●我が母ストーリー第26回 なぜ「父」なのか。

母・節子の夫である総一朗氏を私は対外的にも「父」と呼んでいる。もはや不自然さは感じてない。

私のこのページを読んで下さってる稀少な方から、「何故、総一朗氏を父と呼ぶのか」こんな疑問の声が上ったと少し前に、こちらのサイトの親分である(ですよね?)北原みのりさんからメールをいただきました。
なんだそんなこと。それならすぐに書ける。瞬間、本当にそう思った。

しかし、いざ書き始めてみると、しばしば手が止まる。我ながらあぜんとするほどだ。
今までもさんざん原稿提出が遅れて来た私だが、遅延新記録(二か月・・・)が出る程、のたうちまわることと、なった。
何故、総一朗氏が「父」になったのか。
(そういえば親たちが結婚する前、節子が私に向かって総一朗氏の話をする時、必ず「田原氏」って呼んでました。日本史の「藤原氏」じゃあるまいに)
節子の夫だからといって即私の父、という訳ではない。私が特に反抗的だったつもりも決して、ない。二人が結婚するまでに何度か私は総一朗氏と会っていたし、二人の結婚には賛成だった。もん。

・・・だって節子が「総一朗と結婚したいの」(きっぱり)ってゆうんだもんね。言い出したら聞かないんだし。節子のやりたい事に反対しようなんて空恐ろしいこと考えたこともございません。いつも節子のやりたいようにさせてまいりましたもので。

始めは、父と呼ぶつもりは全くと言って良いほどなかった。自然に任せるつもりだった。
以前私が勤めていた会社の先輩で、私と同じく、自分の母親が父親以外の別の男性と再婚したという人とこの話で意気投合した事がある。
「そういうもんだよね」「親の配偶者という所はちゃんと認めて仲良くやってるもんね」「お父さん、なんて呼ばなくてもねえ」「ね、ね」(ひょっとして二人共ちょっと後ろめたかったのか?)。
そんな私が、やがて総一朗氏を「お父さん」と呼ぶようになる。何故か。まだ幼い子供ならいざ知らず。何故か。

幼い子供だったら、納得するも何も有無をいわさず「お父さん」と呼びなさい、とか言われるのかなー?そんな立場は嫌だな。私に言ったときみたいに20歳超えた女子にではなく、幼い子相手だったら節子はどう言っただろう。

私が総一朗氏を父、と呼ぶようになったこと。
それには理由となりゆき?があった。節子よりも総一朗氏と先に結婚していた奥様との間に生まれた二人の娘さんの存在もその理由の一つ。

一人は私より一歳上。もう一人は私より一歳下。完璧同年代。
まだ私ら子供達は皆幼稚園以下だったと思われる頃、一緒に出かけた事があった。
それぞれの母親に連れられて、皆でケロヨン(当時子供にすごい人気だったキャラクター)のイベントを見によみうりランドに行ったのだ。私はうっすらとしか覚えていないが姉は結構しっかり覚えているらしい。私は姉の説明を受けてそういえば、そういえば、と紐解いていって思い出した。

この日の帰り、節子が運転する車に皆で乗り込んだのだが、まだ小さかった姉が助手席に座りたい、と言い、私が節子の隣の席を譲ったのだった。「座っていいよ」などと上から目線で言ったかどうかは定かではないが。私は強い希望を持っている人がいたら、大体「どうぞ」と譲っちゃう。ただしこちらにもなみなみならぬ希望がある場合は勿論、別なんだけど。
かくしてこの時、姉は運転席の節子の隣に。私は、後部座席に(おさまっちゃってから、口には出さなかったけど、あ、ちょっと惜しかったかな、やっぱり自分のママの隣が良かったかな、とすぐに思ったのは覚えている)。おそらくまだ更に小さかった妹も自分のお母さんの膝かどこかにいただろう、そんな席順になったのだった。

節子の著書の中で、この時のことに触れたこんな文章があった。姉妹のお母さんからこんな言葉があったらしい。

「アナウンサーがつきあってくれるはずがないって言ったのよ」という話も出ました。
『私たちの愛』(講談社 刊)

この言葉は、おそらく奥様が総一朗氏に、ということなのだろうけれど。この日、母親二人はどんな気持ちだったのか。なんで皆で行く事になったんだろう。
総一朗と節子の関係がどうなっていたのかも微妙な所は分からない。

再び姉や妹や私が出会ったのは、皆もう20歳をとうに超えた年頃になってからだった。総一朗氏の奥様、つまり彼女達の母上がやはり乳がんを患い、既にお亡くなりになり、数年が経っていただろう。節子は私の実父と離婚していた。
でもまだ双方の親たちが結婚はする前、「姉」が節子に電話をかけてきた事があった。
初めに出たのは私だった。私たちは親たちが結婚しそうなことをもう分かっていて(姉はケロヨンの時の事もよく覚えていた訳だが)お互い「どうもいつもお世話になってますー」みたいな、ちょいと営業的?でも元気なスマイルを感じられる挨拶をひとしきりしたように思う。ちょっとドキドキしながら。
でも初めて認識しながら聞く姉の声には「これから、よろしく!」といったいい感じの親愛の色が入っていた。と私は勝手に信じている。
私達は少し立ち位置は違うかもしれないけど、シンパシイを感じられる間柄だとお互い感じていた、とこれまた良いように解釈している。

余談だが、今は携帯なんて便利なモノがあるおかげで、予想外の人が出るというパターンはあまり想定しないでかける事が多くなった。
これってある意味つまらない。出会いのチャンスがひとつ閉ざされている感じ。昔は、友達のお母さんの声とか、お姉さんや弟とかの声も、ちゃんと知ってたもんなあ。そんな機会に(そういえばこういう時父親さんはあまり登場しませんわな)「いつも○○さんにはお世話になってます」とか挨拶出来たもんな。
その友達の暮らしている背景みたいなものが、ほんのちょっとかいま見えて、安心したり心配したりしたものだ。

因みにであるが、田原の姉と妹は、節子の事を確か親たちの結婚当初から「お母さん」と呼んでくれていた。なんで「くれていた」かといえば、節子がそれに対して、とても嬉しそうだったから。
姉も妹も、節子に対して、私に対して、とても仲良く接してくれた。節子は元々、年下の女は皆可愛いという人でもあるし(年上からは生意気だから疎まれていたとも言われているが)、ましてこんなに縁の深い二人のこと。私にとってもラッキーな事に姉妹は刺激をくれ、尊敬できる人。
私はといえばしばらくは、「田原さん」とか、名前を呼ばずに話し掛けたりしていたが、
姉と妹が日々「お母さん」と自然に節子に呼びかけているのを聞くにつれ「バスに乗り遅れた・・・」感を持ちつつ。
だから、一番初めは皆を心配させない為。乗り遅れたバスに飛び乗る為に「お父さん」と呼び始めたような気もする。

今回のテーマ、もうちょっと書かせてください。また次回に。


INDEX
[2008/11/02]
おくさん
[2008/09/01]
4年目の命日に
[2008/08/01]
気狂いこけしになりたい
[2008/07/01]
女と自然
[2008/06/05]
「女」をしょいこむ、ということ。
[2008/05/01]
性教育
[2008/04/03]
母親の恋
[2008/02/07]
我が母ストーリー第28回 幸せについて
[2008/01/07]
江川綾子から高橋フミコさんへ
[2007/11/10]
我が母ストーリー第27回 なぜ「父」と呼ぶか2
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ