時計の針はすでに6時を 回っていた。待合室はいつの間にか閑散としてきており、先ほどまでザワザワとした気配にかき消され聞き取れなかったはずのテレビの音声が、よく響いていた。一日中ここにいて、同じ内容のニュースを何度も眺めた。正午からずっと、1時間に一度ずつ、ブルーシートで覆われた列車事故の現場を見ていた。紙細工のようにペシャンコになり建物の外壁に巻きついていた車両の映像は、信じ難いものから忘れ難いものとなって、わたしの脳裏に焼き付けられていた。
がん友達の一人が、この長い待ち時間を利用して、多くの患者さんや付き添いの人に声を掛け署名活動をしている。政府は介護保険制度の見直し案を作成中だが、その中に特定疾病という項目があり、40歳以上の末期がん患者が必要に応じて介護保険を利用できるように改正される見通しなのである。なのであるが、乳がんや脳腫瘍は対象から外されることになりそうだった。そこですべての癌を対象にすることを要望しようと、乳がん患者の中から署名運動が起こったのである。ここでは皆がんと無関係ではないのだから、さぞかしたくさんの署名が集まるだろうと思いきや、話を聞くと、そうたやすいことではなさそうだった。主旨に賛同することはもちろんやぶさかでない。やぶさかではないが、昨今は個人情報が危険に晒されている、署名という行為は遠慮したい、と断られる方も多いそうである。それにしても、会話は介護保険見直し案に留まらず、病状や他の相談事へと展開しているようで、がん友達は忙しそうであった。
「あと何人かな。」午前中から順番を待ち続けているもう一人のがん友達が、周りを見回しながらつぶやいた。「まだ5,6人は待っているようだね。」「みんなK先生かな。」「まさか。」「いや、そのようだよ。」「7時過ぎるのは確実だね。」すると、今まで背を向けて前方に座っていた女性二人が振り向き、「あなたもK先生?」と声を挙げ、「いち、にい、さん、しい。」と待合室に残っている人数を数えだした。すると、四人分の椅子に寝そべって新聞を広げていた別の一人が起き上がり、「あなた何時の予約ですか?」と訊いた。待合室をぐるりと取り囲む診察室には、門灯のような照明がついているのだが、いつの間にかほとんど消えていた。今や居残っているのは我等がK先生一人のようだ。「わたしは2時半の予約ですよ。」「それじゃわたしが先ね。わたし2時だから。」
「あなたおっきなアクセサリーしてるのね。ちょっと見せて。これ、どこで買ったの?」「インドネシアです。」「この指輪は?」「これは東京のデパートで。」「デパート!?」まるきり初対面、知らない同志ではあっても、うち解けるのに時間はかからなかった。すぐに数人が近くへ集まってきて、あっと言う間に和やかな会話の輪が生まれた。淀んでいた空気が対流し始めたかのようだった。今日は特に、目立たない形でではあるが、署名のために一人一人に声を掛ける人のあったせいで、すでに、うち解けやすい雰囲気が作られていたのだろう。他に誰もいない、大声で話し込んでも迷惑がられることはないとばかりに、一気に話しに花が咲き、笑い声があがった。名を呼ばれた人が診察室へと向かう。「それではお先に。」「どうぞ、ごゆっくり。」「残りはここで宴会してますから。」「あはははは。」という具合だ。
一人が戻ってくる。入れ替わりに別の一人が名を呼ばれて立ち上がる。「あなたの声、外まで聞こえてたよ。」「えー!全部聞こえちゃった?」「うそうそ。何も聞こえてないですよ。」「どうだったの?」「うーん、それが、数値が上がってるから、今の抗がん剤中止だって。がっかりだ。」「次は、決まった?」「決まってないよ。いろいろやったからね。もう残ってないかもね。」「そんなことないよ。」そう言って一人が医療雑誌を開きページをめくる。皆で新しい抗がん剤組み合わせの記事を目で追う。「これなんかどう、先生に提案してみれば。」雑誌の持ち主がそう言い、その人はメモ帳を取り出して薬の名前を書きとめた。
もう一人戻ってきた。口元が硬く結ばれている。「どうだったの?」「少し大きくなっていますって。」「どうするって?」「タキソテール。」「ああ、それやったことある。そんなに酷くないよ。」「大丈夫、髪が抜けるだけだから。」「せっかく生え揃って、きれいにのばしたのにね。」「でも実は、カツラはもう買ってあるんです。」「なんだ、いいじゃない。これもカツラよ。」と言いながら、一人が髪をスポッと外した。
最近わたしは、診察日をがん友達と示し合わせて、帰りに銀座で一杯やることにしている。この日は待合室で知り合ったばかりの人も加わり4人で繰り出すことになった。「でもわたし飲めないのよ。」「何言ってんの!肝転移があったって、酒は飲めるよ。」「そうじゃなくて、もともと下戸なの。」「酒飲みに見えるけど。」「いやいや。」「いいから、たくさん食べましょう。」「行きましょう、行きましょう。」「それじゃ、パワーを分けてもらいに。」「あっ、これ誰のですか、メモ帳。」「それそれ、大事なメモ帳。忘れちゃいかんよ。」壁の時計はとっくに7時半を回っていた。そして誰もいなくなった待合室に、テレビの音声は流れ続けた。
わたしの癌は、何度も書くが、只今休眠中である。「このままの人も中にはいます。1万人に一人くらいは。わたしはその患者さんを知っています。本当ですよ。」やっとK先生は自然治癒の可能性も無くは無いと、口を割った。しかし1万人に一人とは、思ったよりもずっと少ない。わたしが癌で死ぬにしろ、治療法を自分で選択でき、周りに屈託無く思いを伝えられ、痛みを緩和することができ、不自由になった体を補うようなシステムを手に入れ、死にゆく者としてではなく、社会の一員として過ごすことができるのであれば、随分満足して最期を迎えるだろうという気がする。
「人は最期の三ヶ月を幸せに過ごすことができれば、人生全体に満足することができるのだ」介護の仕事をしている友人がわたしにそう教えた。それが介護の思想なのだろうか。なるほどねと思う。でも、少し言い換えたい。「人は最期の三ヶ月を幸せに過ごすことができなければ、その人生全体を不幸と感じてしまうかもしれない」と。そしてこういうことも考えてみる、突然の予期せぬ事故で命を奪われるということは、その大切な最期の三ヶ月を奪われるということなのではないかと。命と一緒にその死をすらも奪われる、破壊される、ということなのではないかと。なぜかインドネシアの土産物屋に売っていた、身の丈35センチの釈迦涅槃像を眺めながら、死ぬるということを、そういうふうに考えた。
* 介護保険の見直し案に関する署名は5月7日まで受け付けています。下記のホームページで署名用紙をダウンロードすることができます。現在、約1万人の署名が集まっているということです。
「すべての介護を要するがん患者が介護保険による給付を受けられるように要望する会」
http://home.s00.itscom.net/777/kaigo/