私がずっと子供の頃から母に一生懸命でマザコンな理由。
なんでそんなにお母さん子なんだろう? と高校時代の親友からも不思議がられていた私。
大人になって今ほじくり出して考えてみると、それはいつも誉めてもらいたいからだったかもしれない。可愛がられたかった。かまって欲しかった。
実際は、母はそれは一生懸命、可能な限り私をかまい、理解して、抱きしめて守ってくれていた筈なのに、やはりもっと長く側にいてほしかった。小さい頃、しょっ中置いてけぼりにされてさびしかった。
どうもそうだったみたい。
この台詞を、母に言った事は、少なくとも物心ついてからは、多分、ない。
日曜日でも、或いは一緒に出かける約束をしていた日でもそれが急にキャンセルになることがある。
「ママは綾子のことが大事なの。でもお仕事もしたいの」と出かけてしまう説明をそれは丁寧にされ、「うん、わかった」とお返事ができるようになったのは幼稚園の頃からだったと思うが。もっと前には「私と仕事とどっちが大事なの?」と、まるで不気味なドラマのような言葉も発した覚えがあります。赤面ものです。でも若さゆえ(多分4歳くらいだったので)ってことで、お許しを。
私の記憶から離れた更に遠い昔には、母のバッグや靴を隠して、出かけられないように画策した事もあったらしい。私ゃ全然覚えてませんが。(私の姉や友人たちも自分の子供に同じ事をされている。子供っていつの時代も皆考えること同じなのね)
それがいつの間にか、いい子にしてれば愛されるのでは。と、微妙に間違ったその勘違いから自由になれなくなっていた。甘えたりすねたり、或いは悪い子になるというやり方もあったのに、当時の私は一人っ子でライバルがいなくてあまり分かってなかった。
(そういうやり方がある、とちゃんと気付くのはすっごく遅くて、10代の終わりくらいからだった)
甘ったれてはいけない。しっかりしてないといけない。そうすればきっともっと愛される。
(その、ある意味殊勝な心がけの割りに、学校の成績は惨憺たるものだったが。おかしいな)
こんな心持ちがカチカチに固まっちゃって、「甘えんぼになるのもアリ」と分った大人になっても、大丈夫だよ、と平気な顔してどこか突っ張ってしまう所があるのかもしれない。
それは母に言った事はない。だって言ったら多分泣いちゃうかもしれないと思って。あっちが。
泣かせる事はこっちの本意ではない。私は無理矢理こっち向かせるんじゃなくて、自然にこっち向いてもらいたいのだ。
ややこしいのだ。
いや、ええかっこしいか。
私にそんな自覚は最近までまるでなかったが。
小さい頃から兄弟姉妹がいれば、そんなかっこつけた悠長なことは言っていられなかったに違いないのに。こういう人間性、もう治らないでしょうなあ。
少し前に流行った、自分がこうなったのは親のせい、などと言う気はさらさらありませんよ。この性格を直さなかったのは自分に責任があるのは重々承知の助です。
(あ、やっぱり突っ張ってるかな?)ここまで来たら、このままばーさんになって行くつもり。
とにかく意外にというか、結構、節子さん自身が私を置いて仕事だったり仕事だと行って出かけたりしていた事をずっと気にしていたのだ。
数年前、母が病人になってまだ1年位の頃か、私が母に夕食の用意をしていたら、突然母が後に立って、「私はあんたにそんな事までしてもらう資格は無い」などとちょっと心細げな、眉を八の字にした顔で言った事があった。別にこの時初めて食事の支度をした訳でもないのに、何を思ったのやら。
あらためて、母は母で小さい私を孤独にしていた、と傷ついているのだな、と感じさせられ、そうなるとまた母を大事にしたくなるのが人情ってもんで。
で、見事なマザコン女が出来上がっちゃった訳です。
実際は、大人になってからだって経済的に甘えたり、精神の根本的なところではめちゃくちゃ頼っていたんだけどなあ。それは節子さんがいなくなっちゃってもいまだに。