ホットフラッシュ という言葉をご存知だろうか。と問い掛けているわたしがこれを知ったのは、この一年ばかりのことなのだが。ホットフラッシュは更年期障害の症状のひとつである。ホルモンの乱れにより体温の調節がうまくいかずに、突然体がかあっとほてって、真冬でも大汗をかくことがあるのだ。わたしの場合、外出から帰ってきて室内で落ち着いたときや、電車に飛び乗った直後や、コーヒーを飲んでいて暫くすると、時折り上半身が熱くなって頭や額や首筋に流れるほどの汗をかく。夏日の心配のないこの10月になっても、外出時、ハンドタオルは手放せない。
乳がんの治療法の一つにホルモン療法というのがある。ホルモン感受性のある乳がん、つまり女性ホルモンのエストロゲンやプロゲステロンを餌にして増殖するタイプ、この乳がんにはホルモン療法が有効なのだ。どれくらい有効なのかは一人一人それぞれのがん細胞のタイプによって違ってくる。私の場合、エストロゲンはマイナスだがプロゲステロンはプラスという二番目にラッキーなタイプに属する。なんでラッキーなのかというと、ホルモン療法は化学療法に比べて副作用がマイルドだからだ。髪の毛も抜けないし、皮膚や爪に黒いしみもできない。吐き気もしないし、白血球が減ることもない。けれど、周りの人に気が付かれにくく、だからこそ本人としてもちょっと困ってしまう、違うタイプの副作用、更年期障害という副作用があるのだった。
10歳ほど年上の友人が、物忘れがひどくなり、感情の波が激しくなり、ひどい眩暈に苦しめられていた時期があった。それはきっと更年期障害のせいだったのだが、本人はそう思いたくないようだった。きっと更年期障害という言葉が嫌いだったのだろう。数日前まで、わたしの更年期障害は彼女の場合より軽いと思っていた。ホットフラッシュが多少出る程度、ということしか自覚していなかった。勢いよく走り去るタクシーに向かって、腹の底から搾り出すような大声で「バッキャロー!」と怒鳴ってしまったその時までは。
雨が降っていた。だから近所のがん友達宅へ行くのに、わざわざ駅前まで遠回りをしてタクシーに乗った。「○○集会所の方へお願いします。」しかしタクシーは××集会所の方へと走り出した。「そっちじゃないような気がしますが。」「○○集会所でしょ。△△団地の。」「いいえ、△△団地のは××集会所ですよ。反対! 反対!」ドライバーは何も言わずに引き返し、そのまま黙って走りつづけた。暫くすると、彼はぶつぶつ独り言を言い出したのだ。「あんたたちに狙われちゃったな。俺を狙ったんだろ。あんたたちの団体に狙われたちゃった。」意味不明のたわ言を口走る人と一つ車に乗っている場合、極力相手を刺激しないようにするのが普通の態度だと、頭では解っていた。解っていたが止められなかった。
「ダンタイって何だよ。」わたしの声は早速、喧嘩腰バージョンの音域にまで下げられた。返事が無いので、「あんた○○集会所、どこだか知ってんの? 知ってて走ってる?」しつこくいやみたらしく相手をいたぶるような態度に打って出た。後はもう坂道を転がるように、狂った二人を乗せたタクシーは、醜い言い争い街道をひたすらに突っ走っていった。わたしは叫んだ「ここを右に曲がれ!」彼も叫んだ「右だな! 左じゃなくて右なんだな! 絶対に左じゃないな!」「右だあ、左だなんて誰が言うか! 怒らせれば途中で降りると思ってるだろうが、絶対に降りない。最後まで乗ってやる。」
友人が道に出て手を振っていた。「ここだ!」「ここは○○集会所じゃないぞ!」「いいんだ! ここだ!」千円札を差し出したが彼は受け取らない。「いいから、降りてくれ。さっさと降りな。」「何だと、客に対する態度かそれが! 降りるもんか。」「後ろから車が来たぞ!」「関係無い。謝るまで降りない。」しばらくごねたが、彼が謝るはずは無かった。わたしはしぶしぶ降車し、片足を高く上げて宙を蹴り飛ばしながら、走り去るタクシーに向かって、「バッキャロー!」と怒鳴ったのだった。友人は目を丸くして言った、「どうしたの?」わたしははっと我に返った。そしてこう思った。勘違いと思い込みと物忘れ、つまらないプライドへの固執と被害妄想。そして走り出したら止められない感情の暴走。きっとあのおじさんも更年期障害なのだ。更年期障害同士が感情のホットフラッシュを起こすと、こんなにも相乗されてしまうのかと、自分のした事ながら驚きそして呆れたのだった。
この体験から、わたしはこう考えた。感情とは体温と同じように、ホルモン等の内分泌によって調整されているのであると。子供の頃は体温の調整機能が未発達だから、寝汗をかいたり、プールで唇を紫色にしてがたがた震えたりするのだ。そして感情をコントロールすることができずに、怒ってひきつけを起こすほど大声で泣き喚いたりする。
あなたの周りの更年期なお年頃のおじさんおばさんや、がんや他の様々な理由でホルモン治療を受けている人が、理不尽なことを言ったり、意地悪だったり、感情をぶつけてきたり、昨日とまるで反対のことを言ったりしても、内分泌が狂っているのねと多少大目に見てあげよう。また、そういう人はたぶん感情のコントロール機能が低下しているので、反対に人知れずうつ状態になってしまうかもしれない。できれば優しく見守ってあげよう。しかしながら、もともとの性格の悪さと見分けが付きにくいのは如何ともし難い。悪しからず。
今回わたしに感情のホットフラッシュを起こさしめたキッカケは、「もしもわたしが男だったら、このおじさんはこれほど失礼な態度をとらないはずだ。」と考えたことにあった。いちいちそんなことで腹を立てるわたしを、人は短気で口汚い暴れん坊フェミと思うであろう。それは仕方がない、事実だから。さりながら、これを年増女のヒステリー等と言う人あらば、わざわざ出向いて、しつこく口喧嘩を吹っかけること必定である。