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植民地支配を忘却する政治に抗して−「朝鮮籍」という思想 〜後編〜
2017.08.30
by 打越さく良
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 前編では、忘却の政治の中で、朝鮮籍が、日本が植民地支配の責任を取ろうとしない、「戦後」の欺瞞をあらわにすることを確認した上で、その朝鮮籍を生き抜く人々を取り上げた中村一成著『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)を取り上げ、高史明と朴鐘鳴について紹介した。後編では、残る4人の「思想としての朝鮮籍」をみていきたい。

「上昇志向への忌避感、生理的な嫌悪感」

 詩人である鄭仁(1931年生)は、民族差別というより障がい者差別により、小学校でいじめの標的になった。しかし、終戦後、朝鮮人学校に2年通い、「会ってすぐ友だちになる」という経験をしたともいう。その経験がなかったら、「帰化」していたかもしれない。しかし、「俺は「思想」とちゃうで。要は変える理由を感じないだけやねん。」「植民地支配があったからね。戦時中、朝鮮人は日本人やったわけでしょ。それが1952年に外国人にされた。それでまた日本に戻すのは心理的に抵抗がある。」さらに障がい者であるということで、「独特の感性」があるという。「上昇志向への忌避感、生理的な嫌悪感」。それが朝鮮籍であることにも関係する、と。

ダブルのアイデンティティの不安定さを経て

 朝鮮にルーツを持ち、日本の公立学校に通う子どもが、課外で朝鮮の言葉や文化を学び、自尊感情を育む場「民族学級」で36年教壇に立った朴正恵は、6人の中で唯一人の女性である。そして、朝鮮人の父と日本人の母から生まれ、日本国籍者であったが、朝鮮大学時代に日本国籍を放棄し、朝鮮籍を取得したことも、6人中ただ1人の経験だ。日本人との間ではアボジの話をしづらく、朝鮮人との間ではオモニの話をしづらかった。ダブルのアイデンティティの不安定さ。それは、後に同様に不安定な子どもたちを教える立ち場になって、生きてくる。

 朴鐘鳴らが抗議した朝鮮人学校閉鎖を、朴正恵は入学した生徒として経験し、「関東大震災での朝鮮人虐殺のイメージ」で見た。父も母も率先して活動していた。貧しい中で子どもがなんとか家計を担おうと、屑鉄を集めて売ったが、後に、それが高く売れたのは、朝鮮戦争の影響だったことを知る。あれが同胞たちを攻撃する武器になったかと思うと辛い。

 集落への「ガサ入れ」の回数は増え、官憲は土足で家の中に入り込んだ。女性たちは全力で官憲と渡り合った。朴正恵の視点のほか、続く章の李実根の記憶の中でも、抗議し抵抗した女たちの姿が浮かんでくる。敗戦後わずか数年で日本は米国の核の傘の下に入ることを選択し、反戦平和を唱える者たちを弾圧した。広島で連続火炎瓶事件に絡み朝鮮人集落を1,000名もの警察官が取り囲み捜索した(李も逮捕された)。広島地検で逮捕者への面会を拒まれた女たちは、「捜索で頓死した豚の責任をどうとるのか」などと抗議したところ、次席検事に「警察が豚を殺すわけない」と反論され、運んできた子豚の死体を地検正門前に転がして気勢を上げたという。

 活動家の朴のアボジは、経済的にもオモニに苦労させているのに、封建的で家族を犠牲にした。文句一つ言わず朝から晩まで働きづめ、日本人の身内と縁を切り、朝鮮人社会に飛び込み、息子を共和国へ送ったオモニはどんな気持ちだったのか。朴は、その想いを訊かずにいたことを悔やむ。
 朴が担当したわずか週2時間の民族学級でも子どもたちは劇的に変化した。ところが、南北分断は在日社会をも引き裂き、朴ら朝鮮籍講師が韓国民の子どもを教育するのは許せないとの抗議があり、朴らは登校できなくなる。子どもたちは直接市教委主事らに抗議した。市教委は授業再開の方針を打ち出したが、韓国領事館や民団の抗議で中止に追い込まれる。朝鮮学校生らが自主授業を手伝ったところ、子どもたちが歓喜する。子どもたちの思いが大人が作り上げた政治的分断を乗り越えさせ、朴らは民族学級に戻った。
 朴はとりわけ騒がしい子どもに手を焼いていたが、日本人の担任教諭から「教室では模範生です。普段は出せない自分もここでは出していいと実感している。解放されているんですよ」と言われたのが光となった。一人ひとりと向き合うことを心がけると、関係性が目に見えて変わった。市内外に次々と民族学級が開設され、複数の学校へ行き来することになる。

 様々な紛争に時間を割かれ、子どもが民族に触れる機会を逸することもあった朴は、語り続けはするものの、自分の想像範囲を超えて流通する書籍に経歴を載せることを避けてきた。しかし、入退院を経て、その姿勢が変わった。人の出会いで学んだことは、人に、子どもに、返して伝えていきたい、と思うようになった、と。オモニの語りを聴き取らなかったことの後悔も、あるのかもしれない。

ヒロシマでの加害の忘却に抗して

 李実根(1929年生)は、広島で入市被爆した在日二世である。日本共産党での非合法活動や1950年代の獄中体験で身につけた胆力なだおから、畏敬をこめて「ヤクザ活動家」と呼ばれていた。つねに「見えない存在」とされてきた在DPRK被爆者を可視化させ、恩恵ではない救済を実現するため、李は25回、DPRKに入国し、毎年、原爆忌に首相や担当大臣に直談判してきた。何十年たっても、答えは「検討」である。講演会や学習会なども大切にしてきた。朝鮮人が原爆の犠牲になったのは、植民地支配の結果なのに、なぜ過去清算として取り組まないのか、との怒りが李を突き動かしてきた。まさにそうだ。

 李は、1952年、火炎瓶投擲事件など「でっち上げ」の容疑により勾留され、取り調べは全面対決となった。ある日、広島ヤクザの大物網野に声をかけられる。「李を韓国に強制送還して銃殺してもらう」、検事からこんな伝言を頼まれたのだ。李は自慢する話じゃないと渋るが、中村は続きを聴き出す。網野に、次席検事へこんな伝言を伝えてほしいと頼んだのだ。「お前は最低のクズだ。ワシを殺すというたらしいが、それは何年もだいぶ先のことになりそうだのう。ワシは外の同志とすぐに連絡つけられるから用心しとれや。火炎瓶が飛んで家もろとも焼き殺されるかもしれんからのう」。網野は、後日、打ち解けた表情で李に「あいつ、顔が真っ青になって、「冗談じゃけえ。取り消すけえ」と言うてのう、こりゃあ堪えてあげんさいや」と伝えた。両者の出所後も極道の網野と共産主義者の李の交友は続いた。

 8年の獄中生活後、共産党が変化し、朝鮮人が日本の政治に干渉するなということになり、困惑。総連の帰国事業に没頭した後、韓国の被爆者団体ができたことを知り、では目の前の朝鮮人被爆者は?と焦る。ないなら自分たちで作ればいいと朝鮮人被爆者協議会を結成し、全国組織にする。原水禁などにもある、朝鮮の被害者を排除する差別意識に抗議しながら、40年も運動を続けた。8月6日の平和宣言に加害や植民地支配が明示されたのは、1991年以降の数年間だけ。原爆機の式典に在外被爆者が初めて招待されたのは、被爆から半世紀を経た1995年。原爆投下はあくまで「日本国民の悲劇」として語られる。安倍晋三首相は、2013年の原爆忌で、「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民」と言ってのけた。「他者に与えた痛み」を駆逐する「加害の忘却」がヒロシマでもある。

沈黙を溶かし、記憶を殺す権力と闘う

 最後に登場する小説家金石範(1925年生)は、出身地である済州島の四・三事件(分断固定化につながる南朝鮮の単独選挙に反対して武装蜂起をした島民に対して米軍軍政下の韓国政府が起こした大量虐殺事件)を題材にした『火山島』等を著してきた。なんとか韓国で敢行された1988年春、出版記念集会に出席するため入国許可申請をしたが、断られた。もともと、中村は、金との出会いに衝撃を受けて、朝鮮籍を「譲れぬ一線」とする人々と会い、思いを訊いてきたのだ。植民地時代の清算がなされず、在日朝鮮人への差別と抑圧の再編で日本の「戦後」が始まった結果として生まれ、事実上の無国籍者とされた「朝鮮籍者」を生き続ける「思想」に打たれたのだ。
 済州島の四・三事件の被害者たち。8万人だとか数の上でのことではなく、一人ひとりの生と死を想像力で蘇らせる。作家は、沈黙を溶かし、記憶を殺す権力と闘う。

 政治家が歴史を忘却させようとする。それと相乗効果で強くなるネットや街頭でのヘイトの罵声。しかし、植民地支配の記憶の忘却に抵抗す思想の実践として朝鮮籍を生き抜く個々人がいる。無自覚な「日本人」は、その「思想」から多くを学ばねばらない。とても深く、読み応えのあるこの本は、しかし薄く、一挙に読める。是非多くの方に読んでいただきたい。切に願う。

プロフィール
打越さく良
打越さく良(うちこしさくら)
弁護士・第二東京弁護士会所属・日弁連両性の平等委員会委員日弁連家事法制委員会委


得意分野は離婚、DV、親子など家族の問題、セクシュアルハラスメント、少年事件、子どもの虐待など、女性、子どもの人権にかかわる分野。DV等の被害を受け苦しんできた方たちの痛みに共感しつつ、前向きな一歩を踏み出せるようにお役に立ちたい!と熱い。
趣味は、読書、ヨガ、食べ歩き。嵐では櫻井君担当と言いながら、にのと大野くんもいいと悩み……今はにの担当とカミングアウト(笑)。


著書 「Q&A DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで」日本加除出版、「よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて」共著 朝陽会、「今こそ変えよう!家族法〜婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える」共著 日本加除出版

さかきばら法律事務所 http://sakakibara-law.com/index.html
GALGender and Law(GAL) http://genderlaw.jp/index.html 
WAN(http://wan.or.jp/)で「離婚ガイド」連載中。
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