憧れだったヴェネチア・ビエンナーレ 行って帰ってきてみれば、さすがに百年の伝統、アート業界の今をリードしてきた大展覧会だけのことはあり、すっかりわたしの持っていたピュアーなアートへの思い入れが変質してしまったことに気がつく。ぐらりときたアートへの思い、あれからときどき、現代美術という字を見ると、軽く眩暈のようなものを感じてしまう。
フィンランドでパフォーマンスをした後、ヘルシンキからツーフライト付け足して、イタリアはヴェネチアにまで足を伸ばした。ちょうど二年に一度、現代美術の祭典と言われるヴェネチア・ビエンナーレが火蓋を切ったばかりだった。今年は特に、長いビエンナーレ史上初の女性総合ディレクターであり、それに同調するかのように、日本館ではディレクター(笠原美智子氏)もアーティスト(石内都氏)も女性、作品のタイトルはMATHERユSという展開だった。フェミ系として、これは見逃すわけにいかなかった。
初夏とは言えヴェネチアの日差しは強い。数時間前まで北緯60度超のヘルシンキにいた身にはぐっとこたえる。岸壁の通りでは、海側を向いて土産物屋とレストランとホテルとキャッシュディスペンサー、そぞろ歩きの観光客。サングラスに半ズボンの出で立ちで次々と押し寄せて来る人々の合い間を縫って、わたしは友人と二人、がらごろとスーツケースを押したり引いたり、目指すホテルに到着せんと奮闘した。ヴェネチアは運河だらけ、したがって橋だらけ、橋はゴンドラのためにアーチなっていて、道行く人々は階段を上り下りしなければならない。水上バス到着地の詳細を調べずに、ホテルを決めてしまったことは不覚であった。
次の日は朝からジャルディーニ地区へ。そこは大きな木々の茂る公園で、ゆったりとした敷地に各国のパビリオンが点在している。入口から大きく道は二手に分かれ、左手に行くと突き当りには、総合ディレクターの一人であるマリア・デ・コラールの手がけた園内最大の展示館がある。そう、今回の総合ディレクター、実は二人いるのであった。そのこともヴェネチア・ビエンナーレ始まって以来だというのだが、なぜに初の女性、初の二人なのであろうか。しかしこれは考えてみればよくある戦略のようである。例えば芥川賞初のウラワカキ女性二人同時受賞とか、アジア初のFIFAワールド・カップは初の二国間共同開催だとか。本来一つであるはずの頂点に二つを同時に立たせることには、何となく座りの悪い感じが漂う。話題性を目論んでということと同時に、それと切り離せない形で、これは正式ではない、という暗黙の了解があるようにわたしには思える。それでも一度も無いよりはましなので、関係者はとりあえず喜ばなければならず、他者を他者として定位置につけ、波風立てずに納めるための、これは本当にうまいラベリング方法だと感心するのだ。
ヴェネチア・ビエンナーレには、このことに象徴されるようなフレーミングのようなものが、歴史が長いだけに多く目につく。例えば、各国のパビリオン。これは恒常的にプチ美術館としてその国によって建てられたものだ。国という団体が建てたのだから、それは多かれ少なかれ政治的な臭いがする、とわたしは思う。その大きさ、その敷地、その位置、お隣さんとの関係などなど、暗に示された世界情勢の縮図がこの小さな人工都市ヴェネチアの町外れの公園に、まるで立体モデルのように出現している。
入口から参道のようになっている右手の道を進むと、突き当りにはグレート・ブリテン館があり、やや後方にカナダ館。大英を挟んで左右にはフランス館、ドイツ館。ロシア、日本はがんばってこの参道に面する位置をキープ。米国は中庭に面したゆったり地域で余裕を感じさせる。そして見よ、米国館の隣はイスラエル館である。入口に程近い、デパートで言えば売れ筋系のメインストリーム的敷地には、スペイン、ベルギー、オランダとヨーロッパの老舗が並んで、イタリア企画館へと続く。あとから付け足されたような格好の、橋を渡った川向こうには、オーストリア、セルビアモンテネグロ、エジプト、ブラジル、ポーランド、ルーマニア、ギリシャ。この各国パビリオンの位置からはそこはかとなく国際情勢の趨勢や、その国とヨーロッパとの政治的な関係や、文化行政まで透けて見えてくるではないか。
おもしろかったのは、経済的にも政治的にもそして軍事的にも、新興勢力として世界から注目されている中国館の位置。中国はこの古き鍔迫り合いの場、ジャルディーニ地区にはいない。もう一つの会場である造船場跡のアルセナーレ地区は、テーマに沿って、各ディレクターが担当する企画展用のエリアである。そこの一番奥、まっすぐただ歩いて行っても10分以上掛かりそうな入口から遠く離れた場所に、あまり展示には向かないと思われる、巨大な重油用タンクの並んだ棟と、隣接する忘れ去られたような芝の庭がある。そこを中国は今年初めて使用し、これから恒常的に中国館として使うそうである。そのような場所性を選んだこと、そのこと自体が、何もかもがフレーミングされているようなヴェネチア・ビエンナーレにあって、中国と言う大国の自信と独自性を感じさせるではないか。ちなみに台湾館は両会場からまるで締め出されているかのように、それでも一国として参加しているぞと見せつけるかのように、会場近くの街中の建物を一棟借り切って、大きな垂れ幕でアピールしていた。
日本館へは前情報から、期待して訪れた。そしてこの日本館というものを、選ばれたアーティストは恒常的に使い続けなくてはならないということに、少しばかり違和感を覚えたのだ。これがわたしの憧れていた、トップ・オブ・ザ・世界の現代美術、そしてその発信装置の姿だった。わたしは何か現実世界を浄化するような、素晴らしい、無垢な、まあ言って美しい世界がどこかにあるというふうに思っていたらしい。アートの名において、例えばヴェニス・ビエンナーレに。「わははは、うそー、そんなわけないでしょ。」などと笑ってしまえない自分が寂しくも恥ずかしくもある。サンタクロースなどいないと知った子供のようなものか。あるいはまたこのようなわたしの感想も、石内都氏の、母の遺品を撮影した作品群が見せた幻想であったのかもしれない。不在の女が、まだそこに宿っているかのように感じられる日常の物たち、それをそのように見つめる、引き継ぐ者、娘としての作家の視線。そしてそれを閉じ込める日本館という建造物。更に取り囲むビエンナーレと言う世界装置。
女性ディレクターでなければ実現しなかったであろう展示、実はたくさんありました。その話はまた次回に。