「最期まで希望」 という見出し、ああ、とうとう逝ってしまわれたのだ。朝日新聞の東京版に毎週木曜日、「がんとゆっくり日記」というコラムを連載されていた絵門ゆう子さんが亡くなった。乳がんが全身の骨と肝臓、肺に転移している進行した状態になってから4年あまり、コラムの執筆、講演会や朗読会などを通じて、亡くなる直前までご自身の思いを社会に発信されていた。
わたしが新聞で必ず目を通す連載ものは二つ、「ののちゃん」と「がんとゆっくり日記」。絵門さんの連載は、ちょうどわたしが乳がんの治療を開始したのと同じ年に始まった。「タキソールはいざというときのためにとっておきましょう。」というドクターの言葉とともに、わたしの化学療法が一段落してから、2ヶ月たった頃だった。始め徹底的にがん細胞を叩くつもりで始められた抗がん剤治療だったが、途中で骨転移が見つかり、QOLを高めましょうということになり、「タキソールはとっておく」ということになったのだった。その同じタキソールで3年、絵門さんのがんの進行は押さえられ、絵門さん自身の言葉を借りれば、「竜宮城に行っていた浦島太郎」というような時期を過ごされたのだった。同じ乳がん患者として、タキソールの効き目、という興味は当然あった。そして、死を見つめながらも、徹底して希望を持ち続けようとする絵門さんの生き方から目が離せなかった。
絵門さんが表現されていたのは、とにかく、どんな状況にあっても希望を捨てないで、ということだったと思う。そして希望を持つのは無駄ではない、ということをご自身の生身の体で、精一杯に実践してこられた。何人のがん患者が、毎週木曜日、朝刊をがさごそ開いて、「大丈夫」と勇気をもらい続けたことだろう。わたし自身、絵門さんの訃報に接し、彼女の存在に「支えられていた」ことに改めて気付いている。喪失感を味わっている。
実際、医療の現場で、患者が希望を捨てていく、奪われていく、というようなことは日常茶飯事だ。医療関係者にとってみれば、医療技術の限界を前にして、どうしようもなく歯がゆいことであるのかもしれない。しかし、同じ状況であっても、希望を保ち続ける患者もいれば、希望を奪われてしまう患者もいるのだ。絵門さんはまるで、そんな枯れ木に花を咲かせましょうとばかりに、ぱっぱぱっぱと灰を撒く、花咲か爺さんさながらであった。
テレビ番組やシンポジウムやブログ上で、医療関係者、特に医師とがん患者が、医療現場でおこるできごとについて直接意見を交し合うことは、近頃決して珍しくはなくなった。具体的な治療方法についてはもちろん、情報の開示について、地域や各病院の格差について、インフォームド・コンセントについて、セカンドオピニオンについて、精神的なケアについて、がんの告知について、それぞれの立場で体験したこと、考えたことを本音で語り合っている場面を何度も目にし、耳にしてきた。語り合うことで初めて知る、お互いの胸のうちである。そして、語っても語っても届かない、がん患者の胸のうち、というものも、何度かは目にしなければならなかった。
がんの告知、特に進行がんであることの告知、これは患者にとってはとても個人的な事件なのだが、それと同時に、告知する医師の側にとってみれば、がんの治療に携わっている限り、何度でも繰り返される手順の一段階であり、技術の問題であり、社会的になんらかのコンセンサスが形成されるべきイシューの一つということになるのだろう。そこには当然のことながら、ギャップはあるのである。しかし、これほどに「暗くて深い川」が横たわっていたのだとは、誰が想像していただろうか。おそらく、「お医者様にすべてをお任せ」していた時代には考えもつかないことであっただろうと思う。今や時代は、ローエンドロー、ローエンドロー、フーリーカエルナ、ローロー、である。
たとえば、NHKのホームページにがんサポートキャンペーンというサイトがり、伝言版を通じて、テーマごとに意見を交換し合う場が設けられている。「告知」というテーマが立てられている。ある医師が「がんに限らず、生あるものに必ず死は訪れる。告知は、患者さんやその家族にとって、できるだけ後悔が残らないようにする手段である。告知うんぬんより、いかに後悔なく良い死を迎えられるかを議論すべき」と書き、ある患者が、告知された余命を超えて生き延びていることを告げつつ、「医師は当事者ではない、(患者は)死ぬまで死にたくないのだ」と返信している。すると、「心を閉ざしては行けない、医師と患者は協力者としてチームとして共闘しなければならない」とその医師は書き、そして「化学療法が奏効していて、ひとまずは良かったですね」と付け加えている。このやりとりは絶望的である。「死ぬまで死にたくない」というぎりぎり崖っぷちの望みを語る患者に向かって、あくまでも、自論を展開することしか頭に無いインテリゲンチャとしての医師。ひとまずは良かった、などと評価を与えることで、患者と医者という対岸をくっきりと位置付けていることに、衒いを見出すことのできない浅はかさ。
絵門さんは始め、医療を拒否していた。それはわたし同様、母親のがん闘病と医療の関係に、打ち消し難い不信感を持ってしまった体験に端を発していた。さらには、いわゆるドクハラと言われるような目にも度々遭遇し、その思いを強めていったのだった。しかしついに、理想の主治医と出会うのである。その出会いの場面を彼女の著書で読みながら、わたしは本当に羨ましいと思った。おそらく、そう感じた読者は相当数いたはずである。
絵門さんはタキソールが効かなくなってから、次の抗がん剤を選択せず、しばらく休薬という道を選んだ。そしてそれでも、いつか絶対完治するのだという望みを捨てることはなかった。その望みの持ちようは、一種、悟りのようでさえある。患者の声に耳を傾けることもなく、セオリー通りの正論を唱えることに夢中なだけの方には理解不能の境地だろう。
フジテレビのスーパーニュースで安藤優子キャスターが、「悲しい結末を迎えました」と絵門さんの死を伝えていた。人の死はあくまでも悲しいのだろうか。どんなにたくさんの人々に明るい希望を伝えようとした人生であっても、末期がんの結末は悲しいのだろうか。絵門さんが亡くなって、悲しいなあと感じることがあっても、絵門さんの死そのものを「悲しい死」とするなんて、報道番組として手抜きじゃないのか、とわたしは思った。