「ああ、こりゃあいい映画だなあ」初めて観たすぐあとは、ほのぼのとこんな思いに満たされました。それから、「すごいおもしろい爺さんだったなあ」「リンダって人は思い切ったことをするよ。ホームレスを自分の部屋に招き入れるなんて」などというようなことをぼちぼち考えました。一歩一歩映画館から遠ざかる間、「波乱万丈。すごい人生だよ」とか、「やっぱ金のこと考えないで、とことん芸術してるとホームレスになっちゃうんだ。気をつけよ」とか、「『シッコ』では医療保険のないひどいアメリカだったけど、この映画からは社会補償が意外と充実してるって面を見せられて、またアメリカのイメージ変わっちゃったな」とか。まあ、映画のディテールを一つ一つ思い出しては感心しつつ、もぐもぐ草を噛む牛のように、いつまでも反芻していました。ずっともぐもぐしていたい、複雑な味の、うんまい映画でした。
翌日もまだもぐもぐは続きました。「そう言えば○○さんも、日本人強制収容所にいたと言ってた。『アメリカなんて大嫌いだ』と言いながら、でもアメリカ大使館に勤めていて、仕事には誇りを持っているみたいだった。フクザツさあ」とか、「リンダの部屋はわたしの部屋よりも狭いぞ、ゼッタイ。それであんな爺さんと共同生活するなんて、とても真似できんわ」とか、「わたしが映画で観た二人のやり取りは、二人の間で起きたことのほんの一部なんだ」とか、「もっとたくさんミリキタニの絵が見たいなあ」とか。そのうちに、ひょっとするとこの映画はなかなか消化しないのかもしれない、ということにだんだん気づいていきました。噛めば噛むほど、味が出るというのとは少し違い、ずしりと体の中に溜まっていく、そんな感じでした。
二人の出会いが映画の始まり。そしてどちらにとっても、思わぬ人生大転換の始まりでした。ビデオカメラを携えてニューヨークのソーホー地区に出かけることは、この監督の日常だったんだろうと思います。路上で暮らすホームレスの背景に、聳え立つワールドトレードセンタービルを写しこむことは、彼女の世界観を表す格好の素材だったに違いありません。地上で、ドキュメンタリー作家リンダ・ハッテンドーフと、路上の画家ジミー・ツトム・ミリキタニが出会い、互いのしていることに興味を交わし始めた頃、空中では、ツインタワーの横腹に次々と、アメリカン・エアライン機が突っ込んでいったのです。リンダの部屋に避難したジミーはテレビニュースを眺めながら、「昔と同じだ」と言いました。60年以上の歳月に渡って、その瞬間を捨てずに生きてきた、言わば「怒れる年寄り」の静かなつぶやきでした。
もぐもぐしっぱなしのわたしは、再び映画館に行きました。そして今度は思考回路をもぐもぐ動かすのではなく、ジミーの存在にただ付いて行きました。自分の心を空っぽにして、映画の中のジミーに伴走する魂となって、凍てつくニューヨークの路上で寝、雨に降られ、風に吹かれ、リンダにわがままを言い、絵画教室で教え、次第に背筋を伸ばし、赤い帽子を被り、猫を遊ばせ、歌をうたい、新しいアパートに住み、誕生パーティに人を招き、ツールレイク強制収容所跡を鎮魂に訪れ、車中から夕日を眺め、60年ぶりに肉親と再会し、そして絵を描きつづけました。その間わたしはずっと、自分の涙に頬から首筋、胸までを包まれていました。恥ずかしげもなくただ泣いていました。暖かかった、表面の皮膚も、内側の心も。それでやっと気づきました。この映画は「再生の物語」だったのだと。気づくのが遅いです。そんなことチラシを見ればわかりそうなものなのに。
わたしは初めて、自分が傷ついている一個の年寄りであることを発見しました。まだまだジミーに比べれば若い、しかも苦労知らずでしょう。平和な日本で、頑丈な屋根の下でのほほん暮らし。しかし、魂の奥底で、わたしたちは自覚するよりずっと傷ついているのではないか?例えば、ヒロシマ・ナガサキ原子爆弾と聞くたびに、日本軍「従軍慰安婦」と聞くたびに、アウシュビッツと、サラエボと、チェチェンと聞くたびに、パレスチナと発するたびに、ウガンダと、アフガニスタンと、イラクと発するたびに。少しずつ小さな掻き傷が心に刻まれているのではないか?いつしか掻き毟るのに慣れてしまい、生傷の絶えない状態に気がつかないのではないか?わたしたちはわたしたちの世界と共に、誰もが血を流しているのではないか?
リンダとジミーの出会いは、9・11のもう一つの大事件なのかもしれません。どこそこで蝶が羽ばたけば太平洋でタイフーンが発生するというような、そんな極小の、しかし、やがて大きく世界を変えていくかもしれない「大事件」。それを目の当たりにしているという思いが、わたしの頬を濡らすのでしょう。この映画には確かにそんな途方もない力があるように思います。柔らかくて率直でタフな力が。
ハッテンドーフ監督はこのドキュメンタリーを完成させるのに5年の歳月を要しています。インタビュアーの「なぜ?」という問いに、「お金がなかったから。女性監督ではありがちな話。編集に9年かかった人もいる。わたしはラッキー」と答えています。粘り強く諦めない、柔らかくて率直でタフな、リンダみたいな女が、今もどこかでパタパタと羽ばたいている。簡単には飛べないけれど、確実に空気は動き、対流を始める。
ミリキタニの猫
THE CATS OF MIRIKITANI
2006年 米国 ドキュメンタリー
監督:リンダ・ハッテンドーフ
配給:パンドラ
公式HP:http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/index2.php
東京 ユーロスペース、
愛知 シネマスコーレ、
広島 シネツイン1
その他順次上映