バカな男 だ。そこそこ満員の電車車内で、フーサンのお尻に手を回してきた男。当時二十歳であったフーサンが、静かな車内環境をおもんぱかって、小声で、「やめてください。」と何度か耳打ちしたにも関わらず、と言うか、だから余計に男の妄想は自動的に盛り上がってしまい、その図太い指先で更にせわしくフーサンのお尻を弄りだした。「いい加減にして下さい!」とうとう大声を出したフーサンは、男の手首を掴んで天高く持ち上げた。その手は素早く振り解かれたのだが、次の駅までバカな男はフーサンの説教に黙って耐えていた。「いい年して恥ずかしくないんですか。ああ、いやな大人になっちゃったもんですね。」
今になってフーサンもバカだったなと反省する。あんな男に丁寧語を使ってしまったことを。その頃はまだ、女子は丁寧に話そうという教育に順じていたし、自分の纏っている慣習に対して疑問を持つ能力も未発達な子供だった。痴漢は犯罪、つまり警察に突き出さなければならないという観念も根付いていなかった。しかしその点に関しては、言い訳がある。横浜駅から東京駅まで、毎朝満員の東海道線に乗って、痴漢に出会わない日は無かったので、いちいち警察に協力していたら、こちらの生活に支障をきたすのであったから。
一日だけの派遣アルバイトで商品在庫の整理をしていた。棚の中段奥の商品を点検中で、フーサンの腰はやや前のめりに曲がっていた。いきなり女子アルバイトの臀部を両手で鷲掴みにし、さっと立ち去って行く男があった。「何するんですか。」フーサンは自信なく叫んだ。いったい今のは誰? ひょっとして大学の友達? という考えがあったから。しかし友達がこんなところにいるはずはなかったし、これほど礼儀を欠いた友人を持った覚えも無かった。そのバカな男はスーパーの店長だった。わたしの声を聞きつけて2,3歩後戻りし、扉から顔を覗かせて「うふふ。」と愛想笑いを残していった。本当のバカだった。
就職するなら人生最後のチャンスだろうと思いつつ、職についた後の単調で暗い人生へのイメージを抱えつつ、そのせいかストレスで全開したアトピーと戦いながら、配送センターの受付業務研修生として一ヶ月間過ごした。研修生は女子一名(フーサン)、男子五名であった。その場を取り仕切る男性上司は、いつも5人の男子研修生を従えてセンター内をうろうろしていた。一体何をしていたのかフーサンにはわからない。フーサンの業務は小売業者からの日々の発注を電話口で聞き取り、伝票を作成し、品出しの内容を製造部門や配送ドライバーに伝えることであった。忙しかった。電話の声は方言混じりで聞き取りにくく、商品の名は似たり寄ったりで間違えやすく、「いつもの5本」とだけ言って電話を切る得意先もあり、6人の男が何をしているのか観察している暇はなかった。けれど明らかにフーサンよりは時間にも気持ちにも余裕ありそうなのが見て取れた。
あるとき上司に声を掛けられた。「今、男子研修生にはセンター全体を見てもらっている。ひとりひとりが全体を知った上で自分の業務を理解してもらいたいというのがわが社の方針だ。フーサン君もそのうち案内するから。」バカな男だと思った。誰が考えても二度手間だった。この男がたった一人のためにもう一度同じことをするとは到底思えなかった。(建前上、男女に差別はつけないのがわが社の方針だが、フーサン君は全体を把握する必要はないんだ。だって社員になったって君は、君って言う奴は、君たち女は、一生電話番だからね。だからフーサン君への社員教育から不必要なものは省かせてもらったよ。これも効率化の一環と思ってちょうだい。)フーサンに心の声を聞き取る能力があるために、図らずも男の本音が聞こえてきてしまったのだった。そしてフーサンはバカな男たちを後に残して、研修期間の終了を待たずに退社し、セクハラのないプータロウ生活へと舞い戻って行った。
こんな10年、20年前の話を今更持ち出したのには理由がある。驚くなかれ、バカな男は今でも山ほど生息しているからなのだ。そしてバカな男とバカでない男の区別はなかなかつき難い。それは、バカでない男がバカな男の肩を持ったりするからなのだが、なぜそんな自分の価値を下げるようなことを、バカでもないのに自らすすんでしようとするのか、不思議に思う。それこそ愚の骨頂。バカのてっぺん。バカ、バカと男にバカがついているのを見るだけで何だか不愉快だと感じている、そこのあなた、それはもうそういうことではないでしょうか。
閑話休題、ピンク映画界の大御所、的場ちせ監督の新作試写会におじゃました。とてもおもしろい映画だった。中でもフーサンお気に入りのシーンは、絶頂に達した男性が快感を爆発させ、ワワワアーという全世界への雄叫びとともに、自らの精液を自らの顔面に噴射させるシーンであった。こんなにも、気持ちいいということの大らかで楽しい表現を見るのは初めてであった。同行の友人が、この俳優さんに敬意を篭めて「顔射マン」と名づけだのだが、当の俳優さんはその呼びかけには反応しなかった。友人の一人が「映画の中で、男優さんたちが自分の精液を楽しそうに弄んでいるのがよかった。他のピンク映画ではあまり見ない場面です。」と感想を述べると、的場監督答えて曰く、「わたしが無理やりやらせたのよ。本当はみんないやがってたよ。」
そんなバカな。自分の精液を触るのがいやだなんて。女の体に、顔に、口の中に、遠慮なく噴射し、垂れ流し、押し付け、飲み込ませてさえいるもなのに、なのに。「自分がされていやなことは人にするな。」これは亡き母上様のたっとき教えである。わたしが正義と思う唯一のことである。普段は大して機能しないわたしの正義感がここへきてガタガタと揺れ動いた。けれど確信がない。これほどの一方的な関係が日常的にそこかしこで行われ、しかも「愛しているなら平気なはず」という意味の通らないすり替えが横行していようとは。これでは、バカな男の数が、あまりにも多くなり過ぎる。これは本当の話なのか?男は生まれつきバカなのか?
男をバカと呼んでクビにもならず連れ合いに殴られることもない人生を、わたしはわたしなりに選び取ってきたんだなあという感慨もなくはない。しかし本当に自由に生きるということからはほど遠い。避けても避けてもバカな男は目前に立ちふさがるから。レイプするくらいが元気があってよろしいと言うバカ。自分勝手に生きてきた女に年金を貰う資格はないと言うバカ。生理のあがったババアに生きている意味は無いと言い放つバカ。ジェンダーフリーの意味も解らない、しかもそんな自分のバカを認めようとしないバカ。男女の教育の平等はすでに達成されていると言い張るバカ。アメリカの有名な大バカは数日前まで自分のことを大統領だと思っていたようだったが、今では帝王だと思っている。茶目っ気が無くなって何だか尊大になった。バカもここまでくればバカと呼んでバカにしているだけではすまないが、とりあえず今回はたくさんバカバカ言って気持ちよかった。自分の顔に顔射して雄叫びをあげるくらいは。ワワワ。