前回の続きです。
前回同様、「現代性教育研究」(財団法人日本性教育協会編集)1977年12月号に載った母・節子の「女どうし」という原稿をつっつきながら。
しかしその前に。
節子が私に殆ど性の話はしてくれなかった話を前回しましたが、節子の意外な面をもうひとつ。
当時でも使い古された言葉をあえて使わさせていただけば、私が「適齢期」(ぐえ〜)の24歳の、ころ、節子は「結婚はしないの?」「○○(相手の名前)はなんて言ってるの?結婚する気はあるの?」とやたらうるさくなった。 いわゆる世間の母親がそういうものだと言われていたように。
くどいですが、節子が、ですよ。私も意外でしたよ。 ただ、この「結婚しないの」攻撃の裏には、自分が総一朗と早く結婚したかったという事情があったからだということが、つい最近はっきりした。
父・総一朗方の妹が私より一歳下だが、やはり同時期に総一朗から「結婚しないの」攻撃を受けていたらしいのだ。節子は、やがて業を煮やして、かどうかは知らないけど私に
「総一朗と結婚したいの。だからあなたは1人で暮らして!」
と突然ぶっ飛んだことを言われたりしたわけで。 ただ、言われた直後から風邪で寝込んだ私に、節子は「総一朗が、『1人で暮らせなんて言われて(綾子は)ショックで風邪ひいたんだから、ちゃんとついててやらなきゃだめだ』って」と、ちょっとしょげた顔で反省していました。
そして日本テレビを早期退職した50歳あたりから、おそらくほぼ毎日総一朗の事務所に通っていたらしい節子は(私にははっきりそうとは言ってなかったのだが。これも比較的最近知ったこと)、本当にこの時、事務所を休んで私についていてくれた。 風邪は、たまたまだけどね。私は思春期頃からしょっちゅう風邪ひいてたから。 ただ、いくら私が風邪ひいたって、昔から忙しかった節子がずっとついててくれた記憶なんてあまりないのに。この時の風邪も、ついててもらう程でもなかったと思うのだが。今回はこたえてしまったのか、ちょっとながらしょげてた節子が可哀想にもなる。 でも、結局その後も「結婚しないの」攻撃は続いたので、ある日節子に言った。
「えーい、うるさいわい。私は全!!く気にしないから、先にそっちが結婚して!しろしろ言われると落ち着いて出来ない!こっちはこっちのペースでいくんだから!!!」 で、無事に親が巣立っていったもんで、私は自立心とか関係なく、セオリー通りというか流れのままに1人暮らしをした時期もありました。でもそれで気持ち落ち着いたおかげでか、親が巣立った2年後に一応私も結婚などしまして。
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私が女に生まれたこと、人間のメスとして生きることを丸々引き受けようという気になったのは、実に遅ればせで、二十七歳の時、娘を生んでからである。それも女であることをすんなり享受したというわけではない。「女とは」という世の中の通念に添おうが添うまいが、人間社会の中でメスとして感知するすべての体感をのみ、実感として表出して生きる、というナミナミならぬカクゴと引き代えて、という条件つきであった。
私はかなり長い時間、自分の性を女と認めることにこだわっていた。男も女もない。どちらかといえば男になりたかった。娘が生まれると知ったとき、逃げられないこの性をしょい込んでしまえと逆に思った。また七歳の娘が、「おかあさんの、おかあさん、そのまたおかあさんのまたまたおかあさん」といいながら、自分のおなかをなぜて、「アタシのこどもも入ってるの?」と私にうれしそうに聞いたとき、なぜかひどく自分がうしろめたかった。うろちょろしている私の性、女の性をしっかと見極めたい、と切実に感じたのもこのころだったと思う。 (「女どうし」より)
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節子の命題ともいえる「女」を自分でしょいこむのに、そんなに時間と手間がかかっていたとは今回初めて知った。 「男も女もない。どちらかといえば男になりたかった」
なんてこれまたあまりにも意外。それにしても今は私の方がこれを読んで全く別の意味でなんだか後ろめたい。 そしてひょっとしたらいまだに私は「女」をしょい込んでは生きていないのかもしれない。と気づかされてしまったから。長い事、女をやっては来てる筈なんだけど。
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いま私は遠い天体から通信を聞くように、女の月のリズムの打ち鳴らす音に耳を傾ける。おなかの底のしたたかな信じられる声に応答する。最近ようよう私は女であることに肩の力を抜くことができるようになった気がする。二十八歳まで、私は女で生きる方法がつかめなかった。世間にある目安はすべて疑似女ではあっても、私には女でなかった。私は女にもなれなかった。(中略) これからずっと、彼女は自分のからだと問答しながら、試行錯誤の道程をいくのだろう。 (「女どうし」より)
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女として生きる方法って? 女になるって何?四十過ぎてもまだ試行錯誤中だ。生きてる間につかみたいモノだが。 結局自分のからだの声は自分にしか聞こえないし、自分で歩いてくしかないもんね。 そうね、きっとずっとそうして試行錯誤の道を行くのだろう。きっと節子がそうだったように。 それにしてもこうして考えてみると節子と自分で思ってた程意外に話をしてなかったのかな。もっといろんな話をしたかったな。結構よくしゃべり合う親子だと自分では思ってたけど、もっともっと沢山のテーマについていっぱい話せた筈だ、と思っちゃう。 もっともっともっと一緒に話をしたかったよ、かーちゃん。