49 なまくらだから

なまくらだからこのさい、精神修養の旅にでも出ようと思う。そう打ち明けると、お灸の先生は「どこの寺に行くのか。」と訊いてきた。わたしは腹ばいの姿勢のまま、心持ち首をもたげて、「寺じゃなくて、旅。」と繰り返す。「温泉にでも行こうと思ってるね。修行と言うのはそうじゃないよ。お寺の廊下で雑巾がけをするとか、滝に打たれるとか、断食するとか、写経するとかしなくちゃ駄目だ。」さすがにお見通しだ。こちらが丸裸で無防備に横たわっているためだろうか。逃げも隠れも、言い訳もできない状況だ。

背中のお灸が熱くなったので、「はい。」と声をかけて位置をかえてもらう。ここのお灸は、琵琶の葉を肌に当てた上から火のついた百草の束を押し当てるというやり方だ。わたしが一週間に一度ここに通いだしてはや十ヶ月。しかし始めから代替医療はここ、と決めていたわけではなかった。

抗がん剤投与を始めた当初は、気功の治療院に通っていた。そこでは、わたしは診療台に寝ているだけで、体に直接は触れられず、気功師の指先から発せられるパワーを体で受ける、という治療だった。気功師は、わたしが抗がん剤を続けていることを心配してくれていた。「あれは体によくない」と。おっしゃる通りなのだが、一方で最新の西洋医療を施され、一方でそれを否定されるのでは気持ちが萎る。わたしはそのとき、いっしょに苦楽をともにしているかのように精神的にも頼れる代替医療が欲しかった。それはとりもなおさず、がんセンターのお忙しいドクター方に、精神的に頼ることを諦めたからに他ならないのだが。

乳がんであることを告げると、開口一番、マッサージ師は「がんも揉んだらよくならないかな、胸も揉んであげようか。」あちゃー、と目を覆うばかりのセクハラをかましてくれた。挙句、にこにこと微笑んでいる。そのあまりの屈託の無さに、わたしはペナルティ一回は許すことにした。なにしろ抗がん剤の治療中だ、すけべなおやじと口論するほどの体力はなかった。たぶんがん患者を前に、自分自身の緊張をほぐそうと、つい言ってしまったのだろう。わたしはおやじに甘いのだ。同類だから

マッサージ師は傍目にも一生懸命揉んでいた。「人の体は好きだから。わたしが治してあげたいから。」といつも言っていた。そして「女の人を揉むのは好きだ。」とも言った。揉まれている側としては困った一言だ。彼は女の人にはすけべをかますのが礼儀だと勘違いしている、お馬鹿なおやじの代表だった。わたしは、前払い料金と引き換えに貰ったカードがまだ有効なうちに、そのマッサージに通うことを止めた。セクハラ発言によるというよりも、ワンパターンなマッサージに飽きたからだった。や
はり品格と才能・技量は比例するのだ。

わたしが受けた化学療法は通称CEFと言う。シクロフォスファミド、エピルビシン、5−FU。三種類の抗がん剤を3週間に一度、合計6回点滴で体内に入れた。抗がん剤とはもともとナチスドイツ軍の使用していた毒ガスから研究されたものであるというのは有名な話だが、毒性の高い薬というより、実際受けた体験から言わせてもらえば、それは疑いもなく毒そのものだ。

喉もと過ぎれば熱さ忘るるというがごとく、大抵のものは、そのときはいやだと思っても、また受け入れてしまうものだが、わたしにとって抗がん剤の辛い記憶は薄れることは無い。自分が同じことをするとは限らないけれど、命がかかっていてさえ抗がん剤を拒否する人の気持ちはよくわかる。これから抗がん剤を受ける人もあると言うのに、このように書くのは好ましくない。抗がん剤は種類や量や投与方法、期間など細心に調整し、補助的に様々な薬を併用することで、その副作用は随分抑えられるのだ。と言い換えておこう。

髪の毛も白血球も時が立てばいずれまた戻ってくる。卵巣機能がダウンして、閉経してしまったといっても、もともと子を産む予定もつもりもなかったのだから何も悩む必要は無い。しかし抗がん剤でからだを傷つけられたことは、まるで暴力を受けたことのようにわたしの心をも傷つけていた。元気になった今、わたしが感じるものは「恨み」である。むろん施したドクターを攻めているのでは毛頭ない。何だか通り魔にやられてしまったような、打ち消し難いわだかまりが心の片隅に巣くっているのだ。気にもしていなかった閉経が、何か取り返しのつかないことであるかのように感じる焦燥の一瞬がある。人の心は不思議なものだ。

がん闘病の一年間、体を精神を鍛えていたというのとは違うのだから、ひとまず危機が去って、平常心に戻ってみれば、相変わらずのなまくらななまけものだったと言うことが解っても、それほど落ち込むことはない。そう言って自分を叱咤してみる。がん闘病の成果はがんが治るかどうかなのだから、それ以上の成果を求めてみても始まらない。それはそうなのだが、自分に嫌気がさしてくる。

こんなことを書くこと自体、我ながらなんという情けない奴かと、恥ずかしささえ感じる。しかし書かずにはいられなかった。わたしは亡くなったいとこの兄にメールを出した。「なんとなく、自分だけよくなって、申し訳ないような気もしています。と言うか、○○○さんのことを思うと寂しいです。そんなことを言ったら、みなさんに叱られるだろうとはわかっているのですが。すみません。」

折り返しすぐに返事が届いた。「○○○のことは残念だったけど、残された人が頑張るしかないと思っています。」とあった。わたしはその短い一文を読んで泣いた。今こうやって助かったような気になって心を弛緩させてみれば、がんの告知を、とりわけ転移進行がんである告知を受けてから、どれほど自分が緊張を強いられ、危うい綱渡りをし続けていたのかが身にしみてわかるのだった。



INDEX
[2006/05/20]
本日は晴天
[2006/05/16]
トランスジェンダー的
[2006/05/05]
連休中は時代劇鑑賞
[2006/04/14]
お腹の中に何か暖かいものが
[2006/04/07]
「最期まで希望」
[2006/03/30]
同情と共感
[2006/03/17]
女人禁制とは、
[2006/03/10]
がんとがんじゃないものの境界線
[2006/03/03]
つまり、男女共同参画ってこと?
[2006/02/20]
2月25日発売!
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ