まるでこの世の天国と地獄。医療費がタダの国、イギリス、フランス、カナダ、そしてキューバ。対するは、国民皆保険制度のない国アメリカ。この映画は地獄に住む可哀想なアメリカ人を通して考える、人間の、命の価値の物語。ちなみに日本にはありますね国民皆保険制度。よかったですね、よかったですか、日本の皆さん。
映画の冒頭で、民間の保険に入っていない人がどんな目に会うのか紹介されています。切断した指全部を治す金は無い。どの指を諦め、どの指をくっつけるのか。この人は生きている限り、寸足らずの指先を見ては、自分の身に起きた「ソフィーの選択」に胸を痛めることでしょう。話は続く。例え保険に入っていたとしても、いざとなったら理不尽な難癖をつけられて、保険金は支払われない。22歳で子宮頚がんになるはずがないと言われるとか、保険会社が違うからと急患の受け入れを拒否されるとか。がんで夫を亡くした妻が、高熱で子を亡くした母親が、涙ながらに物語る。けれど映画の中で最も多量の涙を流しているのは、保険会社の元顧客係り。ずいぶん良心が傷ついているみたい。
マイケル・ムーア監督はドキュメンタリー作家としてもっとも有名だろうと思います。権力者に直談判のパフォーマンスを交え、その波乱万丈のストーリーはへたな劇映画よりずっとおもしろい。事実を誇張しているとか、勝手に創っているとか、そういう批判もありますね。「やらせ」と紙一重、いや、これが本当の「やらせ」だ!くらいの勢いです。目には目を、プロパガンダにはプロパガンダを。作中で悪玉として追求されている人々にとってはもちろん、イノセントな観客にとっても彼は危険人物であるのかもしれません。それが何であれ、何かに安住すること自体に、あの巨体でゆさゆさ揺すりをかけてくる。彼の存在はきわめてアメリカ的。フロンティアで、正義漢で、自由で、現場主義で、陽気で、デブな白人男性で。白いアメリカ人が白いアメリカを批判するという安心感が受けている。彼を支持することで、良き白いアメリカ人となれるのだから。彼自身が黒人だったら、アジア系だったら、イスラム教徒だったら、女性だったら、これほど彼の手法が成功したかどうか。
そんな、マイケルのジレンマはさておいて、医療費タダの国々へ。イギリスの病院では、低所得者に交通費が支払われます。病院が金をくれることにマイケルはびっくり。わたしもびっくり。フランスでは医療だけに留まらない様々な政府からの生活支援が、フランス在住のアメリカ人によって報告されます。彼らはフランスで生活することに罪悪感すら感じるそうです。それはもう祖国喪失の域にまで達していないか?イノセントな観客のひとりとして、医療制度こそ国家の根幹だ、な気分にさせられてくる。
わたしの国では(日本ですが)タダじゃないです。保険は一本化されていませんし、負担金額は所得によって違ってきます。その上、同じ治療法でも部位によって、保険適用かどうか、これまたいちいち違ってきます。面倒くさいじゃないですか?それなりにコストもかかるでしょう?いっそのこと全部タダの方がどれだけすっきりするか、とズボラなわたしは思います。日本の医療制度は「SICKO」で語られているいくつかの医療制度の、ちょうど中間的な存在です。高額の最先端医療というものも存在し、なおかつ基本的なものは多少お安く提供されています。しかし、保険制度の医療概念が物質対価であることから、かなりヤバイことが派生しています。薬を出せば出すほど金になり、医師の技量はまったく金にならない。それでいきおい製薬会社が跳梁跋扈。例えば、明らかに効くとわかっている薬を、そのドクター懇意の製薬会社のものではなかったために処方してもらえず、寝たきりにまで追い込まれたがん患者を、わたしは知っている。きゃああ!暴露!その人はさまざまな資料を自ら調べて(寝たきりなのに!)転院し、今では趣味の畑仕事にいそしむ毎日。ああマイケル、この国にもネタは山ほど転がっているよ。
アメリカに国民皆保険制度が実らないにしても、せめて保険会社のCEOに良心があったなら、日本の医療費が全額タダにならないにしても、せめて厚労省や保険庁がもっとしっかりしていれば、などと夢見ないではおられません。国家やグローバル企業や軍隊といった大きな権力が、大きな権力どうしで手を携え、その狭間で小さな個人が翻弄されている図式はどこの国だってそう変わりはないです。9・11の救援活動で呼吸器を痛めた救命士が、キューバの医師に癒されて涙する「やらせ」シーンは、制度の不備を浮き彫りにする以上に、人間の心には助け合いの精神が備わっているということを感じさせてくれます。それはやっぱり希望なんだと、わたしの中の、限りある人間の命が、そう言いました。わたしはそれを聞きました。
シッコ SICKO
2007年 アメリカ ドキュメンタリー
監督・脚本・製作 マイケル・ムーア
各地映画館で上映中