●「ブリッジ」

前回お休みしてしまったので一ヶ月ぶりの更新です。誠に申し訳ないことでございます。このコラムを更新するべきその日、わたしはなんと、かのサンフランシスコはゴールデンゲートブリッジの上で、トレーナーのフードをすっぽりとかぶり、それでも防ぎようのない止むことのない海からの風に晒され、首をすくめてプルプルと寒さに震えておりました。初めてのサンフランシスコ。霧の都、ということは聞き及んでいましたが、夏でもこれほど寒いとは。ここは本当にレモンやオレンジのどっさり採れる太陽さんさんの国カリフォルニアなんでしょうか。

風にはぎ取られるようにして奪われていく体温。途切れることのない自動車の往来に、絶えず揺れ続ける鉄の橋。目の前には、逆光のために暗いシルエットとなって浮かぶ、漂流船のようなアルカトラズ島。そしてその孤島を囲い込むように、左右に広がる陸地の、左側には植生の緑、右側には高層ビルの立ち並ぶ都市の景観。ここはまるで、延々と続くはずの隊列から切り離され置いてけぼりにされた者が、外から遠く人の世を眺めるためにあるような場所ではないかと。観光客にはもってこいの、旅の孤独と止まった時間をせつせつと堪能できるグレート・ヴュー・ポイントではないかと。いやホント、寒いけど。

足下の海を覗き込むと、橋自体が揺れているせいもあり、吹く風に煽られさざ波を立てる水面のせいもあり、或いは前庭神経炎を患ったことのあるわたしの半減したバランス感覚のせいもあり、くらくらと吸い込まれていくような、もうどうにでもしてくれというような、「揺れる」ことにただただ身を任せてしまいたいような、心もとないような、自由なような気分になってしまう。ああ、ここがあのゴールデンゲートブリッジ、異色のドキュメンタリー映画「ブリッジ」の、その場所に外ならない。

映画「ブリッジ」は、橋全体を見渡せる袂の空き地にいくつかの固定カメラを設え、1年間に渡って、橋から飛び降りる人々、自殺者の姿を追ったドキュメンタリー映画だ。人がまさに今死なんとするその姿を、助けもせずに、映像にしようとする我欲が許せないという非難も、当然ながら巻き起こった。助けることは物理的に不可能としても、それはそのままドキュメンタリーというものの性質を問う、言わば形而上的な問いではないかと思う。形而上的という意味は、この映画の是非をうんぬんすることは、実際上の社会問題の解決につながらないのではないかという、わたしの思いを込めての言い回しなのだけれど。

「ブリッジ」の映像は美しい。なす術もなく人の自殺を眺めるわたしたち観客にとって、なんとも堪え難いほどに美しい。そのことはまた、美というものについても語られているということになると思う。美について考えるとき、いつも始めに思い浮かぶのは、美しいものは夕焼けであって朝焼けではないというようなことを書いた小説家の言葉。そういえば、その三島由紀夫もまた自殺者となった。彼は己の美意識のために死んだのだと言って、ご本人にも許してもらえるのではないかと思ったりもするが、ゴールデンゲートブリッジを死に場所として選ぶ人々にも、少なからずそのような気持ちが働いているのではないかと思わせられる。死に方もまた生き方同様、人それぞれが選択できるものであるのなら。人間社会の倫理として許す許さないではなく、可能性としてあるかないかという話として。

「自殺は是か非か」これは人間という生き物にとって、長く苦しい問いだと思う。鬱的な症状の一つとして「死にたい」と感じる場合もある。治る見込みのない、堪え難い病に冒され、人生のピリオドを切実に望む場合もある。また仏教説話の一つに、釈迦に食べてもらうためにと、自ら火に入るウサギの話というものもある。ハムレットの例もある。一概には論じられない。いずれにしろ「自殺は是か非か」、この問いは逝ってしまった者にではなく、残された者、捨てられた社会の側に突きつけられた問いだろう。映画では、橋上から落下していく人の映像とともに、遺族や親しかった友人らへのインタビューが組み込まれている。それは、逝ってしまった人をただの瞬間的な映像としてでなく、一人の人物として映画の中に刻印したいという思いなのだと、そう感じる。わたしはこの映画を最初から最後まで、目を開いてしっかりと観たいと思った。たまたま映像に撮られ、こんなふうに見ず知らずの者に繰り返し観られていると本人は知る由もないし、自殺といういろいろな意味でデリケートな場面であるだけに、様々な感じ方があるだろうけれど。

「Where are you from?」地元の小学生課外授業らしき一団が、次々と観光客に声をかけている。「I’m from Tokyo.」と答えると、真剣な面持ちでノートの端っこに何やらメモった。教室に帰り、ゴールデンゲートブリッジは1937年に完成し、世界で最も美しい橋と言われ、世界中から年間何万人もの観光客が訪れる、などと勉強するのであろうか。ふと見ると鉄骨の柱の一つに黄色い電話が設置されている。「CRISIS COUNSELING THERE IE HOPE MAKE THE CALL」というサインボード。たとえ電話が使われなくとも、最後まで誰かが気にかけているのだと、そういう意思表示は社会の側からもっと積極的にするべきなんだと、自殺大国から来た観光客は思うのだった。

ブリッジ BRIDGE
2006年 アメリカ合衆国
製作/監督 エリック・スティール


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