波乱の幕開け と言わずして何と言おう。年明けの瞬間、まさにわたしは、乱れた波間で悶絶していた。皆様もご記憶に新しいことと思う。昨年末31日、広い範囲で天気が崩れ、関東地方でも冷たい雪が降り積もり、風が吹き、海は荒れた。その日フーサンは友人たちと連れ立って、粋に洋上で新年を迎えるべく、カーフェリーに乗り込んだのだった。
一応お客を乗せる乗り物であれば、何らかのお正月らしさが漂っている、という皆の予想は完全に裏切られた。辛うじて、閑散としたイベントホールの薄暗がりで、船の動きに合わせてパタパタと揺れるスクリーンに、NHK紅白歌合戦が映写されていた。悪天候の中、船は行く手の波をデッキに蹴り上げるようにして進んでいく。時おり、すぐ横の丸窓にまでバシュバシュッと波しぶきがあたり、強い風に煽られて、船全体がドルビーシステムを備えてでもいるかのようにオオーンという唸り声を上げた。
乗船して3時間ほどが過ぎていた。その頃はすでに、船酔い気分の積み重なりは無視できないレベルに達していた。「抗がん剤投与当日よりひどい気分、あれは揺れていないから、鬱陶しさがまだ少ない。それだけでもだいぶましだ。」などと独りごち、窓外に何かを得ようと、ガラスに額を押し付けてみても、激しく向かってくる白い波頭以外は暗いばかりで、一向に明るい未来に通じる何ものも見えてこない。身の置き所をいろいろと変えているうちに、横になるといくらか楽であることを友人の一人が発見し、ソファーを寄せ集めて、背もたれに沈み込み足を投げ出した。
スクリーン上は流行りのマツケンサンバだ。キラキラと怪しく金色に輝く衣装。殿さま形のかつらから垂れ下がって目尻のあたりでヒラヒラと舞う、虫の触覚のような不思議なアクセサリー。後であの着物が全部スパンコールで出来ていると聞いて驚いた。なんて明るい曲だろう、なんて屈託の無い踊りだろう。初めて目にしたにも関わらず、一度ですっかり気に入ってしまった。あのアクセサリーの反射光に何かしらの催眠効果があって、無意識のレベルに働きかけるので、見た人は誰でも虜になってしまうのではないか、という疑念が生まれたが、忽ち波間の泡のように消えていった。わたしはマツケンの底抜け加減に本気で感動していた。船酔い中のマツケンサンバは、見事に極楽の景色であった。
やがて紅白も終わり、わたしたちはホールから通路に追い出された。気分は良くないが、なんとなく寝るのが惜しい。お年越しだもの。船酔いとは無縁の友人が、暖かい紅茶入りの紙コップを苦労して人数分運んできてくれた。さようなら2004年。乗船前、本当は星空のデッキで、コートのエリを立てながら、皆で寄りそって寒さを凌ぎ、シャンペン入りのグラスで乾杯。そんな夢を描いていたが、シャンペンを買い忘れて正解だった。
ほんの数秒前までは、晴れ晴れとせずともこのままここにいて、祝新年と紙コップで乾杯して紅茶をすするくらいのことはできるはずだった。本当に一瞬先は闇である。勢い良く椅子から立ち上がったわたしと、大波にもまれる船のリズムとが出会い、わたしの体はバネ付きの靴を履いてでもいるように、ビョンビョンと跳ね上がりながら、一目散にトイレへ向かった。そして年越しの瞬間をわたしはたった一人、トイレで悶絶しながら迎えたのであった。孤独の極みだが、実際、それどころではなかった。
よたよたと揺れる床に足を取られながら、やっと友人たちのもとへ戻ったのは、零時7分。こんにちは2005年。新年を迎えた瞬間、船は汽笛をボーッと大きく鳴らしたそうである。この航海で唯一のお正月らしい演出を味わうことはできなかったが、残念と思うよりも先に、少し改善された気分にほっと胸を撫で下ろしていた。
在りし日のお年越しが思い出される。わたしが育ったのは港町ヨコハマで、大晦日は、いつものように子供部屋のニ段ベッドに横になり、天井とベッドに挟まれた狭い空間でじっと耳を澄まして、遠く近くに重なり合いながら響いてくる除夜の鐘を聞いていた。やがて、港に停泊中の船の汽笛がいっせいに鳴り出すのを待っていた。わたしの知らない世界のいろいろな所からやってきているそれらの船は、今までいったいいくつの違う港で汽笛を鳴らしてきたのだろう。その船上の人々は、異国の鐘の音を聞きながら、一緒に居ない家族や友人のことを思っているのかもしれない。はたまたクイーンエリザベス?世号のような豪華客船では、煌びやかなパーティが朝までずっと続くのかもしれない。尽きせぬ空想の中、いつの間にか安穏とした眠りの中に滑り落ちていくのだった。
除夜の鐘と船の汽笛。長く同じ場所で同じ所業を積み重ねるものと、始終移動し定まらぬもの。その二つの異質な世界が大晦日にだけ出会い、お互い見知らぬ同志といえども、共に新年を祝う。この情緒的な風物詩が、わたしの子供心に与えた影響は意外に大きいのかもしれない。わたしはいつも知らない世界に、行ったことの無い場所に憧れていた。そしてどこの港でも異国の船は受け入れられるものと信じていた。船の汽笛は、平和で静かな心地良い夜の闇を、わたしに思い出させてくれるのだ。
返す返すも残念である。ああ、聞きたかったフェリーの汽笛。真っ暗な荒海をザンザン突き進む船が、ふいに闇夜に向かって放つ声。姿は見えないが、同じ洋上にある航行中の他船から、遠い汽笛が聞こえていたのかもしれない。体験しそこなったことは空想で補う。すると何年か後には、2005年のお正月に聞いた汽笛について語っているかも。記憶力の混乱した人の特権である。それにしても、今年の最悪は年明けの瞬間に取り組んでいたアレで、すでに終了、無事に通り越したと思いたい。