来ますね。

松田さんは、海竜社から刊行した『がんだから上手に生きる』を読んで下さり、あと2004年の7月、亡くなるひと月前に節子が生出演した、NHK「生活ほっとモーニング」を見て下さり、非常に母をリスペクトして下さっていたのです。

当日、私がマイクの前に立つ前にそのNHKの時のビデオが流されました。大画面にまさに2004年7月の節子が映し出されました。亡くなる一ヶ月前の姿です。もう声も絶えだえにしか出ない、腰も立ててられない(クッションを沢山使って腰を立たせてました)状態で。でも約束した仕事なのだから。そして自分がメッセージを発信出来るもう最後の機会だから…とも、もしかしたら思っていたかもしれません。 最悪、ドタキャン或いは途中退席でも他にもゲストのがん患者の方はいらしてる訳で、番組にもんのすごい迷惑がかかる訳でもない。行けるとこまで行く。特に病気になってからの母の姿勢はこうでした。
行けるとこまで行く。どこまで行けるか―。

生放送で1時間半。
もう無茶。無茶苦茶。主治医の中村清吾先生だって、後からのどこかのインタビューで「テレビの生放送なんてとても無理だけど、田原さんは目標があった方が…」なんて答えてらっしゃる。先生あの時、生放送に行く前、無理なんておっしゃいました〜? でも確かに帰ってきた後、疲れてはいても、母は「やり遂げた」いい顔をしてましたけど。

スタジオに着く前、入院していた病院からストレッチャーでの移動中、体を真横に固定された状態で、ただ一人付き添っていた私に「もらっていた台本読ませて」と、目の前に広げさせ、台本に目を通すその顔は紛れもない、プロの熱気を帯びて来ていました。

番組の司会者のお二人(お名前を失念してしまいましたが)、同席されたがん患者の佐藤均さん、松村尚美さんも(残念ながらお二人とも昨年でしたかお亡くなりになってしまいました。この日はお二人ともとてもお元気そうで、羨ましいような気持ちもしたのですが)、母の様子に気を配って下さり、母に要所要所で話をふって下さったり、母が何か言いたそうにしていた時は、きちんと最後まで言わせて下さったり。
あの時あの場だったからこそ成立した母の最後のテレビ出演でした。
「敗北(治療の手がなくなると、医師が敗北感を味わうというとある医師の言葉に対して)なんて言われると殴られたようで希望がなくなっちゃう。がん患者はちょっとでも希望を持てる何かが欲しい。どんなふうになっても、どんな細い道でも何か方法がある。一つは残されている。ということを説明してくれる医者がいてほしい」

「医者は40代で英語が出来る人がいい」とも言ってました。気力体力そして経験もまだ勉強する意欲に溢れていて、外国の旬な医学情報がすぐ捕れる人がいい、という事なのです。これは母が口にした途端、なかなかに場が固まりました。(VTRで長らく医者をやっていそうな人も登場しましたし)
後日お見舞いに来てくださった乳がん情報ネットワークの久保誠子さんにその時の発言の事を「言ってやったわ」といたずらっ子のように笑ってみせてました。


あれ?
センチメンタルになるはずだったのに。
センチメンタルになるはずだったのに。
節子の事を思い返していくと、センチメンタルというより結局、またひとつ強いものをもらってる。
生きていかにゃあ、よっしゃいかにゃあ、という気分になってる。あの弾力とか存在感の強さがまざまざと浮かんできて。
この世に生きててもあちらに行っても、やっぱり不思議な人です。

(文中に出てきた「どこまで行けるか」は少し前にナイキだったかどこかのスポーツブランドでのCMコピー。気に入っていたもので、パクりました。いろんなスポーツや国のプレーヤーがそれぞれプレイしている所がモチーフになっていました)


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