大きくなったら何になるのか と子供の頃は誰しも聞かれたことだろう。わたしは聞かれる度によくよく考え、出来得る限り真面目に答えていたものだが、一度だけうそをついたことがある。幼稚園で毎月一度お誕生日会があった。夏休み生まれのわたしが祝ってもらえたのは新学期になってからで、二ヶ月分一緒くたのお誕生日席はいつもよりも多人数だった。お祝いされている印に胸にリボンでできたお花のようなものを付けて、わたし達は皆の方を向いた席にパネラーよろしく一列に並ばされていた。
「今月一つ大きくなったお友達に聞いてみましょう。将来の夢は何ですか? 何になりたいですか?」と先生は言った。わたしは列の真ん中あたりに座っていた。初めの二三人は小さな声で分からないと答えていた。そのうち誰かが「スチュワーデス」と言ったので、次からは順番の回ってきた全員が「スチュワーデス」と即答していた。その頃、幼稚園児が知っている女性の職業の定番としては幼稚園の先生、小学校の先生、看護婦さんがせいぜいだったと思う。スチュワーデスは花形であった。美人で頭が良い選ばれた女性、その上誰が見てもスチュワーデスだと、選ばれし者であると一目瞭然の、制服というものを着用している。スチュワーデスはトレンディだったのだ。わたしは自分の順番が回ってくる前に何とか一番ふさわしい言葉を思いつこうと焦っていた。本心は「総理大臣」だったのだが、その単語はこの場にはまったくふさわしくなかった。わたしは皆から浮き上がらず、人まねをせずに済むように、何とか受け狙いのうまい言葉を探し出さなければならないと思った。「お嫁さん」 わたしがそう言った後は全員が「お嫁さん」と繰り返していた。
わたしの記憶はそれだけだが、今思い出すと不自然なことに気がつく。答えていたのは女の子だけだったのだが、この時男の子はいったいどこにいたのだろうか。女子だけの幼稚園だったわけではないのだが、断片的なこの情景の中には男の子の存在が全然見あたらない。お誕生日会が男女別になされていたのだろうか。まさか。おそらくきっと、男女別に座らされていたのだろう。男の子が答えている間、自分の答えを演出することに考えを取られていたので、わたしの耳には何も入って来なかったのだろう。
小さい頃は、言ってることが度々変わったにしろ、何になりたいのかは明瞭だった。わたしがその頃総理大臣になりたいと思った理由は、テレビで高度経済成長期における公害残酷物語を見知ったからだった。このような理不尽を無くさなければならない、どうしたらいいのだろう、そうだ一番偉い人になって「公害を無くすぞ」と言えばいいのだ、わたしはそう思った。我ながら、素直な良い子であると思う。
何になりたいのかという質問に答えが見いだせなくなったのはいつの頃からだろうか。将来の夢と、成りたいものと、したいことと、成れるかもしれないものとがみんなばらばらの違うことになっていったのはいつ頃からだろうか。美大進学の許しを得るために、わたしは親に美術の教師になるからとうそをついた。わたしは絵が描きたいだけだった。だからと言って絵描きというものになる決心があったわけではなかったし、教師になるつもりは毛ほどもなかった。教育実習の最中に「なんだ! その眼鏡は!」と叫びながら男性教師が突進してくるのを目の当たりにしてからは、その毛も吹き飛んだ。その時、わたしは反射的に両手で眼鏡を押さえ男性教師に立ち向かおうと身構えていたのだが、もぎ取られたのは、わたしの隣に立っていた生徒の眼鏡だった。しかもわたしのものと似たようなデザインだったのだ。「教師には向いていない。この眼鏡の何がいけないのか解らない。」その時わたしの悟ったことはこうだった。
父は美大なんかに行った娘の将来が心配だったのだろう。「だから、お前は何になるつもりなんだ。絵描きに成るのか成らないのか。」何度も何度もそう聞いてきた。聞かれれば聞かれるほど、わたしは答えに困った。絵描きになる! と宣言するなんてことはおよそ絵描きらしくないと思ったからだ。毎日毎日絵を描いてく、何になったのかはそのことの積み重ねでしかないのだった。「絵描きにならないのなら何になるのか、どこかに就職するつもりなのか。美術の先生になればいいじゃないか。」何と言われても、そういうことじゃないと答えるしかなかった。アートの多様性を知るに及んで、絵描きには成りたくないと思い始めた頃でもあった。
あなたは今何ですか、何になったのですか。「将来は何になりたいの」とわたしに聞いたたくさんの大人たち、今のわたしにもそう聞くだろうか。そうだとしたら、わたしは何と答えるべきだろうか。何かになるとはどういうことなのだろうか。学生の頃と比べて考えが深まったような気はあまりしないが、あの頃より残り時間が少ないことだけは確かで、その分質問自体の効力が失われたような気がする。昔は女が何かになるというのは、誰かの妻になり、誰かの母になることだった。今でも、自分のことを○○(自分の子供の名)ちゃんママなどと呼ぶ人は多いがさておき、昔は女に独立した身分はなかった。現代では女も何者かになれる時代だ。しかし女にとってそれは一つの罠であると思う。何者かになること即ち、自分を捨てることであるかもしれないのだ。女にとって一つの罠と言う「偏った」言い方をするのは、男にとっては、そもそもそれが当たり前な伝統があるだろうと思うからなのだが、男たちがはまり込んで抜け出せないでいる穴に、自ら進んで落ちていくこともあるまいと思う。
本日の晩ご飯時に、炭火焼きレストランでお一人様、サンマの開きをひっくり返しながら、隣の話を盗み聞きした。会社の先輩後輩らしい。先輩はネクタイ、後輩は淡いピンクのスーツできめている。サンマの煙が染みつくのは多少お気の毒ではある。「何と言うんですか、女性同士は人間関係が難しいです。」「うんうん。」「仕事そのものよりも、煩わしいことが多くて困ります。」「うんうん。そうだね。仕事の出来る女の人は、かえって男の中でやってもらった方がいいね。」「そう思います。」「君のこと、○○さんに言っておくから。もう一杯どう?」口説いているのか、仕事の話なのか、よく分からなかったが、おお、こうやって始まっていくのねと、わたしは仕切の陰でふんふん頷いていた。これからは、「選ばれた」という快感が彼女の「成りたい理由」になっていくのだろうなと想像を巡らせた。
漢字二文字の単語はひっくり返しても同じ意味、と誰かが言っていた。例えば会社と社会。滅私を私滅と書いてみれば、なにやらちょっと恐ろしい。