●「めぐりあう時間たち」

いつの間にか随分時間がたちました。映画館でこの映画を初めて観たあの日から、もう一度自室でDVDを観直したあの日から、原作を読み終えたあの日から、本棚の奥のヴァージニア・ウルフを引っ張り出してみたら「オーランド」だったのでネット書店に「ダロウェイ夫人」を注文したあの日から。

つまりわたしは未だ「めぐりあう時間たち」旅行の途上にあるのですが、ここでちょっと立ち止まってみることにします。原作本の表紙には、入水したオフィーリアが川面を流されていくところの油彩画。末期につんだ野の花が力を失ったその手から離れ、うら若きオフィーリアの身体とともに水面を彩っている。あれを描いたのは地位も名誉も金も美人も全部持っていた百年前の英国の男。ああ、いかん、それは気持いいかもしれないけど、流されるのをやめて、川底に足を踏ん張って立ち上がるんだ、オフィーリア!(?)

さて、最初「めぐりあう時間たち」を観おわった直後、正直「なんか期待と違った」感を持ちました。女たちを描いた女たちのための映画だという前評判が高かったから、だから余計にそう感じたのでしょう。確かに、女たちがたくさん出てきて、女が女を愛するということが、違う主人公、違う時代、違う関係で何度も語られていました。そしてそれぞれがヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」で繋がっているという手の込んだ設定でした。だけど物語のかなめは、窓枠に腰掛けてごにょごにょ言って落下して、自ら命を絶った男詩人だったのでは?なんだ結局男の物語じゃん、とわたしは思ったのです。そう思った途端、作中語られなかった男詩人の人生が頭の中でムクムクと膨らんでいきました。ジュリア・ムーアの演じた主婦ローラ・ブラウンの、家族を捨てるほどの苦悩は、失った母への憧れを抱きつづける男詩人の哀しみと入れ替わり、メリル・ストリープの演じたクラリッサのちょっと頑なでエキセントリックな振る舞いは、男詩人の最期を見送る狂言回しと理解され、コートのポケットに石を詰め込み、川の深みへと向かうニコール・キッドマン演ずるヴァージニア・ウルフの姿は、あっと言う間に落下した男詩人の簡単すぎる最期を、別の角度から再演する駄目押しへとその印象を変えたのでした。それでわたし的にこの映画の評価はあまり高くなかった。物語の構成は卓抜だけどね、で終っていた。むしろ「このうそつき」くらいの気持でしたっけ。

ところが5年経ってもう一度観てみると、なんと随分印象が変わっていた。それはわたしの見方が変わったからだと、当たり前のことだけど、作品というものは変わらずにいつもそこにあって、そういうことを教えてくれるものだと改めて知った次第。

今回胸に焼きついたのは、複雑な物語の流れの中で、気にしなければ気軽にスルーしてしまうような、大筋とは一見無関係に思えるような小さなシーンでした。息子の訃報に、たぶん身元引き受け人として探し出されたローラ・ブラウンがクラリッサの家を訪れる。クラリッサの娘ジュリアのベッドを借りることになり、二人だけのちょっとした場面、ジュリアがローラに軽くキスをするのだったか抱きしめるのだったか。ご愁傷様そしてお休みなさいと。もう一つは、若き日の恋人そして最愛の男だったリチャードを失ったクラリッサ、彼の病状は末期だったし、いずれこの日がやってくるのは必然だった。それにしても自ら、しかも目前で死なれてしまったショックは大きく、クラリッサは動揺を押さえられない。長かった一日の終わりに、今現在の恋人、同居人のサリーにありがとうそしてお休みなさいとキスをする。人生には、訪れる人、立ち去っていく人、迎える人、見送る人が入れ替わり立ち替わり。強烈な事件や何気ない日常やいろいろあって、思い返せば総じてぐちゃぐちゃ、まるで失敗の積み重ねばかり。だから、そのときたまたま隣に居合わせた人の「許し」みたいなものに感動するってことがある。

5年前初めて観たとき、これはリチャードの映画だと思ったけれど、リチャードに気持を寄り添わせようと思うことはなかった。そんなこと全然思いつかなかった。ところが今、わたしにとってこの映画の印象が変わった最大の理由は、リチャードと自分を重ねて見る瞬間があったということ。去っていく人から見れば、引きとめようとする人のなんと的外れでお節介なことだろうか、だからこそなんと愛しく離れ難いものだろうか。人はいつでも誰かから(それは結局、何処かからと同義ですけど)去っていこう、或いは反対に誰かを引きとめようとして、果てしもなく引っ張り合っているのじゃないだろうか。でもそれが愛することの姿なのかもしれないと思う今日この頃。そんなふうに考えるようになったとは、お前この5年でどんだけ恋愛の経験を積んだのかー、みたいな話ですけど。てへ。実際は恋愛経験ではなくて、この世から立ち去る気分をちょっぴり体験したってことで、それはでも、切ないという点で恋愛と似たようなところもあるのかなと思ってみたりも。

そう言えば「ダロウェイ夫人」、いつしかツンドク山の彼方に埋もれてしまっています。この原稿を書き終ったらば掘り起し、「めぐりあう時間たち」旅行を再開しようと思います。時が過ぎいつかまた映画を観たとき、そのときわたしは何を考えるでしょう。何を見て、誰に自分を重ねるのでしょうか。

「めぐりあう時間たち」 THE HOURS
2002年 アメリカ映画
監督:スティーブン・ダルドリー
原作:マイケル・カニンガム


INDEX
[2008/11/14]
「ハンサム★スーツ」
[2008/10/26]
「やわらかい手」
[2008/10/11]
「おくりびと」
[2008/09/26]
「セックス・アンド・ザ・シティ」
[2008/09/12]
「グーグーだって猫である」
[2008/08/29]
「崖の上のポニョ」
[2008/08/01]
「ブリッジ」
[2008/07/04]
「西の魔女が死んだ」
[2008/06/21]
ジュノ/JUNO
[2008/06/09]
「ミス・ポター」
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ