ゾウアザラシが嫌い

ゾウアザラシが嫌いな理由は、オスの体がやたらにでかくその上非常に交戦的だからだ。メスを争い血みどろになって戦う。その戦いぶりを動物番組で見ながら、わたしは本当にうんざりした。「ガオー!」などと吠えながら、そのでか過ぎる図体を伸び上がらせては互いに思いきりぶつけ合うのだ。ときには命を落とすというではない か、いくら野生動物だからといって野蛮にもほどがある。ゾウアザラシのメスはオスに比べてとても小さい。メスと子ばかりの集団で仲良く暮らす。きっとゾ ウアザラシのメスとしては、オスのことは放っておくしかないという諦めの境地だろうと思う。

「強い」すなわち優れたオスの遺伝子を残して行くことが、その種にとって肝要であるという話がある。だが、受け継がれて行くのはオスの遺伝子だけではな い。人間の言う理屈が正しいのなら、もちろん、メスの遺伝子としても強いもののみが残っていく必要があり、必然としてメスだって「ガオー!」と雄叫びを 上げたり、血を流したりしなければならない。ところが実際、勝手に戦って勝者と敗者を分けているのはオスだけであって、メスは何らそこに関与していな い。男らしさ幻想を持つ人間のオスが自己投影の色眼鏡で見ると、メスは戦って勝ち残った強いオスに従っているように見えるのだろう。けれどもヒトのメス であるわたしには、メスたちにとってなぜかは知らねどそこに居残っているので、そのオスを仲間に入れてあげているだけのように見える。

なぜオスは戦いメスは戦わないのだろうか。オス同士の戦い、それは性交権を賭けて戦うというよりは、むしろ理由の無いアンドロゲン(男性ホルモン)的衝 動なのだろうと思う。性的欲求の高まりの、一つの発露だろうと思うのだ。つまり「オレって元気、元気過ぎ!」という生命讃歌だと思う。ヒトにおいても、 例えばスペインはパンプローナの牛追い祭りやブニョールのトマト祭り、日本各地の神輿や山車や御柱や裸男祭りの数々は、きっと、余剰なアンドロゲン調整 のために行われるのだ。動物君たちは年に一度しか発情しないのだから、きっと、その衝動たるやかなりのものと推察される。水門を開いたダムから水が溢れ 出すにも似ていることだろう。「このままメスに向かっていっては驚かれるばかり、嫌われちまう。嫌われるどころか、勢い余って、ということもあるかもし れない。その前にちょっと発散しておこう。何よりもオレ、自分ですっごく驚いている。なあ、兄弟お前も驚いてるよなあ?」体をぶつけ合っている最中、ゾ ウアザラシの心中はこんな感じか。

ゾウアザラシに引き比べてヒトのオスはもう少し複雑である。ここでは特に日本列島に生息するオスたち、その中でもアンドロゲン的衝動を描くことで食餌行 動につなげている、まあ言ってみれば、ある意味研究者であり、また当事者でもある渡辺淳一氏の発言をサンプルにしたい。「(男は)欲情するようにつくら れている。これは動物界でも同様で、ライオンやシカ、ヌーでも、オス同士が戦って、勝ったほうがメスに挑んでいく。オス同士でなぜ命を賭けてまで戦うか といったら、オスの中に猛烈なセックス願望があるから、、、」。

ふーん、アンドロゲン的衝動たるやさぞかし猛烈なんだろう。動物同士は命を賭けると幻想されているくらいなのだから。「命を賭ける」ということは負けた ら死ぬということ?だよね。動物君たちはメスを争って負けたからといって死ぬ?死なない。その場から立ち去るだけ。性交権を賭けた争いが、私の知ってい る限り最も血みどろな(オエーッ)ゾウアザラシのオスにとっても、命を落とすアクシデントは稀なのだ。ヒトのオスは言うことが大げさである。これもアン ドロゲン的衝動なのかもしれないが。渡辺氏が動物と己を同一視しているこの会話、テーマは女性専用車両についてである。わたし流に渡辺氏のご意見を要約 すると、「男性の性衝動は動物と同じようにとても強い。押さえるとこれまた強烈なストレスが発生する。だから朝っぱらから余計な性衝動を誘発してほしく ない。元凶である女体を女性専用車両に突っ込んでおくのは男にとっても大いに助かる。もっと女性専用車両を増やして、乗り切れなかったおばさんが男性と 同じ車両に入ってこないようにしてほしい。」あー、要約作業、正直かなりくたびれた。これをストレスと言うのだろうよ。

わたしは今アンドロゲンが気になっている。なぜかというと、わたしの体内では同じ年頃の女性に比べて、少しばかりアンドロゲンが多いはずだから。今わたしの服用しているホルモン由来の抗がん剤は、副腎から分泌されるアンドロゲンをエストロゲン(女性ホルモン)に変える作用を抑制するという。もともとア ンドロゲンが少ない女性の体内で、アンドロゲンから変わったエストロゲンがそれほどがん細胞の増殖に影響しているだろうかと思わなくもないが、人によってはこれが結構効くらしい。薬も不思議だが、がん細胞も不思議である。わたしの体内でアンドロゲンが増えたと言っても、微妙な話ではある。であるけれ ど、増えると何か変わるのかなと期待していた。服用しはじめたころ、少し攻撃的になったような気がした。しかし徐々に落ち着いてきた。それでわたしは考 えたのだ。ホルモンの作用というのは総合的で複合的。体内の他の物質と当然ながら連携するのだ。何かが急に増えたことで、一時は衝動的な行動が発現する かもしれないが、体は、いや身も心もそれに慣れていくはずだと。

ヒトのオスの一生においてアンドロゲン値がもっとも高いのは二十代前半である。男性は皆、甘く切ない性衝動との出会いの時期を懐かしむ。それ以降アンド ロゲン値は下がっていくはずなのだが、満員電車の中で「押さえきれずに仕方なく」痴漢行為に及ぶのは、必ずしも二十歳そこそこの若者とは限らない。なぜ だろう。性衝動にかられるための記事満載の新聞を、朝っぱらからお金を払って読んでいる男性はたくさんいる。なぜだろう。動物のオスは溢れ出す余分な性 衝動を「戦う」あるいは体や角をぶつけ合うなどしてオス同士で解消しているというのに、ヒトのオスは、ヒトのメスの人権を侵してさえ性衝動の解消をメス に押し付けようとする。なぜだろう。さらにはそれを、動物のオスの行動で代弁させようとする、全然違うのに。なぜだろう。渡辺氏の話を聞いていても、ヒトのオスのこと、なにもわからない。男性が自分のことがよくわからないのも、もしかしてアンドロゲンのせいなのか。


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