私の誕生日は1964年8月18日。午後10時30分。
だんだん、遥か彼方の昔になっていっておりますが、私の身分証明の一助を担う大切な誕生日であります。
母・節子は離れて暮らすようになってからも、誕生日には必ず電話をくれ(今はさすがにくれませんが)、それでいてそれが昼間だったりすると「お誕生日おめでとう。でもまだね。夜10時半にならないと本当のお誕生日じゃないわ」と、毎年必ずこれを言うのです。おかげで自分でもそんな気がしてきて、10時半にならないとなんとなく新しい年齢として釈然としないというか....。
んな、生まれて何十年もたってれば数時間の差など、ほんとはねえ....。
この10時半というのが母が「産んだ!」と思って自分ですぐ壁の時計を見て確認したとかで、この事を話すときまた得意げなんですわね。これが。
さて、私にはもう一つ、誕生にまつわる記念日があります。といっても私だけにある訳じゃない、誰しもあるものだと思いますが、あまりこの日!と知らない場合が多いのではないでしょうか。
1963年11月15日。これが私の実父と母がSEXをし、私が生まれるきっかけとなった日であるらしいのです。私はしこまれ記念日、などとあまり美しくない名前で呼んでおりますが。わかりやすいでしょ?
これも私がだいぶ大人になってから、母が自分で当時つけていた帳面を出し、見せてくれたのですが、事の始まりの11月15日から日にちが計算してあって、産婦人科の医者が示した予定日は8月14日だったのが、母には8月18日(私の誕生日ですね)に生まれる、とわかっていたのだとか(アホな私はその計算自体を忘れてしまいましたが)。SEXをしている時から子供を孕む、という事も予感というかわかっていたそうで、
「生むんだ、この子は生むんだ」と思い続けていたそうです。
これも直接聞いたのではなく、母の原稿で読んだものです。原稿を読むのって、まるで日記を読むような気分もあり、でもその時母が一番発信したい事である訳で面白いです。
母はとにかく自分の体の声にとても敏感で、排卵の音も聞こえたそうです。
(ずっと一貫して自分の体の声に敏感だった母が、ある一定の時期、自分の身体や心の声に耳を傾ける事を後回しにした生活をして、癌を発症し、進行させてしまったことは、本当にめちゃくちゃに悔しかったでしょうなあ)
そんな母のなせる技です。
同じ衝動が、また後年、あらわれたらしいのですが、それは意志で押し殺して終わったのだとか。では生まれる事のできた私の場合はなんだったのか。当時母の基本的スタンスとして、まだ子供を生む予定はなかったらしいのです。その母に生む衝動を与えたのは何か。母の原稿曰くそれは「生まれる子の意志」だそうです。ってまるで他人事。だって私ゃ覚えてないですって。でも「生きたい!」とか「食べたい!」とか「大好き!」って単純なプラスの意志は結構強い方だという自負はあります。根拠の無い自負。(節子の子ですから)
「生まれたい!」って強く思ったのかな。ずっと昔の11月15日。そして「子供」はもしかして皆、そう思って宿るんですかねえ。
唐突ですがひとつ、ここで母の文章を載せさせていただきます。
女として母のこのメッセージ、いろんな女の人達の目に触れて欲しいので、脈絡ないようですが、ここに載せます。(少子化云々、という意味で載せるんじゃありません。念の為)
母が村上節子(当時の本名です。原稿を書く時わざわざ日本テレビアナウンサー、と肩書きを入れるのも忘れませんでしたね)として、1972年に発表した「HOW TO CHUZETSU」の一部です。
"今の生まない選択とは、すべて子殺しであり(ああこの主張はカトリックと同じになるね!)、生きることとは子を殺すことで生きのびる自分を、ある子を殺しある子を生む女を、みずからみつめ続けることなのではないだろうか。(中略)
私は女が生みたいだけ生める世の中に憧れる。女が生まぬのは、「男」を拒否し、世の中を拒否する意志、だから生む算段にこそ、生まない意志は活かされるべきなのだ。生まないといいはるのは生む日のためだ。女は生むことを忘れてはならない。生むことに価値があるという意味ではない。生むことの権利があるといっているのでもない。生むこと自体は生理でしなかい。人間の女のすべきことは生む欲望をもつことだ。生まれる価値と生まれる権利のために。命の管理を神や他人にまかせておけるものか!「生まれることと生きることは同じことなのでしょう?」女よ、冷静に子殺しをし、衝動的に子を生もうよ!"
生命学者の森岡正博氏が「ウーマン・リブと生命倫理」と題した論文をHP上に載せています。↓
http://www.kinokopress.com/lifejp1999/woman01.htm
母の所にも秋山洋子さんからだったと思いますがこの文章が載った本が送られてきて、母自身も読みましたが、「第4章 性と生殖に関する三つの主張」の終盤あたりにこの母の主張が登場します。
私自身は、一度も妊娠した事がありません。やはり妊娠しづらい身体、といえるのでしょう。若い頃の無茶(といっても冷房に思い切りあたりながら長時間の読書、とかですが。あーツマラナイ)が悔やまれますが、なるようになるか、という心境でもあります。
だから子生みも子殺し(今時多い、事件性のあるものとは違うのです)もちゃんとやってません。生理は来てますがこれも子殺しのひとつかな。卵生んどきながら流しちゃってる訳で。
母が提示しているこの「冷静に子殺しをし、衝動的に子を生もうよ!」がほんとの所の実感として迫ってない、平和な人生がちょっぴり不満。
全くの余談ですが、1976年か77年頃に一度、「何かペンネームを考えてよ」と言われた事がありました。一体なにをと思いましたが、そうゆうのをあーでもない、こーでもないとただ考えるのが好きな私は無闇にいろいろと考えましたが、母がなんでか一番気に入ってくれたのは「五木無理」(…ごきぶりですね)。気に入ってはくれたものの、採用はされませんでしたし(今思えば、ゴキブリってあんまりな気がします…生命力はありそうですが。お湯に弱いし)、大体結局ペンネームを使った文なんて出さなかったんじゃないかな?