48 がんが消えた

がんが消えたけれど、予想外に嬉しくない。全体として気持ちが弛緩している。いらいらしてさえいる。頭上の重石が理由も無く、努力もせずに突然消えてなくなった。少しの達成感も無い。ただ生きていると言うこと以上に何の生きがいも感じない。がんで死ぬかもしれないけれど、残された時間を精一杯生きようなどと殊勝なことを考えていたのはつい昨日のことだと言うのに、がんで死なないらしいと言うことになった途端、どうしたことか、生きている意味さえ見失ってしまいそうだ。

左乳房の表面に相変わらず巣くっているがんの原発腫瘍が進行しない。進行しないどころか、時間をかけてゆっくりと縮小し続けている。去年の今ごろ、皮膚に浸潤していた腫瘍が崩れ落ち、直径3.5センチ大の穴が開いていた病巣部は、今では小指の先ほどの、ちょっと引きつった火傷の跡みたいなものになっている。少しデコボコしているので、まだがん細胞が残っているのは確実だ。しかし、以前と比べれば、これはがん細胞の集団ではあるだろうが、腫瘍と言うほどのこともない、まあ言えば痕跡程度のものである。ドクターから「病気としては治まっている」という診断もいただいている。では、胸骨に転移したがんはどうなっているのだろう。ドクターもわたしも知りたかった。

「もう一度検査してみましょう。胸のレントゲン、骨シンチ、MRIを予約してください。」骨に関しては痛みが出てから放射線をかける、これが治療方針であったはずだから、写真にしてこの目で確かめる必要は全く無い。にもかかわらずドクターは検査を指示し、わたしは検査費用3万円を支払った。

「調子はいかがですか。」相変わらずいつもと同じ滑り出しである。「どうってこともありません、調子はいいです。」わたしの方もそっけない切り替えしである。内心、「検査の結果が悪くても、気にしない気にしない。今痛くは無いのだから、今を大切にしよう。」と自分に言い聞かせていたので、目前の会話の相手に愛想を向けることを忘れていた。ドクターから体調についての質問が二つ三つ続いたが、何を聞かれたのか覚えていない。「そんなことより」と言う思いで一杯だった。「検査の結果は出ていますか。」「出ています。その前に胸を見せてください。」はいよとばかり、いつものようにわたしは無造作に、ドクターの目の前でシャツとブラジャーを同時にたくし上げた。どうしてもったいつけているんだろう、わたしの気持ちは悪い予想の方へと更に大きく傾いた。

「すごく良くなっています。」「えっ? そうですか。」「レントゲンにも骨シンチにも何も写っていませんでした。MRIには少し写っていましたが。」そこでわたしは万歳のポーズをとった。両手を挙げながら、ドクターの瞳を見つめて、うそをついている目かどうか確かめようとした。しかし目を見ただけではわからない、が、この人は今まで一度もうそや曖昧なことを言った試しはなかったから、結論として信じるのが当たり前だった。

「何が良かったんでしょうね。」ドクターはわたしから何か引き出したいようだっだが、わたしが何も答えないので「ホルモン剤も効いていますね。」と続けた。「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。何が良かったのかなんてわからない。アガリスクを飲んでみたこともある。一週間に一度、琵琶の葉のお灸にも通っている。玄米を食べているし青汁も飲んでいる。もちろんホルモン剤もまじめに飲みつづけている。パワーストーンを身に着けているし、白血球がパクパクがん細胞を食べるシーンを想像してみてもいるし、面白かったら遠慮せず大声で笑っている。爪揉みはそう言えば最近は忘れていた。鹿児島のヒーラー先生のお力であるとも無いとも言えなくも無い。」気もそぞろと診察室を出て行くわたしにドクターは、「治ったわけではありませんからね。」と念押しした。

がんが消えた告知の瞬間、もちろん嬉しかった。だがしかし、その半日後、わたしは早くも嬉しさを持て余していた。「普通だったら、家族でお祝いするような大変なことだよ。」わたしは不機嫌そうに友人に愚痴を垂れた。家族に伏せているというのは、こういうときはつまらないものだ、寂しいものだ。一人で、辛いことを受け止め耐え忍ぶことができても、喜びを分かち合う相手がいないことが、こんなふうに不満をもたらすものだとは初めて知ったのだ。わたしという人間は、不幸には慣れているが、ただ幸福でいることが苦手とでも言うかのように、つまらない考えがむくむくと頭をもたげてくる。

もちろん夜になって、わたしの素的な友人たちはお祝いしてくれた。わたしは食べ過ぎで腹痛を起こし、帰りがけには前かがみになり電車に乗ることを危ぶまれるほどに、思い切り飲んで食べたのだった。

しかしその後、あの不満な感じはもっとひどい不機嫌の予兆だったということが判明した。わたしは今、以前の屈託の無い自分に戻れず、途方にくれている。屈託の無いと言って、悩みが無かったわけではないが、生きていること自体に疑問をもつようなことは無かったのだ。

がんが消えたと言うことは、それは一部の健康食品のコピーに見られるような、衝撃的かつ決定的なことなどではない。がんは消えたって、治ったとは言えないのだから。更に極論を言えば、人間は誰でもいつかは死ぬものだから、完全な安心ということはあり得ないのだ。どんなにがんが良くなっても、一度経験した、死ななくてはならない運命を悟ったときの無力感が払拭されることは無いだろう。わたしは死ぬのだ。生まれてきた一人の人間として、何の例外も無く。

わたしはヒリヒリと何かを渇望している。それは何か。今日のところはただ漠然と「生」と呼ぶしかないのだが、わたしはその正体を求めて、ふらふらとさ迷っている。いったい何処へ行ってしまうのか、気持ちの落ち着きどころは見つかるのか。

死なないだけで生きているとは言えないし、がんが治ったからと言って、何かとうまくいかない人生の全部が治ったわけでもない。我ながら、何を贅沢なことを言っているのかと思う。人は皆己の十字架を背負って歩いていくのだなどと、自分に向かって説教してみたが、馬の耳に念仏。わたしは思い切りわがままになって、がんといっしょに今までのわたし全部消え去れ、と世界の真中で叫びたい気分なのだ。

いつか、今日の自分を後悔することがあるかもしれない。つまり、再びがんが勢いを取り戻し、抑え様も無くわたしの生命を脅かすとき、今日のこの日の憂鬱を、何てもったいない時間の無駄であったのか、と嘆くことがあるかもしれない。しかしわたしは今、がんばって立派に振舞うことだけでは気がすまないのだ。わたしの中のたいしたことない駄目な奴らが、自由にさせて、わたしにも生きるチャンスを与えてと、もだえ蠢き出している。


INDEX
[2006/05/20]
本日は晴天
[2006/05/16]
トランスジェンダー的
[2006/05/05]
連休中は時代劇鑑賞
[2006/04/14]
お腹の中に何か暖かいものが
[2006/04/07]
「最期まで希望」
[2006/03/30]
同情と共感
[2006/03/17]
女人禁制とは、
[2006/03/10]
がんとがんじゃないものの境界線
[2006/03/03]
つまり、男女共同参画ってこと?
[2006/02/20]
2月25日発売!
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ