●我が母ストーリー第27回 なぜ「父」と呼ぶか2


前回の続きです。
なんで私は、母・節子の夫・総一朗を「父」と呼んでいるか。

いきなり余談です。
そもそも私は、自分自身からは、特に何もどこにも踏み出さない、ボーっとした人間だ。
ただ目の前のことをやれるよう頑張るだけ。なのに周りの人たちがいろいろやり放題して(節子とか)、勝手に波乱万丈みたいな状態に置かれている。ある意味、お得な人生。
自分は別に、ここではないどこかに行きたい、なんて旅立ったことはないのに、周りの景色が勝手に変わっていく(節子とか)のだ。ディズニーランドにそんなアトラクションあった気がする。なんてお手軽なんだ。初めて1人暮らしした時だって、親が結婚するから(節子とか)1人になっただけで。私自身は独立心もなにもあったもんじゃなかった。
そういえば、乳母車(今はベビーカーっていうのかな)に乗った赤ん坊も、自分は乗ってるだけで、周りの景色が勝手に変わっていくものだ。
今でも結局私は節子に乳母車に乗っけられてる続きなのかも。

閑話休題。
総一朗氏は節子がまだまるで元気だった頃から満面の笑みで私によく言った。
「僕はね、お母さん(節子)が大好きなんだ」
その言葉を聞くのが私は好きだった。両親が離婚して、母親の再婚相手から聞くその一言はいつも私を安心させてくれた。不思議なほどに。
そして。総一朗氏は節子がいた時もいなくなってしまった後も、かなり私のことを気にかけてくれる。どういう暮らしをして、毎日を幸せにしているか、声をかけてくれる。この心遣いもありがたい。
元々、私は血の繋がりをあまり信じていないのだ。
だから尚更、私には本当に人の情けは身にしみる。
そんな人が「お父さん」。悪くないじゃないか。

それから結婚前後の頃は節子からの、何かといえば始まる「総一朗はこういう人なのよ」アプローチもなかなかすごかった。

とにかく仕事第一人間であること。ちゃんと納得いく仕事をする為には妥協を許さないこと。意外に物事がうまく行きさえすれば、自分の手柄は二の次だということ。そしていろんな方向から物事を見られるということ。「サンプロ」や「朝まで生テレビ」でもたまに何となく議論がまとまってきて、めでたしめでたし・・・になりそうになっても、ひょいと、逆方向からの意見を投げてまた、全体をかきまわす(オウムの時とかそうだった)。

節子の、のろけだ。でも多少私に対するプレゼンがまじってたかもしれない。
(それまで内緒で言えなかった分、たまりに溜まっていたのかな)
この激しいアプローチは、やはり二人の結婚直後がピークだったと思う。

節子のプレゼン、なかなかに効果的だった。私は総一朗氏にますます好感をもっていったから。のせられた?

 親たちが結婚する、と言ったとき。まず、あったのは田原家とうまくやっていきたい気持ち。それは、親達夫婦の為、田原の姉や妹、自分の為でもある。うまくやって行かなくちゃという気持ち。会ってみて、思った以上の好印象。付き合っていて、嬉しいほど、分かり合える時がある。だがそれだけじゃ何か割り切れない複雑な気持ちもほんの少し、あった。
いろんな思いがないまぜになって、でもそれは田原姉妹の方が複雑な思いはずっと強かった筈だ。
彼女たちのお母さんが生きているうちから、そしておそらくは知っているうちからずっと長い事、総一朗と節子は恋人同士だったというのだから。

でも彼女たちはごく自然な風で節子を「お母さん」と呼び、接してくれる。

姉は、私たち三人姉妹の中で一番節子に似ていると言われる、穏やかな中にも激しさを持つ、凛としたカッコいい女。

妹には、姉よりもほんの少し後で出会った。
彼女は3人の中で何故か節子に一番顔が似てると言われている。
見た目ほんわかだけど、熱い情熱とこまやかな気配りを合わせもつ、可愛い女。

節子の闘病中、妹は私とほぼ同じ頻度で、節子の世話をしてくれたし、姉も仕事に妊娠そして子育て(節子が亡くなる約3ヶ月前に姉は双子の男の子を出産)にと大忙しだったにも関わらず、時間を見て会いに来てくれたり、料理を作ってくれたり。
二人とも節子の娘になってくれていた。ありがたかった。姉も妹も、確かに私の姉と妹なのだ。

昔、私の子供時代、節子との夜のコーヒータイムで話した中にこんな話題があった。

中国の残留孤児の方々が帰国するたび、メディアを騒がせていたが、何故あの人たちは、わざわざ日本に来るのだろう?養父母を置いて来てまで。と不思議に思っていた。
繰り返しになるが小さい頃から私は血の繋がりを信じていなかった。血が繋がっているから絆が強い、なんて露ほども思えない。
子供の頃から節子の事を母としてとても慕い、信頼していたけれども、それは私の自覚の限りにおいて、節子が血の繋がっている母だからというより、それまでの長い時間によって育まれた信頼、安心感によると思う。かなり強く思う。
さて、残留孤児の方々のこと。
今まで育ててくれた養父母がいるにも関わらず、ましてやその人達を捨ててまで、本当の親を探したい、と思うのだろうか?と。
節子は同意した。「そうよね、私も人に、同じ様に言ったことがあるわ。そしたら”(会いたいと思うのが)当たり前じゃない!”だって」。
当たり前?節子も私もどうも納得出来ない。
「なんでそう思うのかなー?!」納得できない同志で喋っていても議論にはならなかったが、しばらく愚痴り合ったりした。
(ただ、養父母と養子が必ずしも良い関係を築いているとはかぎりませんがね)
私が幼少の頃に読んでいたマンガとかドラマって、「実の母より育ての母」みたいなものを掲げる話が割りに多かった気がするから、その影響も大だったろうな。

やっと最近「自分のルーツを知りたい」という欲求も人間の内部には設置されているかもなあ、とは思うようになった。
でもただ「血は水よりも濃い」というのがどうにも実感できなかった。

総一朗氏が節子亡き今でも私を気にかけてくれる度合いは意外に厚く、ありがたく思う。総一朗氏を私の事を案じてくれる人だと、認識し、信頼している。
かくして、総一朗氏を父と呼ぶことに違和感はなくなっていたのだ。

・・・前回、今回と長かったけど、この説明って分りましたか?

早い話が「血のつながり」ではなく「節子つながり」ってことで。

節子本体は見えなくなっちゃったけど、あまりにも「節子体験」が強烈だった為、その共有体験からの仲間意識みたいなものに、ひょっとしたら近いのかもしれない。節子マニア?

しかし、気は優しいけれども決してフェミニストという訳でもないと思う総一朗氏が、ウーマンリブの権化のような節子に惹かれて愛しちゃったというのは、ほんとに世の中って面白いもんです。


INDEX
[2008/11/02]
おくさん
[2008/09/01]
4年目の命日に
[2008/08/01]
気狂いこけしになりたい
[2008/07/01]
女と自然
[2008/06/05]
「女」をしょいこむ、ということ。
[2008/05/01]
性教育
[2008/04/03]
母親の恋
[2008/02/07]
我が母ストーリー第28回 幸せについて
[2008/01/07]
江川綾子から高橋フミコさんへ
[2007/11/10]
我が母ストーリー第27回 なぜ「父」と呼ぶか2
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ