タイトル画像
ラブピースクラブショップ
スタッフおすすめトーイランキング
バイブレーター編!
No.1
誰もが虜になる大人気吸引式バイブ!!
No.1
女性2人が作った話題のトーイ!
No.1
ラブピースクラブロングセラー! 北欧の最高傑作トーイ。
スクールフェミ
型にはまらずに、もっと自由に生きよう
18.02.08 by 深井恵



『あたしおかあさんだから』が炎上していると、隣県の教員仲間が教えてくれた。絵本作家(のぶみさん)が作詞をしていて、「おかあさんといっしょ」の元うたのおにいさん(横山だいすけさん)が歌っているとのこと。何のことやら全くわからず、インターネットで検索してみた。

そもそも、タイトルからして嫌な予感がしてはいた。「わたし」ではなく「あたし」だし、「母親」ではなく「おかあさん」という言葉を選んだ感覚。一人称に敬称を使わせているあたり、自分のことを「先生」と呼んで憚らない教員にも通じる。若い母親を馬鹿にしている印象だ。

続く歌詞には、想像以上の内容に唖然とした。まずは、世の働く女性たちに失礼なフレーズから始まる。「おかあさんになる前、ヒール履いて、ネイルして、立派に働けるって強がってた」。まるで女性たちが立派に働けていないかのような歌詞。

そして、「今は爪を切り、走れる服を着て、パートに行く」。パートは立派に働いていないのか。そんなはずはない。パートであろうとなかろうと、女性たちは立派に働いている。

次に「おかあさんだから 眠いまま朝5時に起きるの」と続くが、おかあさんでなくとも、眠いまま朝5時に起きてるよと、ツッコミたくなる。眠くないまま朝起きる(変な日本語だけど)人のほうが少ないのでは?とも思う。

「おかあさんだから」、「大好きなおかずを(子供に)あげ」「新幹線の、名前を覚え」る。「おかあさんになる前」は、「好きなことして 好きなもの買って 考えるのは自分のことばかり」だったのが、「おかあさんだから」「今は服もご飯も 全部子供ばっかり」という。

子どものために尽くす姿をさまざま描き、その歌詞の合間に「あたし おかあさんだから」が呪文のように繰り返し繰り返し入ってくる。まさに「呪い」だ。

後半には、「もしも おかあさんになる前に戻れたなら」「夜中に遊」んで「ライブに行」き、「自分のために服を買う」と願望が出てくるが、「それ ぜ〜んぶやめて いま あたし おかあさん」。「あたし おかあさんになれてよかった」を繰り返す。

この歌詞を何度も読んでいるうちに、これ、本心なのか?と疑いの念が生じてしまった。いや、これ、自分を言い聞かせて、「幸せなんだから我慢しなくちゃ」「そうでも思わなきゃ、やってらんない」と、自分に嘘をついてる歌なのでは?

たとえ、「おかあさん」であろうとなかろうと、好きなもの食べて、時にはライブに行ったり、自分のために服を買ったりしてもいいのに。子育てにそこまで犠牲にならなくても、もっと自由でいいのでは? それがしたくてもできないから、歪んだ自己暗示のような歌を自分に言い聞かせているのではないか。

加えて、その「おかあさん」のパートナーは「ぼくは おとうさんだから」と自己犠牲を美化して自分に言い聞かせるだろうかと考えた。元うたのおにいさんに「あたし おかあさんだから」と歌わせる感覚は、男性演歌歌手に「女の操」などと歌わせる感覚に似てはいないかとも考えた。

「女はこうあってほしい」という男の願望を、あたかも女性がそう願っているかのように歌詞にして、男性に歌わせる。作詞した、のぶみさんという人、名前から女性かと思っていたら、男性だったんですね。知らなかった…けど、男性と知って、ある意味、納得した。

(かっこいい)男性に歌ってもらって、「おかあさん」は心に安らぎを覚えるのだろうか。女性が歌うと、リアル過ぎてダメなのだろうか。「おかあさん」と同じくらい、「おとうさん」も「(自分のため)はぜ〜んぶやめて」、「ぼくはおとうさんだから」「ぼくはおとうさんになれてよかった」と思えるのだろうか。

この『あたしおかあさんだから』からは、「ワンオペ」で奮闘する女性の姿が浮んでしまう。一緒に子育てをするパートナーがいれば、こんなに「あたしおかあさんだから」と繰り返し叫ばなくても、「ぜ〜んぶやめ」なくても、楽しく子育てできるのではないか。

「おかあさんだから、◯◯しなければならない」と、自他ともに型にはめて、息苦しく、生きにくくしている。もっといろいろな「おかあさん」があっていい。もちろん、「おとうさん」も。

そしてこの型にはめられる息苦しさ、私自身が「娘だから、◯◯しなければならない」と、まわりから要求されて感じたことでもある。

軽い認知症を発症している母がいることは、以前このコラムに書いたが、当然、その状態はいまも続いている。今後、悪化することはあっても、よくなることはないだろう。ケアマネージャーはついたものの、ヘルパーが見つからず、全く頼りにならない。母の介護保険料もこっちが払っているのに、納得のいく状況にはない。仕事が終わって毎日実家通いが続いている。

その母の介護をめぐって、この「型」が何度も突きつけられる。母をクリニックに連れて行けば、「えっ、お母さんと同居されてないんですか⁈」と、「(親が認知症を発症したら)娘は同居するのが当たり前」と言わんばかりの言葉が返ってくるし、母が警察に保護されれば、「娘なら、どんな用事があろうとすぐさま引き取りに来て当たり前」といった態度で対応してくる。

その「型」を押しつけられるたびに、「認知症を発症した母と同居していない私は、親不孝なんだろうか」とか、「用事があって引き取りに行けない私は、ダメな娘なのだろうか」とか、多少なりとも良心の呵責に苛まれてしまう。そんな気分になる自分にも嫌気がさすが、なかなかきっぱりと割り切ることができないでいる。

もういい加減、そんな型にはめるのはやめにしよう(自戒も込めて)。少子化も進んで、いわゆる「おひとりさま」も今後ますます増える。たとえ「おかあさん(おとうさん)」であろうと、娘であろうと、対応できないものはできないし、社会全体で支え合わないと立ちゆかないことはわかっているはずだ。

『あたしおかあさんだから』の炎上は、ひと昔前なら、じっと我慢していた女性たちが、「それはおかしい!」と口々に声を上げ始めた証だ。この手の歌はもう流行らないと、つくる側が気づいてもいい頃だ。

今年の自分の目標に、「娘だから〜」という思考回路を断ち切ることを、新たに加えた次第である。果たして、できるかな?

著者| 具ゆり深井恵打越さく良阿部悠牧野雅子
プロフィール
深井恵
深井恵(ふかい・めぐみ)
九州某県の高校日本語教員。
日教組の「教え子を再び戦場に送らない」に賛同して組合加入。北原みのりさんとは、10年以上前(ジェンダー・フリー・バッシングがひどかった頃)に組合女性部の学習会講師をお願いして以来の仲。