もう一度きいてみた 手術しなくてもよいものかと。その診察日は、初めてお会いするドクターに当たったので、もしかすると違う考え方を持っているかもしれないと思ったのだ。
わたしの掛かっているがん専門病院は「グループ診療」というシステムで、主治医というものは存在しない。手術を施す場合にはおのずと主たる担当者は決まってくるのであろうが、現在のわたしのように、長期的な投薬と経過観察のみというような患者は厳密な担当者を必要としない。もちろん特定のドクターに診てもらいたいとコメントすることはできる。だからしてみたけれどなかなかうまくいかないのだ、これが。
わたしは自分の勝手で、ある一人のドクターを主治医にしようと決めていた。実は、この、全国からあらゆるがん患者が引きもきらず訪れる大病院をわたしが初めて訪れたのは、単にセカンド・オピニオンのためだった。そのときわたしは別の大学病院にかかっていて、そちらの主治医の治療方針は左乳房全摘出手術の後、抗がん剤投与ということであった。主治医に「セカンドをとりたい」と言うと快く応じてくれ、紹介状やら資料の準備やらとお骨折り下さった。「抗がん剤についてがんセンターで聞いてきたように、こちらで投薬してもいいですよ。」と言って下さった。
そしてがんセンターでお会いしたのは、日本ではまだまだ数少ないと言われるオンコロジスト、抗がん剤の専門家だった。ドクターは言った。「すでに皮膚に浸潤しているので全身的な治療でなければ意味がありません」と。つまり手術より抗がん剤という治療方針を提示されたのだ。わたしは内心、ひょっとして医者はそれぞれ自分の専門が一番、と思っているのではなかろうかと訝しんだが、オンコロジストの言っていることのほうが正解に思えた。それで具体的に何を何ミリグラムどうやって投与するのか、詳細な説明をしていただいた。そのときはまだ、話を持ち帰って大学病院のドクターとまた相談するつもりでいたのだが、一段落したそのとき、彼はわたしの手提げカバンにつけていたバッジに目を留めて、「ジョン・レノンの詩ですね。」と言ったのだった。
2003年4月のあの時期、長年の内戦と米軍によって散々に踏み荒らされたアフガニスタンの復興が叫ばれつつ、勢いづいて誰にも止められない米軍のイラク侵攻が始まって一月余り、わたしの身の回りでも、戦争に反対し平和を願う地道な活動が多々行われていた。その中の一つ、メッセージを篭めた大きなバッジ。ジョン・レノンの歌詞をもじって、Imaging all the people living in peace. と綴ってあった。ドクターがその詩を読んだとき、この人はわたしを人間と思っていると感じたのだ。わたしをがん患者としてだけでなく、複雑で全人的な存在として接してくれるだろうと感じたのだ。わたしはその場で宣言した。「こちらの病院で診ていただくことに決めました。」当の病院側に相談もせず許可ももらわず、患者が自由に病院を選べるということを露ほど疑いもしないで。その時、わたしに見込まれたそのドクターはメガネの奥の二つの眼を、びっくりしたなと言うように少しだけ見開いた。
ところが流石に数少ないオンコロジストだけあって、彼はものすごくたくさん患者を抱えていた。いったい一日に何人の患者さんを診るのであろうか、訊いてみるのも恐ろしい。わたしが毎回2,3時間待たされてしまうのは、この人気のドクターを指名するからかもしれなかった。更に、長い時間待った挙句に指名のドクターに当たるのは確立で言えば半々といったところか、まさに「当たる」という感じなのだった。
最近全然「当たらない」と思っていたのだが、2ヶ月に一遍だけ訪れるわたしの知らぬ間に、「主治医」の外来担当曜日が変わってしまっていた。「教えてくれないなんて、K先生も冷たいね。」わたしは同じ病院に通うがん友達に愚痴をこぼす。「K先生、患者がたくさんいるからね。しょうがないよ。」「まあね、わかってるけど。」解ってはいるが、切ないのである。うち捨てられた仔犬にでもなった気分だ。切ないけれどもくじけないぞとばかり、予約の曜日を変更し「追っかけ」を試みた。追いかけてみたけれど、結局のところK先生は捕まらなかった。耳慣れない声でわたしの名前が呼ばれ、見慣れない名札の掛かった診察室の扉をノックしなければならなかった。
「ハジメマシテ。」患者は嫌味半分で言っているのだが、そんなことに気付くはずのない若く前途洋洋たる雰囲気のドクターは、丁寧な口調で「OOと申します。よろしくお願いします。」と言った。まずはOK。
それならこちらも初心に返って、もう一度治療方針を、患者としての覚悟のし様を確かめてみることにした。今更であるが、5月に撮ったMRIの写真を見せてくれるように頼むと、ドクターはぱらぱらとキーボードを叩いて、パソコンのモニター上に何枚ものレントゲン写真を重ねて開いた。「胸骨の転移がだいたい消えたそうですが、少し残っているというのはどの辺ですか。」「このあたり、すこーし、周りと違うでしょ。その他の小さな粒粒はみんな消えましたね。」小さな粒粒、初耳である。「主治医」は大筋を語り、細かいことには質問が無ければいっさい触れない話し振りだった。小さな粒粒なんかに構ってはいられなかった、おそらく。
「目に見える転移は一応無くなったので、原発の腫瘍を摘出すれば、がん細胞は無くなるって考えは駄目ですか?抗がん剤をがんがん使えば完治しませんか?体力には自信があるんですが。」以前「主治医」にした質問と同じことを、もう一度きいてみた。果たして答えは同じだった。ただもう少し詳しかった。「やっぱり駄目か。治らんか。」思わずブツブツ独り言をつぶやく患者にドクターは、「うまぁく付き合っていきましょう。」と笑顔を向けた。
「K先生はまた診察日が変わったのですか?」最後の質問。「いいえ、今日はいないだけです。次回の予約はK先生にしておきましょう。」「いいえ、OO先生、またお願いします。」
すると真面目そうにドクターは書類にコメントを書き加えた。「OOが診ます」と。患者は思った、システムの変革は大切だ、試行錯誤の末の「グループ診療」なのだろう。しかしより優れたシステム以前に必要なのは、安心して面と向かえる一人の人間の顔であると。患者にとって、医者と対峙することは、そのままイコール自分の病気に対峙することなのだ。