3人と一匹で、

3人と一匹で、 赤ワインをグラスに注ぎ、乾杯した。2001年9月11日夜半、ベラルーシ共和国の首都ミンスク郊外の公営団地で。そこに住むベラルーシ人カップル二人と、わたしと、長い巻き毛の大型プードル。和やかに時は過ぎる。

アルトゥール、この年老いた大きな犬は、プードル犬の原種だ。彼は全ソビエト・プードル・コンクールで第三位という栄誉の持ち主だった。わたしは珍しく思う存分、犬の体を撫でさすっていた。

わたしには犬に関してトラウマがあった。歩き始めたばかりの幼少の頃、近所の材木屋の倅が、わたしが前を通る度に飼っている犬をけしかけ、泣き喚く幼児の様子を楽しんだ。お陰でわたしには、不幸にも、材木でも男の子でもなく、犬は恐いという条件反射が植え付けられてしまったのだ。だから、普通このシュチュエーションは、わたしに緊張を強いるもののはずだった。

けれどもこのアルトゥールは違った。目を見れば解った。挨拶にペロッと手の甲を舐めに来た以外は、怖気づいているわたしを放任し(普通、気のいい奴ほど新しい友人をペロペロ舐めたがる、それがまたわたしの身を凍らせるのだ)、近からず遠からずを保ち、しかし終始優しげな視線を送ってくれていた。彼に出会って、わたしの犬に対するトラウマは随分溶けて小さくなった。

アルトゥールはゆったりと床に体を預け、心持ち首をもたげ、会話に参加していた。公園の柵に挟まれて大騒ぎになったエピソードには、自分も苦笑するかのように口の端を持ち上げていた。街の中心の広大な公園は当時犬の散歩、通行を禁止していた。飼い主は近道がしたかったので、公園の入口近くの鉄柵に彼を繋いで、待っているように命じた。しかし彼は鉄柵を潜り抜け、飼い主を追いかけようとした。その途端、彼は鉄柵の細いスキマに挟まって、にっちもさっちもいかなくなってしまったのだ。一番大騒ぎをしたのはもちろんアルトゥール自身だったけれど、百人以上もの人垣が出来、道路の通行は遮断され、数時間かかった救出劇を皆で見守ったという話だった。その後、公園側は犬の通行を認めたそうだ。「こいつは、ある意味革命家なんだ。」と飼い主は誇らしげに話を括った。

そこへ、一本の電話が入った。「とにかく何でもいいからテレビをつけて見てみろ!」わたしたちの平和な夜は終わりを告げた。小さな白黒テレビに映し出された映像は、旅客機が突き刺さり炎上する高層ビルと、その崩落、そしてプーチンとブッシュ、二人の大統領の演説。20分ほどに編集された、それが全てだった。繰り返し繰り返し、同じものが一晩中流されていた。新しい情報が追加されることはなかった。

テレビのせいで部屋の雰囲気は一変してしまった。滑らかにゆっくりと流れていた時間は、ノイズだらけの音声で中断され、ざわめき乱れて、不快になった。すると、アルトゥールがすいっと起き上がり、四足を踏みしめて、テレビの前に立ちはだかったのだ。無垢な視線を投げかけていた。まるで「どうして!」と問い掛けられているようで、わたしは胸が痛かった。テレビが見えなかったが誰も彼を咎めなかった。わたしたちはその小さな部屋で、愚かしい人間の一員としてあったから。人間でいることが情けなかったから。アルトゥールは何かに真剣だった。厳しい表情をしていた。飼い主はぼそりと、「お前は、いいんだ。気にするな。」と言った。

わたしたちはもう一度、赤ワインを注ぎ、静かにグラスを合わせた。その日失われた多くの命に祈りを捧げた。ふいに、もう世界には3人の人間と一匹の犬しかいないという幻想に襲われて、少しだけ泣いた。

しかし世界は人間でいっぱいだった。次の朝バスで旅立ち、夕方には隣国リトアニアに到着した。行く先々で、ニューヨークのテロに対する意見や憶測や感想や新しい情報が挨拶代わりに語られていた。ペンションの主人は、わたしが日本人だと知ると、「けれど、ヒロシマには今じゃたくさん人が住んでいるだろう。」と言った。現代美術のプロモーターだと名乗る男は「夕べのテレビ見た?凄かったねえ!」と目を剥いて、大きく腕を広げてみせた。

わたしは一人ビュリニュスの街を歩いた。石畳の続く旧市街の路地裏を、あてどなくさ迷った。工事中の崩れた壁に見とれながら、坂道を迂回したところに、小さな写真美術館を見つけた。「チェチェン」と題する企画展の最中だった。その時わたしは始めて、チェチェンで起きていることの一端を知ったのだ。街は完全に叩き潰され、戦車が廃墟を横行していた。額に深いしわの刻まれた老人の瞳は哀しみに凍てついていた。黒服の女性は二度と言葉を発しないとでも言うように、口を強く結んでうなだれていた。子供たちはやせこけて怯えた目をしていた。世界報道写真家協会というような名の団体が、取材の援助のために、その写真家に賞を与え、巡回展を行っているようだった。

しかしその時、わたしは3年後の今日の世界を想像しなかった。つまり白黒映像の向こうのニューヨークを、白黒写真の向こうのチェチェンを、本当には想像し得なかったのだ。自分がどんなに無知なのかに目を向けていれば、本当のことを知ろうと力を尽くしていれば、こうなることを身にしみて感じられたはずだった。

それなら、今はどうだろう。今のこの時を捕らえて、知らないふりを、気がつかないふりを止めていけば、今から3年後が見えるだろうか。見えるのかもしれない。しかしそう思って想像しようとする世界は更に惨い。アルトゥールよ、更に惨いのだ。

あの旅の終わりに、わたしは一つの忘れ難いパフォーマンスを見た。フィンランドのロイ・ヴァアラが黒いタキシードに身を固め神妙な面持ちで、グラスを一つづつテーブル上に並べていく。低い男の声で、nationalism、capitalism、communism、optimism、nihilism、、、と言うようなつぶやきが延々と流れる。ワイングラス、ゴブレット、シャンパングラス、ピルスナー、あらゆる形の、積み上げられた、何百もの透明なグラス。やがてテーブル上には幻の摩天楼が出現し、ロイは跪いて、テーブル下に潜り込み、四つん這いになって、背中でそっとテーブルを持ち上げる。摩天楼は微かに揺れ、いくつかのグラスは倒れ、崩れ落ちる。床に当たって砕け散る。ロイは、ガラスの破片で彩られた目には見えない一筋の道を、まっすぐに、ゆっくりと、弛みなく、細心の注意を払って進んでいく。一つ、また一つと、グラスは行く手に転がり落ち、砕け散る。ガラスの破片を丁寧に手で払いのけ、ロイは部屋の出口にたどり着くまで、テーブルを運んでいった。

地獄の方へと加速し転がっていく世界。そんな世界の只中で、少なくとも目を逸らさないでいる、それさえも難しい。


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