風呂屋のこと はよく覚えている。なぜなら毎日入れたわけではないので、「今日はお風呂屋さんに連れて行ってあげるよ。」と言われるのを、心待ちにしていたからだ。高度経済成長の直前、その頃まだわたしの両親は30代前半で、内風呂のある家に憧れていたことだろう。わたしの育った、横浜港の倉庫地帯と国道1号線に挟まれた下町地域には、内風呂のあるような豪華な家は見当たらなかった。家というよりは小屋のような木造平屋建てが密集している地域だった。
その、わたしにとっては世界の始まりであるところの風景を、わたしはかなり詳細に記憶している。国道に平行して横並びに3本の路地があり、それを縦に結ぶ普通の道と、子供と猫にしか通ることの出来ない塀の間のスキマ道何本か。取り立てて美しくもない小さな川の流れと二つの橋。トタン張りの囲いの向こうに垣間見える、積み上げられたコンテナやクレーンのアーム。わたしが初めてはっきりと自分のテリトリーと意識していたその場所は、開発の波から完全に取り残されて、実は、わたしの記憶とあまり違わない様相をいまだに保ってくれているのだ。都会の端っこで40年間、何のブームが訪れることも無く、ひっそりと静かに生き延びている。
3年程前、たまたま仕事で近くを通りかかった。住所も定かではなかったが、ただ自分の記憶を信じて、道を左へ右へ辿っていった。果たして、ここに違いないと言う場所に、全くその通りに、なんと、父と母わたしと妹4人の住んでいた小屋がそのまま残っていた。なんでこんなものが、わたしはただあっけにとられた。建物としてとても40年間を生き延びる価値のあるようなシロモノではない。それはトタンと材木の組み合わせにペンキを施したものに過ぎない。もともと車庫として作られた小屋を父が借り受け、奥に流しと四畳半間を設えたのだ。わたし達は馬小屋よろしく、一家唯一の財産であるところの商売用トラックと寝起きを共にしていた。夕方になると、金盥に湯を張って行水をした。
わたしは男湯が好きだった。それは本当に信じられないくらい見事な、全身に施された刺青をつぶさに観察できるからだった。わたしは覚えたてのクリカラモンモンという何やら可愛らしい響きのこの言葉が大好きで、物怖じせずに口走っていた。「あっお父さん、クリカラモンモンだ!」「しーっ!」父はわたしの肩を無理やり湯に押し沈めた。それはわたしの銭湯における大きな楽しみだった。今日はどんなクリカラモンモンに会えるだろうか、そう考えるとわくわくと心が躍った。
風呂屋へ行くのが好きだった一番の理由は、その行き帰り、一家四人で仲良く歩くからだ。今日も一日良く働いた或いは良く遊んだなあとそれぞれが充足している。これから湯に浸かるのだというリラックスした雰囲気が皆の心を繋いでいたように思う。季節によっては星が瞬いていたり、夕暮れの薄暗がりであったり、少し足を伸ばして桜の花を見物したり、アイスクリームを頬張ったり。両親が仲良く歩いている姿を眺めるとき、それは我が家では白旗が振られている時間、非武装非戦闘条約の批准時間と言ってよかった。まさしく小さな幸せだった。
40年後、大都会のど真中、観覧車や遊園地のイルミネーションを見下ろすビルの上でわたしは、巨額の資金を投じて掘り当てられた温泉に浸かっている。思考は心地良く解き放たれ、とりとめも無くさ迷っている。何も考えていないようでいて、ふと気がつくと子供の頃の風呂屋のことを思い出していた。わたしもいつのまにか昔語りをするような年になったのだ。たった40年前のことだけれど、むかしむかしの物語である。
ここでは皆ハダカで歩く。風呂場は大きく、いくつもの浴槽があり、大勢の人が寝そべったり、座り込んだり、目を閉じたり、友と語らったりしている。むかしむかしと何も変わらないじゃないかとも思う。人間は人間の形をしていて、お湯に浸かると肌を上気させて汗を流す。相変わらず、頭にタオルを載せたり、顔を拭ったりしている。若い人は引き締まったお腹をしていて、年配の人の背中は丸く柔らかい。皆リラックスしていて、小さな幸せに顔を輝かせている。
わたしたち一家がトラック小屋に住んでいたのは、4年余りのことだった。たった4年で父は郊外の小高い新興住宅地に内風呂付きの家を建てた。祖母のために田舎の家も建て替えた。トラックは2台に増えた。恐るべし高度経済成長。たとえ父に商才があったのだとしても、たかだかトラック2台でまかなえるほどの商売の規模で、たった4年で、安普請とはいえ家を二軒も建てられたとは、今では考えられないような好い状況ではないか。
わたしは一風呂2,000円はする都会の温泉に浸かりながら、ため息をついた。わたしは家を買うことなどない代わりに、こうして束の間贅沢をしているというわけなのか。ま、それでもいいか。お湯に浸かりすぎて、闘争心が萎えたようだった。
家に帰って本日の新聞をチェックしていると、「自民党の新憲法試案の要綱」というものが発表されていた。「家庭などを保護する責務―国民は夫婦の協力と責任により、自らの家庭を良好に維持しなければならない」とあった。ほんのりゆったりと緩んでいたわたしの脳みそに、ピリピリと危険を察知したときの信号が走った。夫婦の協力?良好に維持?なければならない?なぜそんな文言を付け加えたいのか、わたしには理解できない。
例えばわたしの育った家庭はどうなるのだ。あの未完成で、反目し合って喧嘩しあって罵り合って、感情をぶつけ合った家庭を、あの素晴らしくはちゃめちゃな、ただ不器用で誇り高く、自らをまっとうすることに精一杯だったあの愛すべきわたしの父と母を、そんなふうに臭いものに蓋をするかのように、矮小な世界に閉じ込めるかのように、彼らの人生を否定するかのように扱うのか。そんな画一的で底の浅い理想を、わざわざ憲法に掲げようというのか。さまざまな形の家庭があり、さまざまな生き様がある。どんな境遇の人々にとっても等しく心地良い、風呂屋のようであるべきなんじゃないのか、憲法ってものは。