母と娘

母と娘 の関係は、父と娘の関係や母と息子の関係や、はたまた母と父の関係よりも濃いような気がする。わたし自身が、現存している父のことよりも、現存していない母について考えることの方が多いので、「濃い」と感じているということなのだが。現実には二度と会うことのない母という人間について、こうも頻繁に思いを巡らせているのは、いったいどういう訳だろうか。それは自分自身について考え始めると、かならず母の面影がちらついてきて、単純に一個の個性として自分を捕らえることを「母が邪魔する」からだと思う。母はしつこい、母と娘は切っても切れない。

世にエレクトラ・コンプレックスと言う言葉があるけれど、最もピンと来ない言葉の一つだ。わたしは父の妻になりたいと思ったことはなく、そのような観点から母をライバルとみなした事もない。とは言え、コンプレックスなるものは潜在するのだから、本人がそれを覚えていないだけで、誰だって、純真かつ幼きものであった時代にはきっとそのように妄想するのだそうだ。けれど、エレクトラもオイディプスも気に入らない。はいそうですかとは素直に納得できかねる。それは両方とも父親を中心にしているからだ。わたしの感じる、母を中心とした母と娘の直線的な関係を紐解いた心理学用語はないものか。わたしが不勉強なだけで、誰かが何とかかんとか言っているに違いない、ということにしておこう。

実は昨夜レンタルビデオで遅ればせながら、「デブラ・ウィンガーを探して」を見たのだ。正直、この映画にはあまり期待していなかったのだが、意外にも考えさせられることの多い映画だった。実際に見る前は、宣伝文句を信じ、セレブたちが女優という華やかな職業アンド、プライベートについて素顔で語る、といった程度のイメージしか持っていなかった。どうせ社会的に成功した美女たちのリッチなお悩み事、フーサンとは別世界と高を括っていたのだった。

「えっ?」とわたしは、14インチの小さなテレビ画面に向かって聞き返した。「えっ? 今何て言ったの? ロザンナ。」「もう一度言ってみてよ。」「ロザンナ、本当に? あなたもそう思っていたわけ?」「信じられないでしょうけど、わたしとそっくりね。ロザンナ。」わたしは金髪のハリウッド女優ロザンナ・アークエットにぴぴぴぴっと信号を送った。遥か数千キロの彼方極東のちっぽけなワンルーム・マンションから。

「素晴らしい人でした。良い母で、5人の子を産み、創造的な子に育て上げ、俳優業をしている父をサポートし続けました。母の死因はがんでしたけれど、本当は、自分の芸術的な才能を充分に生かすことができない、そのことが母を殺したのだ、わたしはそう思っています。」映画の後半でロザンナはそう言って、母親の墓石を指で撫でた。わたしは彼女の母への思いが、女優の彼女をして初のドキュメンタリー映画を制作せしめた原動力だったと理解した。彼女もやはりずっとずっと疑問を抱え続けてきたのだ。母は本当に生きたいように生きたのだろうかと。

古今東西、女は「女」に悩むのだ。幸せな女も不幸せな女も、勝った女も負けた女も。ふと考える。「女」って何だよ? 立ち止まって顔を上げ目線を遠くに放り投げて、辺りを見回してみる。何だかキラキラと陽光を反射する大きな川が見える。あの世に続く三途の川か。「女」というのは川だ、川の流れだ。何処の誰でもない、何処にもいない、母と娘の連鎖の川だ。

当代きっての「女流」作家、桐野夏生が「女流」の本流、林芙美子についてこう書いている。「―キクは、その奔放さ、身勝手さ故に、芙美子という人間のそこかしこに影を投げかけた。(―中略―)早く亡くなった芙美子に比して、キクは八十七歳という長寿を生きた。不思議なことに、キクの顔は年を経ても一向に変わらない。化け物めいた美貌と言ってもよい。芙美子の人生はキクから発し、キクに何かを捧げて終った気がする。何かとは、キクの放浪の証としての自分である。」(「総特集林芙美子」河出書房新社 掲載エッセイ「放浪母子」より)*キクとは林芙美子の母

光り輝くアメリカングローバリズムの聖地ハリウッドから、超ローカル、昭和初期ニッポンまで引きずりまわして大変申し訳ないのだが、桐野夏生のこの洞察は、わたしにとって大変な衝撃だったのだ。なぜなら、母と娘について何かを語ろうとすれば、わたしと母の間から林芙美子という名を省略することはできないから。

あな恐ろしや、フーサンママはその娘に、自分の憧れの人だからとて、作家、林芙美子に因んで名前を付けたのだった。幼き頃よりそう言いきかされ、就寝時にはフーサンママによる童話の朗読を聞かされ、小学校に入り読み書きを習い、作文の手ほどきを受け、難しい漢字や長文を飽きることなく読めるようになって、いよいよ「放浪記」を手にしたとき、まるで魔法の呪文を紐解くかのような恐れを抱いたものだ。それは言わば、赤ん坊という泥人形が人間になるために体内に埋め込まれた、日本語で書かれた魂のDNAだった。

ところが読んでみて、その時わたしはこの作家を理解しなかった。したいとも思わなかった。わたしが感じたのはひたすらに母への反発だった。いったい全体どういうわけで、こんな苦労した女の名前を自分の娘に付けたいと思ったのであろうか。わたしは母の希望、母の挫折、そして母の呪いに愕然としたものだ。

だからこそ、当時流行作家として婦女子の憧れの的であったはずの、果敢に自己表現という新開地を切り拓く新しい存在であったはずの「女流作家」が、実はその人自身のためではなく、その母の「証」のために在った、そのことのために作家として書き続けたのだとは、背筋がぞっと冷たくなるような話ではないか。母親を背負っていた人物の名前を母親から背負わされるとは、因果だ。

しかし、誰しも自分のために人生という物語を綴ることはできない。自分の人生の読者になることはできない。物語は完結してこそ物語となるのだから。そうであるなら、物語るという行為は、それが、語る人自身の体験からの発話であっても、その人のものには成り得ないのだ。誰かに読まれて、運ばれて、何処か遠くへ流れ流れていくものだ。わたし自身の物語は未だここにある。ではなく、まだ何処にも無い、と言うべきなんだろう。


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