わたしはドメバイ育ち

わたしはドメバイ育ち つまりドメスティック・バイオレンスのある家庭で育った。ドメバイという言葉は酒井順子氏が負け犬業界用語として紹介していたのを拝借した。普通はD.Vと略されているのだが、ドメバイという響きは、ただのアルファベット記号の羅列よりも体感としてしっくりくるのだ。ドメバイ育ちと言っても、例えば貧乏育ちとか田舎育ちとか都会育ち或いはお嬢さん育ちなどというほどの緩やかな括りに過ぎず、その一言で、人格上のなにがしかを特定解釈できるということはないと思う。ただわたしは自分のドメバイ育ち体験を懐かしく回想する。今は昔、家の中では一年中嵐が吹き荒び、外界は永遠の春ウララであったあの頃。学校に行くのをまるで休憩時間のように感じていたあの頃。我が家では、居間の刷き出し窓は大抵ガラスが割れたままになっていた。たまに職人さんがやってきて新しいガラスを嵌めていくのだが、一ヶ月ももてばいいほうだった。

あの頃わたしたちはそれを「夫婦喧嘩」と呼んでいた。「うおりゃあああ」と吠えながら、上に食べかけのおかずの皿や醤油びんやお味噌汁の入った鍋を載せたまま、力任せにひっくり返されるダイニング・テーブル。それはいよいよ父が本格的に暴れだすぞと知らせるファンファーレのようなものだった。ちゃぶ台よりもずっと大きな破壊力、ガラガラガッシャーンという大音響と伴に、テーブル上にあったはずのあるものは遠くスライドしてガラス窓を突き破り、庭にまで転がり落ちるのであった。我が家ではコップ類の寿命はおよそ一夏。冬を越せるガラス器は稀だった。洋食器でもお鉢でもどんぶりでも、セットで揃っているものは一つもなかった。昔の鍋はアルマイト製で薄手だったが、フライパン以外、全ての鍋底は凸凹だった。なぜって、それは父が母の頭を殴るのに使うからだった。夕餉の支度をするとき、母はいつも柄の捩れたお玉で味見をしていた。自分に向けられた凶器であったはずのそのお玉で。

懐かしく回想すると言ってはみたものの、ここまで書いて、わたしは早くも沈鬱な気分に襲われている。鼻梁の奥がツンと縮んで、熱くなる。鼻血でも出そうな感覚だ、ギブ・アップである。しかしそれでも、随分平気になったものだ。20才の頃まで、わたしは自分の育った家庭を恥じていた。暴力を振るう父だけでなく、酒に酔って正体を無くしている(現している?)父も、泣き叫ぶ母も、傷ついた母も、精神を病んだ母も、そして癌になって死んでしまった母も、放置されたガラスの無い窓も、それら全部が、渾然一体となって燃え盛る火の玉だった。常時ジリジリとわたしの胸を内側から焦がし続けた。火の玉を内に抱えていることは、人に知られてはならない秘密だったのだ。

当時のわたしは自分を被害者として捉えてはいなかった。母は被害者だったが、わたしは自分の立場がわからなかった。暴力に晒されている人間を目の前にしていながら成す術を持たない自分は、半分以上加害者のような気がしていた。しかもわたしの体には確実に父の遺伝子が組み込まれているのだから、なおさらだった。わたしには悪い血が流れている。わたしは恥ずかしい人間だ。子供心に、将来好きな人ができたなら、この父をその人に紹介しなければならないのかと考えると、目の前が真っ暗になる思いだった。それは笑い話のようだが、自分を異端者として卑下し、社会的な疎外感を持つのに充分な理由になり得たと思う。わたしがこの年齢になるまで社会人としてしっかりやるとか、せめて落ち着くとかにあまり興味が湧かなかったのはそういうことではなかったろうか。まして家庭を持とうとしなかったことに関しては、何をか言わんやである。

それでは、「随分平気になった」理由は何か。時間が経ったということもあるだろう。自分で掲げた目標(家庭という荒くれ地帯からの脱出)が叶った安堵もあるだろう。しかしそれよりもわたしは、ドメスティック・バイオレンスという概念を知ったことが大きいと感じている。あれは「夫婦喧嘩」ではなく、暴力。いかな理由があろうと、人間として最低ランクの行いと位置付けられるところの、暴力だったと理解したことが、わたしの心の内なる火の玉の、火力を弱めたのだろうと思う。それからもう一つ、ウチみたいな家庭は決して少なくない、自分一人が特別なのではない、わたしの父だけが突出した変態野郎(変態の皆様ごめんなさい)というわけじゃないのだと知ったのは、世間がディーブイディーブイと言い出したお陰であった。その考えはわたしを救ってくれたけれど、それじゃあ、この社会はいったい何なのだ、という別な形の絶望を突きつけてきたとも言えるのだが。

やっと父の家から脱出したのは大学ニ年の頃だった。そのときすでに母はなく、妹たちを置いて出るのは多少心が痛んだが、あの人たちもいつか自分の力でなんとかするだろう、してもらわなくては、わたしとしてもこれが精一杯、自分の居場所を見つけることで精一杯という気持ちだった。あれから二十有余年、現在、中の妹は嫁ぐという方法で脱出を果たし、下の妹は父に掴まったまま同居中である。相変わらず酒に酔っては無茶苦茶な世迷いごと悪口雑言を垂れ流す父はしかし、寄る年波のせいなのか、暴力の対象を失ったせいなのか、ダイニング・テーブルをひっくり返すことはもうない(壊れたのでテーブル自体がもう無い)。正直なところ、汁物食べ物陶器の破片などが分別不能な状態で散らばる惨憺たる部屋の、クリーニング・サービス(主婦)を失ったことが、単に、父の暴れなくなった理由なのではないかとわたしは思っているのだが。

同じ家庭で育っても、おそらく三人三様、ドメバイに対する思いは違うだろうと思う。そう言えば、妹たちにドメバイ育ち体験を聞いてみたことがないと、今さらながら気づく。わたしは逃げた、今でも逃げ続けている、父という悪漢から、家庭という狂騒のガーデンから。しかるになぜ妹は結婚に躊躇なかったのか、なぜ妹は悪漢の傍らで過ごすことができるのか。

ああ、実家で過ごすお盆休み、今年のテーマが見つかったみたいです。


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