明日はどこにある というような不安な気持ちも無くはなかった。それにしても、主宰者側の普段と変わらず落ち着いた、その上楽しげな様子からは、たった今アート・フェスティバルの会場を追い出された、路頭に迷うアーティスト集団とは到底思われない。客分に過ぎないわたしがおろおろしても詮無いことなので、皆と一緒に悠然と、夕餉の御馳走を北京ビールで胃袋に流し込むのがよろしいようだった。
フェスティバルの日程は五日間。会場は「北大窯SOHO」と名付けられた真新しい高層ビル群の一画。二日目最後のパフォーマンスの最中、何やら気に入らないことがあるらしい数人の警備員とアート・フェスティバルの主催者が言い争いを始めた。どどどどっと大方の観客は、素早く小競り合いの方へと移動して行った。すっかり観客に見放されたとはいえ、パフォーマンスは滞りなく完遂することが出来たので、問題は解決されたのだろうとわたしは思った。
ところがそうではなかった。地元北京のアーティスト達が手に手に機材や材料を抱え、会場から持ち出そうとしている。「それ、わたしのだけど。」一人に声をかけると、「ああ、フーサンのか。」と言って、わたしに紙の包みを手渡した。呆然とただ彼の後に従うわたしに、「もうここへは戻らないから。」という短い説明があった。問題が発生したということの察しはついていたが、まさかこれほどの速さで急転直下あっさりと追い出されてしまうとは。「いよいよ中国らしくなってきたな。」と、何度か中国本土でのパフォーマンス・フェスティバルを経験している日本人アーティストがつぶやいた。
原因は、路上で胡弓を奏で通行人に歌を聞かせることで生計を立てている老人を、SOHO地区に連れ込んだことにあった。その日の最後のパフォーマンスは、言わば彼とパフォーマンス・アーティストとのコラボレーションだった。老人は貧しかった、みすぼらしかった汚れていた。それは中国の新しい未来を象徴するピカピカの高層ビルには相応しくないと、その牙城を守る警備員には思えたのだろう。そういった人々を追い立てることもまた警備の仕事であるに違いなかった。
現場の警備担当者が、そこまでの権限を持つとはちょっと驚きだった。それにしても、何と言う理由で我々は追い出されてしまったのだろう。とぼとぼと歩きながら、この巨大な都市の今まさに大回転しようとする軋み音が、ギリギリと大陸の空へ反響するのが聞こえるようだった。
ところで、これがもし日本で起きたことならば、老人を連れ込んだアーティスト本人はとても平静な気持ちでなどいられないだろう。自分の信念でしたこととは言え、フェスティバルが会場を失うという大打撃に、他のメンバーに迷惑をかけてしまい申し訳ないという思いと、理不尽な警備員に対する憎悪や悔しさ等でめためたになってしまうことだろう。また、主催者としても彼を責めるか、責めないまでも深刻な表情で「気にするな」等と彼に言い、気に病むように仕向けるだろう。
その晩、そのアーティスト本人がいつもとまったく変わらず、一日の終わりの宴会を心から楽しみ、遠路はるばるやってきた異国の友人たちと酒を酌み交わして過ごしたことは、彼が特に朗らかで陽気な性格だからということとは関係が無かった。主宰者たちの誰一人として、その場を楽しんでいない者などいなかったのだ。
以前中国の南部広州に行ったときに、大いに感じ入ったことがあった。それは円卓を囲む食事の最中、例えば自分のお茶茶碗が空になっていたら、先ず自分以外の全員の茶碗に茶を注ぎ込む、すると大抵ポットは空になり、お茶が飲みたかった当の本人はまた暫く待たなければならない。これが延々と繰り返される。いつも全員の茶碗が満たされ、お互いを気遣い、誰一人も脱落しないようなシステムだ。この場合も同じように、責任を皆で自然に分けて背負い、誰か一人の肩が重くなり過ぎないようなシス
テムが働いていたのだろうか。
次の日、日本人どうし、昨日のことに鑑みて、我が国のケースについての話になった。彼が数年前、ある展覧会に参加したときのこと、彼のテーマは我が国におけるタブーに絡んでいた。すなわち天皇家を作品に用いること。ほどなく、会場側から、今回の展覧会に場所は提供できないと連絡が入った。理由は展示上保管上の何某かにすりかえられてはいたが、彼の作品が拒否されたことは明らかだった。参加作家や関係者の会議の席で、彼は他の全員から責められたという。作家を外圧から守るべきキューレーションの立場にある者さえ、誰一人彼を擁護しなかったという。
わたしはこの話を聞き、悔し泣きに泣いた。昨日のことがあったので尚更はっきりと「村八分」というものに支えられた我が国のシステムを思い知ったからだった。ハラキリしかり、昨年34,427人に達したという自殺者しかり。この日本社会というところは、都合の悪い部分を外科手術よろしく切って捨ててしまう。捨てられた部分が社会に戻されることは無い。たった一人で全てを背負って自滅していくのみだ。まるで心というものを未だ獲得し得ない原始的な生物のようで、空恐ろしい。
「悔しいねえ、悔しいねえ。」と涙ながらに訴えるわたしに話し相手は「いやあ、そんなに感動してもらえるなんて。」と言った。「いや、あなたのことだけじゃなくてさ。村八分の意味がわかったと、悔しい悲しい歴史だと、連綿と続いていると。」「オレとしてはもう終ったことだしさあ。」「日本ってのは恐ろしい社会だ。こういう仕組みだったのだ。だから恐くて誰も何にも言えないのだ。そりゃ恐い、わたしだって恐い。だから悔しい、悔しいのだ!」「オレ、もういいんだ。割り切ってるん
だ。でも、ありがとう。」何となく、ズレたまま会話は続いた。
それから彼はわたしに優しかった。優しくする必要のないときに特に優しかった。それでわたしは怒りをぶつけた。彼には何が何だかわからなかった。
例えば、飲み疲れたので一足先にホテルへ戻ろうと、一人レストランを後にしたときのこと。路上でタクシーを拾い、漢字を書いたり、旅行用中国語会話の小冊子を指差したりしながらドライバーと交渉しているところへ、彼が駆けつけ、話に割り込んだ。いっしょに戻るつもりなのかと思いきや、「オレはまだ帰らないけど、これで大丈夫だから。」と言って立ち去った。わたしは走り出すタクシーの後部座席で、酔いに任せて大きな声で「女子供扱いするなー!むかつくー!」と一人叫んだ。
ああ、この友人にフェミ的言語、フェミ的礼儀が通じる日は来るのか。たとえその日が来なくても、いや来ないからこそ友情を続けよう。わたしは切って捨てたりしないぞと。