●母を「女」としてどう思う?

年の瀬に、また母想う。

「節子さんを女としてどう思う?」
時折聞かれることがあるこの質問。私にとって?母・節子を「女」としてどう思うかって??
考える。想像してみる。いろいろ置き換えてみる…。
結論。
「わかんないよ、そんなの」
母は母だ。母親だ。普通あまり親をそんな生々しい眼で見ないでしょ。
いくらですね、めくるめく絢爛豪華な性の世界、とか本に書いてたとしてもですよ。(by『私たちの愛』)

そういえば節子は私によく子供の頃から言ったなあ。
「私って普通のお母さんと違うのよ」知っておいた方がいい、とでも言うように。

かと思うと、私の小学1年の時の社会科のテストでのこと。「あなたのお母さんの1日の様子を書いてください」なんて問題がでた時のこと。
私はそれは正直に
「普通の日は、朝は9時か10時ごろ起きてご飯を食べて会社に行って仕事して、夜は8時頃帰ってきてご飯を食べて少し仕事して寝る。日曜は昼頃起きて、洗濯してご飯を作って…」
とか自分の見たままの母親の様子を答案用紙に書いて提出した。
採点は△だった。
先生の注釈つき。
「あなたのお母さんは、こうかもしれませんが普通のお母さんは云々」とか何とか赤ペンで書かれてた。
節子、そりゃ怒った。
「私が普通じゃないと言うのか?!指が六本あるというのか?!」  ガオ?。
これって指が六本の人に対してどうよ、とも思うのだが、「普通じゃない」とか言われるとすぐ節子が引き合いにだしたのがこの「指六本」だった。ある意味、指六本より、節子の方がよほど普通じゃないかも、とも思うのだが。
それで。
なにせ大昔のことで詳細は忘れましたが、時は1971年。節子もリブ的にかなり元気だった頃で担任の先生に直訴。△が○になり、親の直訴でちょっとだけ成績が良くなった綾子6歳の夏でした。

なのに。
自分から時々「私は普通のお母さんじゃない」みたいに言い出したのはそれから3?4年後。
どっちだよ。
どっちでもいいんだけど。そんなこと言われたってねえ。他の家で暮らしたことはないし。他の親と比較なんて出来ないし。ただ私は何かと親戚の家やら、友達の家やらに一日とか三日とか預けられて、なんてことはよくあって、自分の家とはまるで違う、よその家の家庭の雰囲気、というものは多少知ってはいたものの、でもそれは自分がそこの家の子になったのとは違う、あくまでも自分は預けられたよその子なのであって。もし私が本当にそこの子になったら、その家のおばさんやおじさんや、子供たちの私への対応も変わる筈だ。とその位は子供なりにわかっていたので、いくら「自分たちは普通の親じゃない」みたいに言われても、だから何、てなもんで。「親だ」と思って接している人は私にとっては私の親だけだったのですから。なんか当たり前の事言ってるな、私。

普通だろうが普通じゃなかろうが、どっちでもいいし、確かに「普通じゃない」ならそれはそれで面白そうだし。私にとって「母」という存在は、「♪夜なべをして手袋編んでくれ♪」るような感じというよりは、夜なべしてリブの原稿書いたりする人なんですよね。
↓のような…。

(中略)私はリブはなにをすることなのだろうかと考える。リブとは、特別なことではない。女が、なにかに生まれかわることでもない。女が、革命を起こすことでもない。たまたま、女に生まれた女が、あたりまえの女として生きること、なにかになる、というのなら、女が、普通の女になることなのだ。
現在、いかに普通の女でないか、普通の女を人間におきかえてみると、よくわかる。現在、いかに女は人間でないか(女である前に人間である、これほどバカバカしいいいかたもあるまいけれど、これをいわなければならないほど)。いかに普通の女でないか?。普通の女が普通の女の願いで生きることが、いかに異常とみられることか?。
(『月刊労働問題』1971年3月号 「私のウーマン・リブ宣言」より)

急に雰囲気変わりましたね…。
しかもこれ前述の社会科テスト事件と同じ年に出てます。節子はこの頃「普通」という単語に敏感になっていたのかもしれませんね。

「私、節子さんは大好きだけど節子さんがお母さんだったら大変だと思う」
「わかってくれますか、みのりさん」
節子がもう亡くなる1?2週間前だったか、確か、節子はもうとうに起き上がる事は出来ず、声も出せるか出せないか、コミュニケーションをとるのが難しくなってきた頃ではないだろうか。北原みのりさんが病室まで来て下さり、少し病室の外で私とお話をした事があった。そのときにみのりさんが私を労って言ってくださったと思われる言葉が上のもの。

私は冗談めかして受けたつもりだったけど、かなり本音。でも大変だけど、緊張感あって面白かったのよ。節子さんの激しい喜怒哀楽。私にとって「面白いかどうか」は物凄く大事なキーワード。

節子は、何故か私が「お母さんは他の人だったら良かったのに」とか思ってたみたいに、或いは思うんじゃないかと不安を感じてたのかもしれない。
時たま、そんなような事を口にした。

前にも書いたが、台所にいる私の背後に突然立って「私はあんたにそんな事までしてもらう資格は無い(そんな事って笑っちゃう位簡単な夕食の支度だったりなんですけど)」とか言ってきたり。
または私がすこしばかり頑固な経営者の親を持つ友人との接し方について母と話していた時、
「なんせ相手は社長さんだから…」と私が言ったら、「あんたコンプレックス持ってるんじゃないの?(親の事で、と言いたいらしかった)」などとゆってきたり。

節子さんみたいなオモロイかーさんを親に持ちながら、他の親御さんを羨むなんてあり得ないって。私はそーゆー人なの。なんでそう思うかなあ。まあ、そんな風に思わせる私も悪いけど。
と、このまんまを言い返した。すると
「…分かった」
きっと節子を知る殆どの方が想像もつかないような小さな小さな声で。

私は節子さんの子として、節子さんの大いなる喜怒哀楽を、大いなる好奇心を、大いなる発想と行動力を、大いなる愛情を目の当たりにして、ふつふつと元気に育てられた気がする。やはり教育って、大人が幸せに生きる様を子供に見せる事がすごく大事だなあと思う。少なくとも心の教育にはね。
私という子供にはきっと他のお母さんだったら、味わえない、得な事、充実したことが多かったんじゃないかな。こんなに面白くなかったんじゃないかなあ?

でも、こんな失敗をした事があります。
私が生まれて数ヶ月目から育児ママ(この言い方でいいかな?)として、家には昼間私の面倒を見てくれる(ついでに?  家事もしてくれる)女性たちが常に1人ずついらしたのだが。
私が3歳頃、何人目の育児ママだったのだろうか、若くて優しいお姉さんがいて、私はその人に大いになつき(もっとも私は大抵の育児ママにちゃんとなついていた筈だが)、あろうことか節子に向かって「ママより○○お姉ちゃま(その、若くて優しいお姉さん育児ママ)の方が好き!」とか言ってしまったのだ。自分でも言った事を覚えている。子供はなんて残酷。自分のありのままの気持ちを出す事が悪いことだなどと露ほども考えはしないのだ。今、こうして書いていて血の気が引く思いがする。あの節子サマになんてことを…。

それにまだ若かった節子のショックはいかばかりだったろうか。その後の節子の、私に対する「負い目」は仕事や父・総一朗の件だけでなく、もしかするとこの時の事からも発しているのかもしれないなあ。

因みに、その後「ママより好き」などと思った育児ママはいなかった。
まさか私に好かれそうな人を排除した訳でもなかろうし、節子が私に対する接し方を工夫して、より一生懸命コミュニケーションにつとめてくれたのかもしれない。
そういえば、後で知ることだが、節子が総一朗父と深く結びついていくのも、その頃だし。
(総一朗父との関係が進むことで、節子は家庭も、とりわけ子供とはきちんと向き合い、大切にしようと考えていたらしいから。『私たちの愛』によれば)
あくまで、私の想像だが。

それにしても母親を「女」として見るのって難しい。
いろいろ、あてはめて、想像してみる。
単純に、どこで会ってもなんかイケそう。魅力的な人として映りそう。
記憶に残る人になりそう。あああまたもや実母礼賛。
…しかしなんかやっぱり「母親」節子が一番大変そうな気がしてきた。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。皆様、来年もなにとぞ宜しくお願いいたします。


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