あなた、キョウダイはいますか? 何人キョウダイですか? ちなみに映画「ゆれる」で、弟猛を演じたオダギリ・ジョーにキョウダイはないそうです。そして彼は「キョウダイというものを想像するとなんとなく気持ち悪い。流れている血の似たような人がもう一人いるのはなんか恐怖」と言っています。そうだなー、あいつ(わたしの妹)が知らない人間だったら気持ち悪いかもしれないなー、なんて考えてみる。二才年下の妹は現在、わたしの居住域から一千キロの彼方に生息しているので、お互い滅多に会わない。たまに法事なんかで顔を合わせると、自分と同じところが同じように老けていて、なんとなく変な感じ。それはもしかすると違和感、でもきっと安心感かもしれない。よくわからない。何かどこかが自分自身と不可分で、だからよくわからない。キョウダイとはそんな存在。
キョウダイとは人間がおよそ初めて出くわす激しい対人関係。例えば、年下のキョウダイはそれまでの環境をがらりと変えてしまうほどのパワーを持って、ある日突然出現する。全然覚えていないけれど、そこには相当の葛藤があったはず。そして実はその葛藤は生涯続いていく、或いは解消されることなく潜在していく、のではないだろうか。映画「ゆれる」はそんな否応もなく向かいあい、補いあってしまう人間関係、しかも同じような細胞でできている、互いが互いの鏡像であるかのような、引きあい反発しあう関係というものを、まさにゆれるように描いていく。ゆれてゆれて、幾重にも積み重ねられたその揺れは、やがて観るもの自身の記憶を呼び覚まし、心の深いところを震わせてしまう。
覚えている、間違っている、忘れている、突き放している、求めている、庇っている、信じている、裏切っている、愛している、憎んでいる、嫉妬している、寿いでいる、許している、奪っている、守っている、支配している、見つめている、踏みにじっている、ぶつけている、避けている、後悔している、そして、揺れている。たった今まで誰かのいた吊り橋のように。
「凄い!凄い監督が現れた!」映画を観終わって、わたしは内心そう叫んだ。「ニシカワヨシカズ、凄い奴。こんな視点で人物を描ける、こんなふうに状況を捉える作家に今まで出会ったことがない。こりゃー、並みの男じゃないね。ある意味天才。ある意味変態。カタログ買って帰ろーっと」そして買ったカタログを開いたわたしは、更なるびっくりに遭遇。そこに見たのは、少女っぽさの残る顔立ちに、繊細さと意志の強さの見て取れる、一人の女性の顔写真。わたしって何て先入観の強い嫌な奴でしょ。映画監督を男の職業と思ってるってことを自ら白状してしまいました。お恥ずかしいことです。ちょっと言い訳するならば、この映画の語る一人称の葛藤が、あまりにも精緻に組み立てられていたので、主人公と監督は同一のジェンダーだと思い込んでしまったんです。反面、女性ジェンダーの視点や感性というものに、わたしは強く惹かれるのだと、再確認したことにもなるでしょう。しかしこんなふうに男が男を語るものを、観てみたいなーとも思うのです。
さて、ニシカワミワ監督。「ゆれる」以前に、やはりキョウダイをテーマにした「蛇イチゴ」を撮っています。こちらの方は兄妹のキョウダイです。放蕩ものの兄を演じたのはお笑いの宮迫博之、優等生型の妹を演じたのはつみきみほ。「蛇イチゴ」は一見、コミカルな家族物語。認知症のおじいちゃんや、リストラされたのを隠しているお父さんや、ストレスで円形脱毛症になっているのを隠しているお母さんなんかが印象的です。しかしこの映画の核心はやはりキョウダイ関係。お尋ね者の兄を裏切って通報し、帰宅した妹を待っていたのは、兄の摘んで残していった蛇イチゴ。ピカピカ夜露に濡れて輝く蛇イチゴ。それを見て嗚咽する妹。
「蛇イチゴ」のラストで、許す、愛す、繋がるキョウダイ。それに対して「ゆれる」で最後に観客に与えられる情報は、兄、香川照之の、一瞬にして掻き消える曖昧な微笑みのみ。得たのだろうか、失ったのだろうか。それはどうやら観客に委ねられている。映画館で席も立てないほど号泣していたあの人は、きっと、失ったことがあるのかもしれません。
この映画では、語られた物語の影に語られなかった物語があります。そう、あっけなく橋から落ちて命を失った川端智恵子。西川監督が「ゆれる」を小説にしたものの方には智恵子の語りがあります。橋から落ちる寸前、智恵子は、
この人は、わたしだ。おとなしい驢馬のような顔をして、心に鬼を飼っている。
この人が、わたしだったのだ。そう思いました。
と語っている。そしてそれきり口を閉ざして、川に飲み込まれていってしまう。物語の表面から消えて無くなっていってしまう。だから、智恵子の存在は、その後の兄稔の存在に引き継がれている、という見方もできなくはない。しかしこれは一つの解釈に過ぎない。いつか、西川監督が智恵子の語る映画を撮るだろうと、わたしはそんな気がしています。というか、そんな期待を持っています。