本日は晴天

本日は晴天 風薫る五月、最終回をそんなありきたりな言葉で始めようと思った。NHK朝ドラ級のダサさにため息も出るが、ある意味これは本心。日が暮れる前に早く書き上げて、外に出て、新しい自転車でも買いに行きたいものだ。されど最終回。3年間の思い出が頭をよぎる。なかなか言葉が選べない。

3年前よりがんは小さいまま、本当に何事も無いまま、月日が経った。人間はやはりそう簡単には変わらぬもので、こうなってくると、厳しい治療をしていた頃の緊張感や覚悟のようなものはだんだん薄れていってしまう。次にまた腫瘍マーカーが上がってきたとき、骨シンチグラムで黒い部分が広がっているのを目にしたとき、あるいは突然眩暈や呼吸困難に襲われたとき、がんで死ぬかもしれないことを、駄目になりそうな自分の心との対話を、もう一度始めからやり直すことを想像すると、やれやれという気にもなるのだが、だいたい何が起きてくるのか予想がつく分、次回はもう少し楽だろうかとも思う。

反対にがんになってからは、生命の危機を経験した人誰もがそうであるように、生きているだけで幸せ、という気持ちも芽生える。その後に続いていく毎日が以前と違うわけはないけれど、何かもう少し中身が詰まったような、色艶が増してきたような、良い香りがしてくるような、そんな幸せな錯覚も味わうことができる。さらに、一度駄目になった身体の機能が蘇ったりした日には、喜びもひとしお。例え病が完治することなく、やがて再び窮地が訪れるのだとしても、復活の喜びを経験するに越したことはない。

学生時代からの親しい友人が、「自暴自棄になってないか、大丈夫か」と心配してくれた。けれども、咄嗟にそれがわたしのことだと解らなかった。「それは大変だ。誰?誰が自暴自棄になんかなってるの?励ましてあげなくちゃ」反射的にそんなことを考えた。それほど、自暴自棄というのはわたしにとって、はるか彼方の言葉だったのだ。3年前のわたしは、簡単な検査のときでもドクターの触診のときでも、「肩の力を抜いて下さい」とよく言われていた。けれど自分では、それはどうすることなのか解らなかった。肩に力が入っていることも解らないのに、抜くなどということができようか。それと同じように、今わたしは自暴自棄ってどんな感じだろう、などと考えている。自分は自分と或いは自分の身体とともにある以外にどういうあり方があるだろう、それは肉体が滅んでからのお楽しみだ。生きている限り、自分自身とはどこかに捜しに行くようなものでもなく、そこらに転がっているようなものでもなく、捨てたり拾ったりできるようなものでもない。別に何か悟ったことを言うつもりではなくて、当たり前のことをくどくどと言っているだけ。ご迷惑さま。

どうやら明るく前向きに終ろうとしているなコンチクショウ、と我ながら思ったりするけれど、仕方がない。本日はそんな気分だ。ところで、晴天だったはずの空模様だが、北北西の方角から、おやおや何やら真っ黒な雲の塊がずんずんずんと近付いてくる。「大雨洪水警報が発令されました。河川の増水にご注意ください」などという町内放送が響き渡る。ベランダに出て眺めてみると、人々はまだのんびりと、学校帰り、子連れの買い物、午後の散歩を楽しんでいる。ああ、そらそこに暗雲が。唐突に強い風が巻き起こる。パラパラと大粒の雨が落ちてくる。走り出す人、笑い出す人、子供を抱える人、用意がいいな傘をさす人、わんわん吠える愛犬に引きずられる飼い主、どういうわけか爆竹で遊び始める小学生、全速力で走り去る自転車、見る見る勢いを増す川の流れ。そして降り込んでくる雨に耐えきれず、ピシャンと窓を閉めて部屋うちに避難するわたし。暫くガラス越しに外を眺める。家々の屋根の上で跳ね返された雨が、風に煽られ波頭のように白く舞い上がっている。海だ、まるで海のようだ、まるで海岸にいるようだ。(しかしいったいあの洗濯物はどうなるのか)

この連載で一つだけ心残りがあるとすれば、それは「父親にがんカミングアウト」編をお届けできなかったことだろう。実は先週できればそれをしようと、新幹線に乗り、父に会いに行ってきた。駅まで迎えに来てくれた父を一目見て、わたしははっきりとシマッタという気持ちになったのだ。そこにはわたしの心に焼き付いた、憎きD.V男であり、世界最悪の酔っ払いであり、話の通じない喧嘩相手であり、頭ごなしにどなり散らす暴君であるところのあいつはいなかった。そこにいたのは、似ているけれどそんな男の抜け殻みたいな、白髪をふわふわさせた、笑うと目もしわもわからなくなるような、電車で前に立っていたら迷いなく席を譲るだろうような、そんな普通のじいさんであった。神様は平等なのか不平等なのか、どんな人生を送ろうと、人は誰でも長生きすれば例外なく、年寄りという平和な存在になれるのだった。そうか、今度はそう来たのか。次の一手を先に打たれてしまったようで、悔しかった。所詮親には追いつけないのか。ギャップが埋まってきたなと思った頃に、今度は別の方向へするっと逃げていってしまう。三日間いっしょにすごして、よくよく考えてみたけれど、やはり黙っていることにした。理由は前と少し違う。本当に、この小さな平和を乱したくないと思ったのだ。傲慢かもしれないけれどね。

おお、カーテンの生地を透かして、金色の夕日が差し込んでくる、眩しい。いつの間にか雨は止んでいたようだ。川の流れはまだ早いけれど、遠くから洪水警報は解除されたと広報する声が聞こえてくる。飛んでいる姿はないが、どこかで小鳥がほっとしたのかチチチチチチと鳴いている。常日頃、美観を損ねるからして地下に埋めるべきであるとわたしが嫌うところの電線に雨露が連なって、光線を受けて、早朝の蜘蛛の巣さながら、ピカピカに輝いている。やがて日が暮れる。この部屋からは毎日夕焼け見放題。雨雲が途切れ途切れに漂う今日は、また一段とドラマチックだ。自転車は買いに行けなかったな、明日にしよう。刻一刻と様子を変える空模様、さっきまで金色に染まっていたビルの壁面が、今、とっぷりと暗くなった。今日一日の物語にも終わりのときが近付いている。

*ご挨拶*
皆さま、「半社会的おっぱい」本編を持ちまして、丸三年間の連載終了です。長い間のご愛読、誠に誠にありがとう様でございました。いや〜、死んでないよフーサン!これは何ですか?LPCパワー?きっとそうに違いない!
これからも、皆さまのご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます!
それでは皆さま、またお会いする日まで、さようなら。


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