50 鉢カバーの底にカビ

鉢カバーの底にカビが生えていたのだ。不覚。不覚。これこそがここ最近の不調、全ての原因であったに違いない。

実は一月ほど前から、ドラセナの鉢にかぶせた藤の鉢カバーに、一部白っぽい汚れが付着しているのに気が付いてはいた。それはわたしにとっては毒中の毒であるカビ類によく似ていた。先行き恐ろしいものを人は見てみぬふりをするものだ。誰がどう見たってそれはカビだったのに、なぜ放置したのだろうか。後悔。後悔。

あれほどわたしに付きまとっていたアトピー性皮膚炎の痒みは、この一年どういうわけか音沙汰がなかった。本当になぜだろう。抗がん剤で体全体の勢いが衰えて、自分自身を間違って攻撃する狂った免疫力もまた衰えていたのだろうか。

なんとなく、ひょいとドラセナを持ち上げてみると、鉢カバーの底には緑色の発達したカビ大国が出現していた。「これか!」二週間ほど前、突然勢いよく襲ってきたアトピー。皮膚の表面、角質層はボロボロに剥げ落ち、瞬く間に顔面は赤く腫れ上がった。手足にぶつぶつと発疹が現れ、容赦なく痒みが走る。皮膚に爪を立て、ただ無心にがじがじと掻き毟る。時間の観念を捨て、自尊心を捨て、心は空ろになってゆく。ああ、このようにアトピーにおける苦悶を言葉にするだけで、痒みが増していくではないか。痒い、痒い。

一週間前、わたしは鉢カバーを部屋から追放し、満足して眠りについた。少し休めば顔面の腫れも退き、朝は爽やかに訪れるはずだった。ところが、目覚めた世界は重苦しく、切ないほどに不快だった。ざわざわと不吉な空気がわたしの身体を覆っていた。なぜだ。なぜなんだ。

アトピーは痒いだけではない。それは今回、突然がくんと発症したために、初めて気付いたことなのだが、言いようのない倦怠感を伴うものだったのだ。この部屋からカビの胞子を一刻も早く取り除かなければならない、掃除をしなければならない、隅から隅まで、徹底的に。ところが体は動かない、気だるい眠りの中に、泥に溺れるように、引きずり込まれていく。

それでも何とか、数日かけて、カバーを外して布団を干し、部屋中のファブリックを洗濯機にぶち込んだ。半分やけになっていたので、浅はかなこともした。羽毛の薄がけと羊毛入りの敷き布団カバーが、乾燥機の熱にやられて固く縮んでしまったのだ。もう捨てるしかなかった。馬鹿だ。馬鹿だ。いろいろやってみたけれど、ざわざわとした痒みは治まらなかった。ホルモン剤が引き起こす更年期障害様の副作用に「皮膚の痒み」というのがあるが、まさか。

「もうがんはいいから、アトピーを何とかして下さい。」やけになって鍼灸師に頼んでみる。捨て鉢とはこのことだ。鍼灸師は困っている。「もう、がんの方は心配ないんですね。よかったですね。」と言ってはいるが、声に力が入っていない。どう返事したらよいのかわからないので、適当を言っているらしい。アトピーになるとわたしの場合、心が更に捻くれる。心配そうに「痛々しいですね。」と言ってくれたのに、「こんなの楽な方です。もっと酷くなることもあるんですから。」などと不満げに言
葉を返す。「わたしは痒いんだぞ。」という他の人には理解不能な物差しを振りかざし、同情を退け、無関心をなじるのだ。アトピーとは「場違いな」という意味だと聞いた。わたしがこの世にいることが場違いなのだろうかと被害妄想さえ生じてくる。

がん患者は皆に大事にしてもらえる幸せ者です、と言った人があった。その言葉を聞き、確かにそういう面はあるな、けれど「幸せ」は言い過ぎじゃないの、と思ったものだ。しかしだが、例えばこのコラムの第一回目が「わたしはアトピー性皮膚炎です。慢性病です。良くなったり、悪くなったりします。」などと始まったとして、いったいどれほど人の興味を引くだろうか。

病気はそれぞれにイメージを纏っている。またそれを突き破ったり、再構築したりする真実の物語というものが求められる。特にがんの場合、もう病気と言うカテゴリーを飛び越えて、がんだけで括れる新領域として成り立っていると思われる。がんにだけ有効ながん保険というものが登場し、更に成長して今度は反対に他の病気の補償もするという。がん専門の雑誌、書籍はたぶん他の病気全部あわせたものより多いのではないか。少なくとも書店で受ける印象からはそう思う。がんはもはや病気ではな
い。がんはがんとしてがんなのだ。日本国において花と言えば桜であるがごとく、そのうち病気という称号さえも他の病気から奪い取るに違いない。

近年益々患者が増え、治療法が発達し多様化し、サバイバーも増え続け、しかしまだ死亡率は高く予断を許さない。平凡な普通の人に容赦なく襲い掛かり、それまでとは違う新たな試練を投げ与え、がんというモノガタリ・ワールドへの門を開く。「ウェルカム!さあ、このラビリンス、うまく出口にたどり着けるかな!」ってなもんである。そして患者や周辺の人々が紡ぎ出す物語を冒険を、皆でこぞって見守るのである。患者本人さえも、自分はこの先どうなることかと、あの人みたいにああなるのか、それともこうなるのかと、物語を追い続ける。がんには起承転結がある、そしてその行方も様々である。情味豊か、波乱万丈、言葉は悪いが興味津々である。

それに引き換え、アトピーのつまらないこと。自分自身アトピーの先行きをイメージすれば、砂漠のように、縛とした広がりと蠢く砂粒の集積のみだ。痒いという言葉以外何も思いつかないし、何も語りたくない。

語りやすい病、伝えにくい病、体系的に形の見える病、掴み所のない病、誰も知らない病、語られない病。何かを語ることが、語られないことを生み出すのだろうか、それとも語ることは語られないものへの視線を孕んでいるのだろうか。


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