さあ、始めよう、と思う。何をか、よくわからない。ただ、始めようと思うのだ。まるで、季節が巡り春になったのと同じに、衣替えの準備ができていなくても、どんどん春は深まっていく、地熱が上がっていく、というふうに。
つまり元気がでてきた、ということだ。では、今まで元気がなかったとでも言うつもりかと、不信に思う方もおられるであろう。確かに。今までだって元気だった。それは病気に負けるまいとして、元気になろうとして元気だったのだと言えると思う。最近は、がんばらなくても元気でいられるようになった肉体の力、生きていることの力を確実に感じるようになってきた。かといって体力が落ちていた頃に「がんばっていた」かと言うと、そうでもない。ただ、これ以上落ち込んでいかないように、足を踏ん張ってはいたのだ。それは、急に半減した体力や急に死ぬことになった精神的なショックで、言わばジェットコースターに乗っているような感じなのだが、その地点に立っているという基本的なことをしているだけで、踏ん張る必要があったのだ思う。
いつ死ぬとは言われなかったし、思い起こしてみれば、誰かに死ぬぞと言われたわけでもなかった。「根治はしませんが、QOLを高めましょう。」担当の医師はそう言ったのだ。そうだ、がん患者に限らずとも、QOLは高い方がいい。同じ時間を生きていても、クオリティ・オブ・ライフ、高い方が気持ちいいはず。
わたしは今、がんが休眠中(実際がん細胞が寝ているのかどうか知らないが、病状が安定しているという意味)であることが、素直に嬉しい。当たり前じゃん、と思われるであろうが、意外とこれがそうでもなかった。レントゲン検査で骨転移が消えたのを知ったとき、わたしは不機嫌になったのだった。「カモン!」という戦闘状態に肩透かしを食らったせいかもしれない。根治ではない中途半端な状況に、判断力がついていかなかったのかもしれない。結局、人間誰でもいつか死ぬのだ!という、死ぬことの再発見に絶望したからかもしれない。がんが治ったらものすごく嬉しいはずという先入観が裏切られたことに、ちょっぴり腹をたてていた。
あの頃は半信半疑であったのだ。この先どうしたらよいのかが自分でわからなくなった苛立ちとも言える。でもそれは考えてみれば、がんになる以前からの話だ。今まで一度も、この先どうしたらいいのかはっきり解っているというような、いわゆる先見の明がわたしにあった試しはなかった。いつでも、次々と向かってくる波に追われて、下手なサーフィンをするように生きてきた。ところが、一時的にがんと闘うオンリーの状況に落ち着いてみて、ある面から見れば、精神的には安定していたとも言えるのだ。すわり心地の悪い椅子に深深と腰を降ろしていたので、さあ立って立って、と急に言われても、バランスが崩れてなかなかちゃんと立ち上がれなかった、そんな感じだ。
少しは地に足がついてきたのか、この状況を喜ぶ余裕がでてきたようだ。がんが治れば元に戻るのかと思っていた様々なことは、闘病中も確実に非可逆的に年を重ねていくわけで、がん細胞が減っても、元の自分に戻ることはなかった。これもまた当たり前なのだが、実感として得て、わたしは妙に感心しているというわけだ。病気はマイナスではない、プラスと思うことを足しても、元には戻らないから。
以前、抗がん剤投与終了3ヶ月目くらいに一度カラオケに行ったことがあった。それまでのわたしの十八番は、踊りながら絶叫する「どうにもとまらない」であった。ただ、あまり興が乗っても、「誰か止めてやれー」という罵声が飛んでくることが多いので、若い頃は思い切りはじけていたのだが、多少のパワーダウンながら、近年では中年の大人ぶって控えめに歌うことにしていたのだ。だがしかしその時、わたしは最後まで歌うことができなかった。ソファの上に立ってしまったのだが、踊りながら声を出すことができないと悟るのに時間はかからなかった。踊り無しでなんとかごまかそうとしたが、一番を歌い切らないうちに、息切れし、途中からは苦し紛れに掠れ声を挙げているに過ぎない、なんとも哀れな状態だった。
哀れを感じたのは、本人だけだったようだ。わたしはひとり悲しかった。もう「どうにもとまらない」は封印しなければならない。これからは何を持ち歌にすればいいのだ。抗がん剤のやつ、こんなに焼きが回るとは酷いじゃないか。わたしにとって、この「どうにも続けられない」事件は、生命力の衰えを実感した重大なできごとだった。
数日前、久しぶりにカラオケ・ハウスを訪れた。「どうにもとまらない」が駄目になってから、わたしは「さそり座の女」という新しい持ち歌を開発していた。低めの声でだらだらとそれなりに味っぽく歌えば、結構気持ちいい歌だった。その他比較的、酸素消費量の低い歌を選んで歌うようにしていた。
出だしはほぼ思った通りだった。顎を引いて「いいえ」、鼻から抜いて「わ・た・し・は」。視線を誰かに向けて「さそり座の」熱い吐息とともに「おんなあ」。ところが、ほどなくわたしの歌声は暴走し始めた。試しにふと腹に力を入れてみたのだ。すると、思いもよらなかった強いエネルギーが、腹の底にぐぐっと集中してくるのが感じられた。宇宙戦艦ヤマトの波動砲を思い浮かべていただけるだろうか。ぐんぐんぐんと戦艦の内部で真っ赤に高まっていくポテンシャルエネルギー。腹に力が漲る漲る。おもしろいように肺から酸素が入る入る。どこまでダッシュできるのか、わたしは26年前、初めてランナーズ・ハイを体験したときのように、歯車のがっちり組み合った、めいっぱいな体の高揚を楽しんだ。「完全復活!」心の中でわたしは満足の雄叫びを挙げた。歌い終わって、意気揚揚と着席すると、隣に座っていた友人が一言、「恐かった」とつぶやいた。
元の自分、もうなんだか、そんな人のことは忘れた気分だ。ひょっとすると、元の自分はどこかにいなくなってしまったのかなとも思う、元の恋人のように。もちろん今までのしがらみやトラウマやなにやかやから開放されたということはなく、ただ単に新鮮な気分だと言うに過ぎないけれど。がんはわたしのターニングポイントだったと思う。これから先の距離がどれくらいの長さなのかを、どれくらいの時間生き長らえるのかという物差しで計ることをわたしはしないだろう。今は半分。これからまだ半分。例えば、それは消費した酸素の量かもしれないし、泣いたり笑ったりした感情の大きさかもしれないし、真摯に語った言葉の数かもしれない。