あなたはもう忘れたかしら

あなたはもう忘れたかしら という歌詞ではじまる「神田川」がヒットした頃、わたしは中学生だった。その歌の中で、すでに懐かしの時とされる学生時代をこれから体験するべく、毎日 たくさん食べて良く運動し勉学に励んでいた。

それより少し前、わたしが小学生だったころ、近所にある国立大学へ至るすべての通学路の電柱には「カクマル」や「チュウカク」と書いた印刷物が幾重にも 重ね貼りされていた。そしてときどきその電柱の影に、ハンチングとマスクで顔を覆ったおじさんが黙して立っていることがあった。そのおじさんは「シフ ク」なのだと父は言った。

高校生になった。入学式の日、校門から体育館までの百数十メートル、色とりどりのタテカンが所狭しと乱立していた。ゲバ文字で書かれたものもたくさん あったが、すべてクラブ活動勧誘のためだった。その高校に制服は無い建前だったが、校内には衣料品屋が出張してきていて、その場でサイズを測り、「標準 服」を注文できるようになっていた。衣料品屋のすぐ横で「シフク」の生徒が、「わが校に制服はなーい!押しつけはいらなーい!」などとメガホンを持って 声を張り上げていた。わたしと幼稚園からいっしょの仲良しは、遊び気分で他校の制服をあつらえた。県下でも伝統ある元女子高のものだった。

わたしが通った高校は安田講堂事件が飛び火した(こちらが先立ったか?)、しかも元男子校ということでその学区で名を馳せていた。3年生には「最後の男 子クラス」という、失われつつある伝統の体現者がいた。なぜか落語クラブを牛耳っていて、新入生のわたしたちに、おもしろおかしく男子クラスの有り様 や、先輩のそのまた先輩から語り継がれているという、バリケードを作って校内に立てこもった武勇伝やらを話して聞かせたりしていた。

先輩の学生運動のおかげで、わたしたちには中間テストと五段階評価の通知表と制服がなかった。そしてことあるごとに行われる生徒総会は、授業よりも優先 されることがきまりだった。主体性を貫くために、生徒総会の会場から教員は排除されていた。ところがひとりだけ例外がいた。彼は社会科の教師で、この高 校でバリケードを築いた張本人と言われていた。大学を無事に卒業し、教員免許を取り、そして母校の教師になった。「言いたいことは山ほどあるぞ」という 顔をして、いつでも最後列の壁際に腕組みをして立っていた。いつでも非常に厳しい面持ちだった。それはそうだろうと思う。その頃、生徒総会でわたしたち が話していたのは、廊下にロッカーを設置するかどうかという「駄じゃれから出た駒」みたいな議題だった。その上議論の内容は、ロッカーの中に食べ物を置 きっ放しにする人がいたらどうしようとか、教科書を家に持って帰らない人にどうやって勉強させようとか、ロッカーを買うお金は今の在校生が払うのに、卒 業する時は持って行けないので損だとか、そんな程度のことだった。まったく覇気というものが無かった。わたしたちは世間では、三無主義とか、シラケの世 代とか呼ばれていた。やがて闘って勝ち得た貴重な権利であるはずの、自主自立の象徴であるところの生徒総会を抜け出そうとするものも増え、その社会科の 教師は体育館ではなく、校門に腕組みをして立っていることもあった。しかし喫茶店や繁華街あるいは自宅に向かおうとする生徒たちは彼を気にとめなかった。彼は教師だったから。あちら側に行ってしまったオトナだったから。

わたしたちは彼を無視していたし、彼は教師という立場を超えて意見するようなことはしまいと心に誓っているようだった。例え無言でもこの姿を生徒に見せ ることが肝心で、思いの通じる子はきっといる、などと考えてのことだったかもしれない。通じる子がいたのかどうか、わたしは知らない。わたしが彼に見て いたものは青春の挫折であり、世代間の断絶だった。あなたたちが髪を切った時、イチゴ白書をもう一度などと歌っていた時、わたしたちにはゆるやかに潜行 して行くタイプの絶望が訪れていたのだ。初めてギターを手にしてはやりの歌を口ずさむ年頃に聞こえてきたのは、諦めの歌ばかりだた。何もしないうちか らわたしたちは心に諦めを刻んでしまったのではなかっただろうか。そして、わたしと同じ年のイチリュウノブヤは受験に破れて、金属バットで両親を殴り殺 した。さらに十数年後シラケ世代を返上し、わたしたちはオウム世代と呼ばれることになった。

先日、永井愛さんの新作、二兎社の「歌わせたい男たち」を観劇した。都立高校卒業式での国歌斉唱の強要をテーマにした、ユーモアたっぷりの素晴らしい舞台だった。その日は良い作品に触れた高揚感に包まれていた。ところが次の朝からわたしはなんだか変なのだ。不安なのか不愉快なのかわからない、とてもい やな感覚に付きまとわれている。自分の高校時代を思い出し、今につながる時代背景を考え、心に秘めたる先輩への文句を口にしてみたのも、そんな気分の出口を探すためだ。それでもほどけていかない、吐き気にも似たこの焦燥感は何だろうか。赤軍派リンチ事件と自民党内の「改革」が重なって見えるのは考え過 ぎなんだろうか。血こそ流れないが、異分子を排除しようとする組織のあり方が似ていると思うのは妄想なのか。

わたしは学生運動の挫折を直接体験した世代ではない。その背中を見ていた世代だ。そしてその後もずっと、団塊の人たちがブルトーザーで突き進むように広 げた道を、あるいは宴の後を、のんびり脇見をしながらついて行った世代だ。社会現象としての影響力の無さを身にしみて感じてもいる。そろそろ団塊の人た ちが定年退職だという。たがが外れたあの人たちからまた何か新しいことが始まるだろうか。わたしが注目しているのは、厚生年金で離婚後の分割制度が変わ る2007年。絶対に離婚が、つまりシングルの女性が増えるに違いない。確かな生活基盤を持った、元気のいい、競争好き世代の、シングルの女性たちが きっと新しいことをはじめるだろうと予想する。離婚されてしまった団塊男性の皆さんが、もしもおいて行かれた感を強くしたなら、わたしの提案を思い出し てくれると嬉しい。もう一度髪を伸ばしてみてはいかがでしょうか。多少薄くてもかまいませんから。世の中左翼不足なんで、そこんとこ忘れずにどうかよろ しく。



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