感想を書こうと思い我慢して

感想を書こうと思い我慢して 見ていた連続テレビドラマが終った。連続ドラマは面白いから毎週見逃さずに見ることができる。ああ今日は早く帰ってテレビを見なくちゃ、そういう努力なくして、次から次へと未知のことがやってくる実人生の合い間を縫って、我を忘れて、電源を入れなければ部屋の中では一番のやっかいものであるところのテレビの前に構える、などということはまったくもって不可能である。要するに、何度も見逃した。だからわたしはこのような公の場で、ドラマの総括にあたるような感想を語る立場にはあらず、だ。

でも、最終回は見逃さなかった。そして泣いた。相変わらず登場人物の感情に自分の感情を重ねることはできなかったけれど、心からわたしは泣いた。悔しくて。ドラマとは言え、医療の現場で患者が受けた不当な扱いに体がわなわなと振るえた。いや、テレビドラマだからこそ、視聴者の賛同を得られるという判断あってのストーリー展開だろうし、賛同どころか、感動の涙ちょちょぎらせようとして、ドラマの始まりから周到に一歩一歩集約させてきた末の到達点としてのドラマの核心。それにわたしは躓いて、転んで泣いたというわけだ。

物語の中心にはいつも死者がいた。すでに天に召されている理想の女性。彼女の表すものは献身、美貌、薄命だ。彼女の突然の死が謎として、それぞれの人物の隠されたモチベーションになっていた。真相は語られず、最終回まで引っ張られた。彼女はどうしてどのようにして死んだのか、それこそが問題だった。それに比べれば、主人公の生き方感じ方など、ドラマの展開にとってはほとんど取るに足らない存在だった。二人目の主人公男性医師が、いつ殻を破って本音を語るのか。彼が本音を語れば物語は大きく展開する、彼の一言はとても重要だ。登場人物たちの運命を一手に握っている。それに引き換え第一の主人公である乳がん患者の物語は展開なんかしない。彼女はどちらかというと淡々と治療を受け、働き、息子に飯を食わせて日々を過ごすのみだ。乳がん患者、生きてるだけで幸せだろう、くじけないだけで凄いだろう、ポジティブなだけで感動するだろう。今までずっと、がん患者は死にゆく者として語られてきたのだから、87%も死なないなんて画期的だろう。このドラマの売りはタイトルが示す通り、死なないがん患者だった。

ところが物語の構造としては、がん患者は始めから既に死んでいるのだ。しかも普遍の美しい死が必要だった。彼女はすでに死んでいるので、何ものも彼女を冒すことは出来ない、汚すことは出来ない。彼女の死はどのようにして神格化されたのか。彼女は医学の発展を願い、自ら開発途中の新薬を望んだという設定だ。自ら夫の執刀を願い、不必要かもしれない手術に挑んだという設定だ。そしてもっとも素晴らしいのは、死を予感したのであろうか、患者を死なせた医師となるであろうところの夫に、予め許しと励ましの言葉を残しつつ、リスクの高い手術に臨むという設定なのだ。「冗談じゃないよ、まったく。どうしたらいい、どうしたらいいのだ、こんな話。」わたしの肩にブルっと悪寒が走った。

男性医師の、真相を暴く爆弾発言を皆は黙って聞いている。亡くなった患者の遺族でもある人物の発言だからだ。「よっぽどのこと」という暗黙の了解がなされる。夫はとうとうとうと「妻はそういう人でした。」と規定する。彼女を神格化したのは、この男性医師の語りなのだった。夫たるもの全てを知っている、それがどんなに彼自身に都合のいい妻像であっても、夫が言うのだ、間違いない。「冗談じゃないよ、ホントに。まるでD.V夫の言い草と同じだ。」わたしの体に再びブルブルっと電流が走った。それは妻が望んだこと、妻はただ運が悪かったのです。ああ、がん患者を何だと思っているのだ。ステージ?で、いずれ死ぬのだから、せめて人の役に立ってくださいって、メッセージが聞こえてくるのは、被害妄想か。

次に、手術に関係した医師らがデータの改ざん等を咎められ、医療審議会で医師免許剥奪かどうかの審議にかけられるという話になる。なんという設定だろう。そんなことで医師免許剥奪の対象になった医師は、この国にはいないはずだ。そんなことで医師免許剥奪について話し合われたことは、未だかつてないはずだ。あまりにも現実とかけ離れている設定は、ドラマの自体を意味の無いものへ、いい加減なものへと貶める。更に、ドラマ中では全員一致で剥奪と決定されようとするところを、一人の医師の発言で辛うじて免許停止処分で収まるという設定だ。その発言がまたふるっている。「何でも患者に本当のことを言ったらそれこそ大混乱。うそも方便ということです。」それで皆が納得して、温情的判断が下されると言うのだ。正気か。

折りしも初めて、医療行為そのものを問題に、医療審議会において医師免許剥奪の決定がなされたばかりだ。この30年間に医師免許を剥奪されたのは40人ほどで、その半数は、殺人や傷害や覚せい剤などの、重大な刑事事件の有罪に鑑みての決定だった。医療過誤を問われての事例はない。初めての一件、それは25年前の富士見産婦人科事件の院長に対するものだ。長年にわたりうその診断をし、病変のない健康な子宮や卵巣の摘出手術を行ってきた。金儲けのためだったとされるあの驚くべき事件だ。これは医療過誤ではなく傷害事件なのだが、傷害罪としては立証されなかった。そして今現在も、乳房や子宮に対して不要な切除手術を行っていたのではないかとの疑惑はあとをたたない。

このような患者にとって厳しい現実を、いとも簡単に無視するようなドラマの設定は、その当事者を無碍にしていることになると、わたしは思う。

感想を語る立場にあらずと言いながら、随分文句を連ねたものだが、最後にもう一言。87%−わたしの5年生存率―というタイトルは、がん仲間には不評だった。タイトルを見ただけで興が冷め、一度もドラマを見なかったという人もある。乳がんに関する本には、何期なら何パーセント、ハイリスク群なら何パーセント等と、必ず5年10年生存率が示されている。まず始めに突きつけられる事実認識の壁なのだ。わたしも数冊の本を見比べ、多少の違いに一喜一憂した時期があった。そして死への不安を内心で解決しようと辿り着いたのは、生存率なんて関係無いという一つの達観だった。87%だろうが、50%だろうが、15%だろうが、死ねば0、生きれば100、と心に刻むのだ。そうすると、医療と身体は別のもの、わたしの体はわたしのものと、改めて思えるのだった。


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