No.54「日本人は嫌いだ」

「日本人は嫌いだ」 この言葉に打たれるのは久しぶりであった。

わたしにそれを投げかけたのは、日本を非難した新聞記事の切り抜きを、粘着テープで自らの衣服にぶら下げながら、次々とライターで火を付け燃やしてゆくというパフォーマンスをしたアーティストだった。ちなみに彼は、日本人学生の下手な出し物への非難が暴動騒ぎにまで伸張した街、かの西安から来ていた。「中国人は日本人が嫌いだ。でも僕は新しい関係を築いていくべきだと思う。だから新聞記事を燃やしたのだ。このパフォーマンスをどう思う?」「アートで表現することは現実を変えることより簡単だと思う。」「でも中国にいる間は僕が守ってあげるよ。」ありがとうと言うべきなのかと考えつつ、わたしは「アートの力を信じたいね。」と言った。その会話を聞いていた香港と台湾からのアーティストが口を揃えて、「うちらの方ではそんなに嫌われてないから、気にするなフーサン。」と言っていた。

「日本人は嫌いだ」この言葉はわたしにとって、「お前は何者だ」という響きを伴なっていた。1990年代の中頃から韓国を幾度か訪れたけれど、その度にいたるところで聞いた言葉だ。大抵は「嫌いだ」の後に「お前のことは好きだ」が続く。日本人であるわたしがそこにいることを本当に苦々しく思っている人は、わたしと口を利かない。あるボランティアの男子学生は「お前は日本人なのになぜいい人なのだ。」と頭を抱えていた。その苦悩する姿を見ながら、わたしは「お前は何者だ」と自分に問い掛けた。もちろん国籍や民族と、良い人か悪い人かという区分を直結させることの愚かしさというものはある。しかし、そのような理性的な判断を上回る強い感情がどこから来るのかをわたしは知っている。知っているから、「君、それは間違っているよ。」などと簡単に言えるはずもない。せいぜい内心「お前は何者だ」と自らに問うのであった。

わたしの母は満州生まれだ。遺品に数枚の写真がある。棒杭に括られて処刑され、そのまま晒し者となっている人々。黒々としたその姿と真白く抜けた空のコントラストが寒々しいその写真は、祖父が満州の警察官であったことと無関係ではないだろう。「お前は何者だ」と問うとき、わたしの脳裏にはこの写真が映し出される。わたしは中国人を磔刑にし虐殺した者の子孫なのだ、わたしは罪深い日本人なのだと。子供の頃は身の不運を嘆いたものだ。生まれてくるより先に、わたしの贖うべき罪が用意されていたなんて、日本人に生まれるのは大損だと。しかし大人になるにつれて、見聞が広まるにつれて解ってきた。この地球上に、損の無い民族なんていないのだ。理屈から言えば、そのような負債を抱えていない人々は、当の昔に滅び去っているはずだった。

今回のアート・フェスティバルの責任者であるシュウ・ヤンに初めて会ったのは二年前だ。そのとき彼は自分の家族の歴史を語ってくれた。母方の祖父母はレジスタンスのために、二人とも日本人に処刑されたという話だった。例の写真の映像が脳裏に激しくフラッシュバックして、わたしは深く考えもせず、「わたしの祖父は満州で中国人を殺したのだ。」と告白していた。シュウ・ヤンから返事は無かった。今も彼がわたしの告白をどう受け止めたのかはわからない。ただ、わたしたちはそれきりではなく、何度か会う機会に恵まれ、その度に再会を心から喜び合っている。

「日本人は嫌いだ」と面と向かって幾たびか言われてみて、近頃、「わたしは罪深い日本人である」と考えることは間違っていると思うようになった。贖罪のためにと力関係を逆転させてみたところで、それは左右反転した同じ構図を生み出すだけなのだ。嫌いだとわざわざわたしに語りかけてくる人の真意はそんなところにあるのではなかった。例えば、元日本軍従軍「慰安婦」のハルモニ金順徳(キム・スンドク)さんと日本の高校生とのやり取りだ。

金順徳さんは、従軍「慰安婦」という過酷な体験を聞かされショックで半ば放心している高校生たちに向かい、声を荒げて「日本人は憎い、何世代経っても許すことはできない。」とまっすぐに力いっぱい言葉を投げつけていた。テレビの画面を見つめるわたしは、内心、いくらなんでも高校生にそれは酷なんじゃないかなと思っていた。幾人かの高校生は号泣しつつハルモニに頭を垂れた。言葉も出ない様子だった。すると金順徳さんはうなだれる高校生の肩を抱きしめて「あなた達に罪は無い。若い人に罪はないんだ。」といっしょになって泣き出したのだ。

ハルモニの言動は矛盾していたのだろうか。この場面を目にした直後には、「アンビバレンツな感情の発露」などと思ったけれど、それは間違っていた。今ではそれが少しはわかる。ハルモニは民族間の抗争に基づくという誤った人間関係を破壊し、深い共感に基づく友情関係を築くという離れ業を、即座にその場でやってのけたのだった。いやハルモニだけでなく、ハルモニの体験を受け止め、ゆえに号泣するしかなかった高校生もともに、訳知り顔の大人たちが乗り越えられない大きな壁を、一気に駆け上っていったのだと思う。

中国人である、日本人である、韓国人である、あるいは在日であるというようなことは、その人個人を語るときに必要な言葉だけれど、その言葉自体によって、何かが語り得るわけではないのだ。アイデンティティとは表象であって、信念にしてしまっては自分自身が煮詰まっていくばかりなのではないか。わたしは日本人であると思い込むのではなく、わたしはどうしてどのように日本人としてあるのかを考え続けるべきなのだと思う。

話は逸れるが、わたしががん患者になったばかりの頃、「がんはわたしのアイデンティティ」と声高らかに宣言したっけ。その時それは死の恐怖を乗り越えるという意味で、必要な言わば一つの「決心」だったのだが、がん患者魂もまた変幻していく。今、わたしががん患者である自分をどう受け止めているのかと言うと、うまく言えているという自信はあまりないのだが、アイデンティティというよりも、一つのスタイル(!?)といった感じなのだ。


*金順徳ハルモニは先の6月30日永眠されました。御冥福を心からお祈りいたします。


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