「新記録を目指しますか」

「新記録を目指しますか」 ドクターはそう言って微笑んだ。モニターの画面には先日MRIで映像化されたばかりの、わたしの胸骨にあるがん細胞の白い影が映し出されていた。白い、この前の検査のときに比べ、よりいっそう白いのではないか? と言うことは、がん細胞は増殖して密度を高めているのか? そこではたと思いついた、この前見たのはレントゲン写真だったのかもしれないと。画質が違うのはそのせいだろうと。「変わりありませんね。このままアリミデックスを続行しましょう。」ほっとしたわたしは思わず余計な一言をつぶやいた。「なんだ、無くなったかと思ってたのにな。」するとすかさず、「がんはそんなに簡単に無くなりません。しつこいやつです。」毎日毎日、あらゆる性質のがん細胞の動向を追いかけて、治療法を模索し続けているその人は、ため息をつくようにそう言い返した。

「新記録」、つまり長生きの新記録。乳がんの転移が胸骨だけに留まっている人は、うまくすると結構長生きするというのだ。「何年くらい?」と聞いてみたが、ドクターは答えない。答えたくないのはわかっている。最近は、困惑しつつポーカーフェイスを保とうとしているドクターにちょっかいを出して、会話のバラエティを演出しようなどという不埒な余裕も生まれてきた。少しは「お医者様」というものに慣れてきたようだ。わたしは結構人見知りなんである。しかし、最長記録がわからなければ、目指しようがないではないか「新記録」。日本にはアメリカにあるようながん患者登録制度がないので、目指せるとすれば、せいぜいこの病院内での最長記録ということだ。ここは国立だし、公式記録として残ることにはなるのだろうが。その暁にはメダルの一個も欲しいところだ。おっと、だがしかしそのメダル、いったい誰が貰うというのか。表彰式にはどうやって出ようというのか。いくらなんでも、棺の中で金メダルを首にかけているような物欲まみれの仏というのはまずい気がする。いや、焼く前はまだ仏じゃかった。身体があるうちは多少欲が残っていてもかまわないのだろうか。

わたしは「長生きアスリート」。長生きすることはわたしにとって自然のことなのではなく、日々の精進、努力、鍛錬、試行錯誤の賜物なのかもしれない。医療はわたしのコーチ陣、主治医はわたしの主任カントク。伴走の車上から「それ行け、やれ行け」と声をかけてくる。勢い込んでダッシュしようとがんばり過ぎるときは、「まだまだ、ためてためて」と体力を温存するやり方を考えてくれる。「クスリ使いましょうよ、どんどん走れるクスリ、お願いしますよ」と問えば、「まだまだ、あの山一つ二つ越えてからだ」と指導する。血液検査の表を睨みながら、「よっしゃ、ヘモグロビン値が上がってきたぞ。山岳訓練の成果が出てきたな」(そんなわけはないが)。腫瘍マーカーの数値を見ながら、「これが上がってきたら、クスリ使うぞ。覚悟はいいな」。そしてわたしは指でつくったVサインを突き出し、「オッケー!」と力強く答える。わたしは長生きするだけで、バッターボックスで構えるイチローのようにカッコウよく、イナバウアーで滑走する静香のように美しく、軽やかに疾走するQちゃんのようにタフなのである。自分を何と思おうと、思うだけなら人の勝手。ほっとけ、ナルシストがん患者ファンタジー。

もうすぐトリノ・オリンピックだ。世界中の名だたるスポーツ・クレイジーが一堂に会して、自らの全てをかけて競い合う。そのクレイジー振りに世界中の観客もまた感動クレイジーとなって楽しむ。人の振り見て我が振り忘れよ。いや、とてもあんな生き方はわたしにはできないし、したいと思うこともないが、人が苦労して栄光を掴むドラマを見ているのは好きだ、おもしろい。しかも、普段の生活の中では滅多に見られないような、アスリート本人よりもさらにクレイジーなコーチや父親を目撃できるのもまた楽しい。しかし「ニッポン!ニッポン!」という集団催眠的掛け声からは三歩以上離れるように心がけている。ナルシストがナショナリストに感染すると、自分を見失い、何が何だかわからなくなるような気がするので注意している。

こんなわたしも、随分昔のことではあるが、本気スポーツ少女だった。来る日も来る日もバスケットボールを追いかけて、コートをドタドタと走り回っていた。毎朝、誰より早く登校しては、ひとり黙々とシュートの練習を続けていた。授業中は早起きがたたって、眠気と闘う毎日だったが、居眠り中の夢でさえ、ボールがこちらに向かって飛んでくるので、両手を胸の前にハの字に構え(パスを受け取るときの基本)、「あっ!」と叫んで飛び起きるということも度々あった。思い起こせば、いろんなことを楽しんできたものだ。45年間よく生きてきたなあと懐かしささえ込み上げる。そしてもうあの頃の自分はいないのに、まるで実在の人物のように、今でも記憶の中で生き生きと活動しているというのは不思議だ。あの頃と今のわたしが繋がっていて、今目に見えない存在もすべてひっくるめて自分自身であることがとても不思議だ。

そして繋がっているのは、時間軸に連なった自分自身だけではないのだ。オリンピックを見ていると、毎回毎回必ず「新記録」というものが生み出される。どこまでもどこまでも記録は伸びていくのだ。例えばフィギアスケートの技で、数年前には世界中の観客が「信じられない!」と叫んだビールマンスピンを、今ではオリンピック級の選手でなくてもこなしてしまう。誰かがやってみせてくれたことは、あんなこともできるのだと具体的にイメージの壁を突破してくれたことは、そのあと皆に伝播していくのだ。

最近は、もちろん医学、医療の発達、改善にともない、長生きできる進行性のがん患者が増えてきた。誰かの突破した一日一日が、いっしょに生きている人々すべての、次なる一日一日を乗り越えていく術となるのだというイメージを、わたしは大切にしようと思う。自称「長生きアスリート」のがん患者としては。そして、トリノの空飛ぶ人を、風を切る人を、激しく白い息を吐き出す人を、くるくる回るその人を、わたしはそんなふうな視線を向けて見ているつもりだ。


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