一昨年のことだけど、地元の駅前を一人で歩いている時に、背後から突然、本名の(nosuma)さんじゃないの? って声を掛けられて、振り向いた先には自転車に乗った女性の2人組がじっとこちらを見ていた。顔を見ても誰だか判らなかったのだけど、もしかして義務教育期間中の同級生の誰かだろうかと脳内が認識した途端に一瞬やべぇっ、とドキッとしてしまった。しかし、その瞬間に、もう一人が猿みたい……と感想を洩らしたため、声を掛けた彼女は何も言わずに立ち去った。吉本ばりの、お笑いフェースでこんな時、良かった……と一抹の寂しさと共にその場を後にしたのだけど、この自分の心情の一瞬の躊躇にこそ私自身の中にある『マジョリティー』視点への潜在的具現を顕にしていて、げんなりする思いで帰路に着いた。
私は顔も覚えていない(多分)同級生に今の『自分』のままで声を発することにより、彼女の中にある筈の『nosumaさん像』が壊れて混乱する事へのリスクをご丁寧にも『彼女の目線』に置き換えることで、何とかやり過ごそうとしたんだと思う。其れが重要な事なのかどうかは声を掛けた当人しか判らないし、向こうもそんなに覚えていないかも知れなかったのに………私は『自分自身』をあの瞬間、巨大な『マジョリティー』社会に新たな『マイノリティー』として、なんだこいつ?と思われることを拒否してしまった。その事に苛立ちを感じない日は無いにも関わらず、どうしてそんな事になったのだろう?
自分の中にも厳然と巣食う、常識や普通である事の縛り。この場合は『無口で無表情』のおかしな『マイノリティー』として彼/彼女たちに同一の私を『提供』する事こそが、この場で私が出来る『マジョリティー』化への貢献になってしまうのだと思う。それに取り込まれない為には、私のカムアウトは常に曖昧さのゴーストを持つ、時としてはた迷惑でやる気が無くて、それを持って(持たなくて?)私はようやく他ならぬ『自分自身の内なるセクシャル・フリー!』の出発と(私自身に対して)声を上げることが出来る………ような。
さてと、気を取り直して、ちょっとだけオタクマーケットの歴史で面白いことを見つけたので、それについて。
中々、諸般を抜け切れない、スットコドッコイも此処に居りますが(涙)、何かが大きく動く時代の転換点には、必ず起因する社会時事があるのは言うまでも無く……かつて80年代後半頃まで、オタクに『オタク』と言う呼び名が無かった時代。
今のように秋葉系が無い頃には実は『キャラもの』系のオタクはストーリー重視のオタクからは一段下に見られていました。それが顕著に入れ替わりだしたのが90年代初頭辺り、丁度バブル期の終盤から崩壊の辺りと綺麗にリンクします。同人系の漫画家が目立ち始め、CLAMPや高河ゆんと言った層々たる顔ぶれもこの頃に上がり始めていました。そして、バブルの混乱の最中で、ゲームの世界では『ときめきメモリアル』などの現在のギャルゲー市場の先駆けになったキャラもの路線が急成長し始めました。『燃え』の誤変換である『萌え』が出始め、秋葉のオタクが市場で目立ち始めたのも、此処からだったと思います。高度経済成長神話の呆気ない終焉と10年以上にも渡る不況の最中で、大人たちは鬱々としたフラストレーションを溜め込んでいました。
そのどさくさを衝いたのかどうかは判りませんが、本来ならアングラと言っても良いような陰鬱でストーリーの無い『新世紀エヴァンゲリオン』などのロボットアニメが表の市場に出始めます。当時斬新と言われたその手法は現在にも受け継がれています。その作品中の人気の高かったヒロインの綾波レイ、彼女には徹底的に自意識がありませんでした。製作者によってこれでもかと言う程、人間性を削ぎ落とした。オタク男の夢のような女神キャラでした。そして、その後発のアニメの中にもギャルものを中心に次々と自意識の異常に薄いヒロインが造られて行きます。
はっきり言うなら不気味な光景でした。美少女と一纏めに括られた、ヒロインたちの中から、中身が無くなって空洞になり、替わりに魚の切り身のような切り刻んだ人格が一つずつ表面にまぶせられる光景です。それを彼らは選ぶ立場で萌えと呼んで愛でました。
順序が前後しますが、CLAMPなどのビッグネームも史上初の少女向けロボットアニメの『魔法騎士レイアース』の頃にはまだあった主人公の自意識を後の『カードキャプターさくら』の頃には秋葉向けにすっかり削ぎ落としていました。そして90年代の最大の少女向け企画としてフェミ的な作品として誕生する筈だった『少女革命ウテナ』の主人公ウテナから、プロデューサーの意向に寄って自意識が削ぎ落とされた時、其処まで残っていた非秋葉のスートーリー派のフェミ的希求をまだ持っていた女子オタクたちの間にも変動がありました。
当時、この作品を同列軸で視聴していた私は何でこの主人公は格好良くて少女漫画で女子向け市場なのに、こんなにも自意識が薄いんだろうと、落胆しながら見ていたのを覚えています、そしてアニメ雑誌のインタビューで当時のプロデューサーが嬉しそうに「見る人が見れば判ると思うけど」と前置きして、主人公のウテナに堂々と自意識が無いことを明かした時、私はもうなんて言うか、このドアホウと此処でもげんなりしてしまったんです。何故、女子のエンパワメント的な話になりそうな企画から、こんな事が行われているのか…こいつが根は男尊女卑のヘテロ男だからなのか、と情けない気分でした。
これ以降、秋葉の台頭は、失われた10年、15年、と言われる経済不況の最中、ずっと続いていきます。そしてオタク市場が極端に男尊女卑化する中で、其処に付いて行く少数市場の腐女子たちの様子も時代と共に変化していきました………。あの日見たウテナのエンディング曲の歌詞に刻まれた対話を忘れた市場の言葉。
「これ以上、話をしてもあなたには見えない」
見えなくなっていたのは、女子たちの中に無意識にでもあったフェミ的、希求であり、何度も繰り返された残酷な市場からの削ぎ落としの儀式でした。
以上が駆け足で見た現在までの流れです。
どうして今、こんなことを今更語るのかと言うと、似ているからです。大きな時代の中での金融の流れの変化と共に、アメリカ発のサブプライム・ローンに端を発した流れの転機が今、此処にあるからです。サブカルと言えども市場です。これからオタク市場は、そして腐女子と女子オタクたちはどこに行くのか、注視して行きたいと思います。腐女子を名乗る私のためにも。