それは部屋探しだった。5月の連休頃から始まり、9月になってようやく契約にまでこぎつけた。実に4ヶ月間、記録的に夏日の多かった今年、その間中、わたしは新しい自分の居所を探しつづけた。望みは多く高く、予算は限られていたので、随分難航した。しかも地域を特定する必要も無く、ただ便利なところという条件だったので、都内一円、すべての駅を調べ上げるほどの意気込みだった。
不動産屋にも山ほど出会った。物件も山ほど見た。気に入らなかったものを端から捨て去ってさえ、間取りの図面が束になって重なっていった。自分で不動産屋が開けるくらいだった。いったいわたしは何をしているのだろう、自分が何処にいて何のために歩いているのかこの炎天下の中を、途中で見失うことも度々あった。汗まみれのくたくたになって帰宅し、夜は夜で不動産情報のネットサーフィンに余念が無かった。
どうしたっていうのだろう、わたしは情報型社会に、消費型社会に、第三次産業型社会に完全にはまりこんでいた。そしてそれが心地よかった。物件の情報は探しても探しても、汲めども尽きせぬ泉のように、後から後から沸いて出てきた。これはちょっと依存症に近い、途中で自分の愚行に気がついたけれど、事態は前に進んでいたので、実際、とにかく引越しを完了しなければならなかった。わたしは芯のずれた独楽みたいな自分を矯正することもなく、構わずそのまま回り続けた。
始まりは「もう少し都心に近い便利なところ」ということでしかなかった。それがいつのまにか、都心のど真ん中にまで進出し、さらに流石にど真ん中はお高いので、東に西に漂流し、流されすぎて山手線から遠のいてはまた内側に戻り、少しの暇を惜しんで渋谷新宿千代田文京へと日参し続けた。
「駅から歩いて5分以内、足の伸ばせる大きめのバスタブ、日当たり風通し良好、大通りに面していない、閑静、できれば見晴らしのいいベランダ、或いは緑の木々が眺められる窓。」不動産屋は微笑みながら頷いている。「高速インターネット接続可能、ケーブルテレビかBSアンテナ、オートロックでセキュリティに問題無し。広さ10坪以上、いや待てそれでは少し狭い。」不動産屋は真面目な面持ちで、申込書の備考欄にメモを加える。「予算が無いので新築ではなくて、築数十年以上の古い物件で、近年フルリフォームしたてのものなんて歓迎、しかし大家のケチ臭さが滲み出ているような中途半端な改装は遠慮するし、エレベーターの無いのも困る。50平米位の物も探せばどこかに見つかりませんか?」不動産屋はメモを取る手を止めて、わたしの顔をまじまじと覗き込む。そして今は時期が悪い、品薄です、また寄って下さい、と言って飛び込みの客を慇懃に出口まで送り届ける。
或いは、こちらが気に入ったとしても、「自営業ねえ、このオーナー様はお勤めの方を望まれてます。」と追い返される。(こんなところでなんでリーマン)と心の中で悪態をつく。または心の中でアッカンベエをして立ち去る。だんだん不動産屋と話すこつや醍醐味に興味が移ってゆく。この人は前の会社をリストラされてこの業界に流れ着いたばかりだから、まだ慣れていないけど一生懸命だとか、この人は若いけれどなかなか的確な受け答えをする、将来有望だとか、わたしの物語は自分自身の欲望を超えて、見ず知らずのすれ違う人にまで拡大されていく。物件を探すにはまずは不動産屋選びからだなどと、また振り出しに戻るようなことを考えたりする。
そして、外国人が警戒され排除されていることや、抵当に入っている物件がとても多いことを目の当たりにし、感傷的になり、東京で暮らすのは辛いと思った。「生き馬の目を抜く東京」と心の中でつぶやいた。さらには、女で独身で弱小自営業とくれば、誰からも信用されないと言うことに今更ながらやっと気がつき、わたしの40年はこの巨大な街では吹けばふうっと飛んでいく、寄る辺ない頼りない価値のないような気分に包まれて、哀しくなったりもした。「女三界に家無し」と心の中でつぶやいた。
そこまでして、やっと決めた部屋だったけれど、果たして望みは叶ったのか。一つだけ、背中をまっすぐにして垂直に座れば足の伸ばせるバスタブ、これだけは手に入れた。たくさんの思い描いた新生活、願いの叶ったのはごく僅か。窓から見えるのは隣のビルの壁だし、日が当たるのは一日せいぜい2時間程度だ。申し込んで審査も通って、さて本日の午後から契約書にサインという段になってさえ、膨れ上がった夢を納めきれず、午前中には別の不動産屋と空き部屋の内見をしていた。まったく往生際の悪いこと。まだ見ぬ理想の恋人が、きっとどこかにいるはずだと、マリッジ・ブルーを体験していた。まあ、たかが賃貸、また引っ越せば良いじゃない。これが結論。
がんなんてものになると、気分転換というか、新しい可能性を求めてというか、今の自分を変えたくてというか、引越しでもしたくなるのだ。独身乳がん患者の金字塔として今も輝く、かの千葉敦子さんは桁違い。東京からニューヨークに転居され、ジャーナリストとしての新しい仕事を開拓され、最新の治療を受けられ、メトロポリタン生活を満喫され、そして愛する街でその生涯を閉じられた。がんなんてものになると、人間、個人的なるものが第一だと悟り、国や郷里にしがみつこうとは思わない。どこに行くのも自由だし、その選択の一つ一つが、自分の人生を、自分自身を象っていくのだと感じる。
わたしの引越し先は、現住所から約22キロ東なだけだが、わたしとしては気分一新。一つ一つ自分を積み上げ作っていくことに期待を抱いている。病気になる前と多少とも違うと思うのは、誰しも、人生を積み上げて続けて、最期を迎えるのなら、積み上げたものが途中で崩れ落ちたり、完成した姿が無残だったりしないように、意識的に注意と集中力を払うようになったということだ。
新しい自分の住みかを探し、図面を眺めて内装を夢想するのはとても楽しい。引越し熱は感染するようだ。そして一度罹ったら途中で引き返すことはできない。要注意。何か物足りない浮かない気分でいるのなら、目の前に何かの壁を感じているのなら、或いは何かが空回りしていたら、思い切って荷物を捨てて知らない部屋に引越してみてはどうか。