カリアラン・ピーラッカ と綴ってしまうと、全然違う、違うものになってしまう。日本語の表記では、あの口の中からコロコロとこぼれ落ちてくるようなフィンランド語の発音を再現することは、どうしてもできない。発音する唇や舌が、それを聞き取る耳がくすぐったい。だから会話をしている二人の間柄が、自然に、微かに触れ合うような、そこはかとない親密さが漂っているような、そんな気になってくる。普段日本語を話すときにはしたこともないような舌先の動きを、わたしは楽しんだ。何度も何度も、子供のように。カールラリアンヒーラツハ、ハラルルリアランヌピーラッハッ、カルリアラランヒイイラハハ、カラララリアランピイラックワ。
(随分ご無沙汰しておりました。パフォーマンス・アート交流展のために遥遥ヘルシンキにまで出かけておりましたのです。フィンランド、爽やかでした。帰ってきてみれば日本は梅雨真っ只中。灼熱のインドネシアから帰ってきたときとは逆に、今度は日本の気候が鬱陶しい、穢れた東京の空気が息苦しい、です。)
フィンランドに行くと話すと、十中八九「オーロラを見に行くのですか」と聞かれた。しかしオーロラを見に行くのなら冬の方が良いだろうと思う。それでわたしは「ムー民(ムーミンみたいな人たち)に会いに行くのです」と答えていた。ヘルシンキはニ度目だ。初めて訪れたのは4年前、その時の印象は、なんと清潔な街だろうということだった。どこへ行ってもトイレがきれいで使いやすい。トイレがきれいだということから生まれる街全体の安心感に改めて感心したものだ。トイレは汚物と身体との間に横たわる緩衝地帯であり、完璧な公共性を要求される高度に文化的な場所なのだ。実質的に世界が平和であるのかどうかと同じくらい、いや、平和であることの象徴として、きれいなトイレは素晴らしい。
このように、前回は主にトイレだけで終ってしまったフーサンのフィンランド観察・体験を、今回更に深め、なんとなく心惹かれるムー民たちのムー民たる由縁を探ろうと考えていた。それにはやはり、サウナ。フィンランドは芸術家を大切にする国として、パフォーマンス・アーティストの間でも評判が高いが、アーティストたちがスタジオとして、格安の家賃で(広さに応じて月額約2万円前後)市から借り受けている建物にさえ、24時間使用可能のサウナがついているのであった。サウナはフィンランド人にとって基本的人権の一つとしてその憲法にも謳われている(うそ)。親しくなったフィンランド人アーティストの一人が、自分のスタジオにわたしたちを招待してくれることになった。
スタジオは入江に数多浮かぶ小さな島の一つにあった。街側とは目と鼻の先である。直線距離にして100メートルも無いくらい。何もわざわざボートになんぞ乗らなくても、ひょいと一跨ぎしたい衝動に駆られるような距離である。しかし人間、水上を歩くことは例え一歩たりとも不可能だ。友人はわたし達4人の日本人を2回に分けて、ぎいこぎいこと手漕ぎのボートで運んでくれた。時刻はすでに夕方の6時頃なのだが、真昼間と同じに天に日は輝いている。湖のように静かな水面に立つさざなみがキラキラと反射して眩しい。わたしはサングラスを取り出した。街側の岸辺には、そこは船着場や駐車場やバイクの溜まり場やらのある場所なのだが、皮の繋ぎに身を固めたハーレー・ダビッドソン乗りに混じって、タオル地のガウン姿の集団がいくつか、アイスクリームをぺろぺろと舐めながら憩っている。サウナ中一休憩の光景だ。
島に着くと、犬の絵にバッテン印の大きな看板が目に付いた。どうして犬が禁止なのかと聞くと、ここは野鳥の繁殖地だからという返事。ふと見ると、丸々とした黒っぽい羽の親鳥と薄茶の羽の小さな雛がよたよたと歩き回っている。一定の距離を保ってはいるが、人間をそう恐れている様子も見受けられない。気がつくとあちらにもこちらにもよたよた歩きの雛鳥が、気兼ねなさそうに呑気にうろうろしているではないか。わたしは驚く、これほど街に近い場所に、これほどの自然、そして、これほどの保護意識。
以前はソ連軍の生物研究所だったというレンガ積みの建物が、サウナだけには手を入れてあるようだが、あとはそのまま、一部屋ずつそれぞれアーティストのスタジオとして使われていた。二階には皆で使える遊戯室とダイニングキッチン、そこでわたしたちはできたてのカリアラン・ピーラッカにバター卵を載せて食べた。つまりカリアラ地方のピーラッカ。ライ麦粉の薄皮にミルクで炊いたお粥を載せて、オーブンでカリっと焼き上げた軽食だ。ミィナビダン、カールリアランピーラッカスタ、ムーナボウイッラ!(わたしはカリアラン・ピーラッカとバター卵が好き!)
「リッサ、ルゥーラ!」熱せられた石に向かって柄杓で水をバシャっとかける。ジュッ、シューワワワワとサウナの小部屋中に蒸気が立ち込める。と同時に熱気がどんどん高まっていく。もっともっと、もっと蒸気を!とお望みのときは「リッサ、ルゥーラ!」と声を掛ける。始め熱さに堪えかねていた日本人たちも、しばらくすると声を揃えて「リッサ、ルゥーラ!」「リッサ、ルゥーラ!」と連呼し始めた。
フィンランド人にとってサウナは神聖な場所である。昔々はサウナでお産をし、人が死ねばサウナで清めたという話だ。こんな熱いところでいきんだのか、と多少驚かなくもなかったが、ムー民の秘密が一つ紐解かれたような気がした。今でも、サウナの中では静かに過ごす習慣は守られているし、例え男女一緒になったとしても、お互い裸だからといって、サウナでセクシャルな気分になることなどあり得ないのだそうだ。(本当ですか! フィンランド人の方!)
「海に行こう!」フィンランド人の友人が皆を促した。タオルを巻こうとする日本人を尻目に、彼女はマッパダカのまま扉を開け放って出て行った。どうせ野鳥しかいないのだし、とわたし達も何も纏わず、始めおずおずと、そのうち野鳥の糞と土を踏み分けることを諦め、素足で大地を踏みしめ、彼女を追いかけた。野鳥だらけの海岸べりまで辿り着くと、ようやく地平線に近づいたお天道様が真っ赤になって、空を染めていた。時刻は11時を少し回った頃だっただろうか。真夜中の夕焼けを眺めながら、子供の頃、カバだとばかり思っていたムーミンが、服を着ていない理由がわかったぞ等と考えていた。日本に生まれて日本人として育ってしまったわたしはフィンランド人になれなくとも、ムー民になることはできるのかもしれない。現に今、ムー民状態にあるのでは、と思っていると、「海が凍っていなければ真冬でも、サウナの後に飛び込むんだよ。気持ちいいよ!」と彼女が言うので、まだまだムー民足り得ない自分を反省し、裸の腰に手をあてて、見晴るかす海を眺めた。暖まった体に気持ちよく風の当たるのを感じていた。足元で、野鳥がガーガー鳴いていた。