連休中は時代劇鑑賞

連休中は時代劇鑑賞に没頭してしまった。近所のレンタル・ビデオ店と自宅の間を一日二度三度と往復する毎日だった。その時代劇は人気が高く、ビデオ店ではDVD全18巻を2セット用意していたのだが、いつもケースは空っぽだった。わたしは誰かが返しに来るのを見張るようにして、何度もその棚の前まで行っては引き返し、ぐるっと店内を廻ってはまた例の棚の前に佇むという挙動不審ぶりだった。

時代劇と言えば、天下取り、権力争い、名奉行、おかっぴき、悪徳代官、サムライ・ヒーロー、さらわれるお姫様、嫁がされるお姫様、内助の功、惨めな農民、自由な町人、忍者、クノイチ、殿さまと家来。ほかに何かあったかな?まあ、こんなところのシチュエーションでだいたいはまかないきれる、お約束ごとだらけの、パターン化した、勧善懲悪の、コスチューム・プレイの、予定調和の夢想世界である。現世ではかなえられそうにないちょっとした庶民的欲望、破格の出世をしたいとか、人のひれ伏すのを見たいとか、絶対的に賞賛されたいとか、美しい着物を着たいとか、気に入らない者を懲らしめたいとか、そんなことを主人公にたくして、誰にも非難されず、安心して、我を忘れて思う存分味わうのが時代劇の醍醐味だろう。しかも、そんなふうに快感を味わうことで、置き換えられた現実社会の括りやヒエラルキーを内面化して共有し、そしてやはり安心して、社会に参加することは権力にコントロールされることと同義であるという現実を受け入れていく。これが時代劇鑑賞の構図、とわたしは思う。だから現実の、自分の立場というのではなく、その人にとって社会構造そのものが受け入れ難いものであるとき、手放しで時代劇を楽しむことは難しい。

そういう訳で、こんなフェミ的ストーリーが時代劇の中で成立していることを発見したときは驚きだった。しかも、そうとは気付かれず、これほど多くのファンを得ていようとは。わたしは本当に泣き笑いが止まらない。たぶん自民党オヤジ議員の中にも、「チャングム」のファンはたくさんいるはずだし、150冊の蔵書を過激なジェンダー本として倉庫に隠した福井県生活学習館(男女共同参画センター)の推進員が、おウチに帰って毎週土曜の夜は「チャングム」を楽しみに見ていたとしてもおかしくはない。いまだかつてなかった、フェミ的時代劇。それは日本のサムライ時代劇ではなく、韓流大河ドラマ宮廷時代劇なのだが。外国の人気テレビドラマが、こんな近所のレンタル・ビデオ店で気安く手に入る時代に生まれて、それだけはよかったなと思う。

始めこの大河ドラマにはまってしまったのは、全54話中第2話で、すでに息絶えた母の口中に、食べやすいようにと噛み砕いた野イチゴを押し込むわずか8歳の子供、というシーンからだった。作者に向かって、こんな悲しい話を考えつくなんて、あんまりだぞ、と言いたかった。そしてチャングムは母の亡骸に石を積み上げて埋葬し、手を合わせ、「さようなら、オモニ。」と言って立ち去って行くのだ。わずか8歳の子供にあまりに過酷!有り得ない!わたしは今でも正直、そのシーンを思い出すと嗚咽が込み上げる。始めはだから、ストーリーの過激さに、展開の速さに面白さに心奪われ、もうどうにでもしておくれ、わたしの喜怒哀楽あなたに捧げましょう、という心境だったのだ。「チャングム」イズ、ロックンロールとわたしは独りつぶやいた。

しばらく見続けていくと、意地悪ばかりする悪役たちの悲しい論理が胸に迫ってくるようになった。「決して、許さない!」とコブシを握り締めるヒールな女官の苦悩に、さめざめと涙を流したりするようになった。彼女たちはだって、お家のためにこんなことになっているのだった。本来の自分の感情や良心を押し殺し、お家のためにそうするしかないのだった。描かれている女官たちの争いは、もちろん時代劇につきものの覇権争いであるのだが、フェミ的な見方も成立する。旧来の家父長制の元にある女の生き方と新しい自由な女の生き方が対比され、激しくぶつかり合っているのだった。しかもそれぞれが主体的なのだ。しかし、「チャングム」はフェミ的であると確信したのはもっとずっと後、医女として修行中の第34話あたり。王様という権威の口から「医女を妓女扱いするな」と言わせているのを聞いて、はて面妖な、時代劇にこの台詞、有り得ない。そうするともしかして?やはり、フェミ?と疑いが強まったのだった。

このドラマの脚本を書いたキム・ヨンヒョンさんは1966年生まれ。ちょうど40歳になったばかりの女性作家だ。経済雑誌記者から脚本家に転身した経歴を持つそうだ。経済関係ならやはり男性が主流の職場であったことだろう。女性の職業人として男社会でさんざんな目に逢ってきたことだろう、と想像する。「チャングム」の数々のクライマックスの中で(実際、毎回クライマックスと言っていいくらいの展開)わたしが最高のクライマックスと思うのは、王様がチャングムに「大」という称号を与え、朕の主治医にすると言い出したときの、宮廷男社会の反発ぶりだと思う。女が偉くなるくらいのことを、「国の根幹を揺るがす大事」と大臣たちは絶対拒否。それまで夢中になっていた派閥争いを放り出して、一致団結一丸となって、女が重鎮になることを必死に阻止しようとする。そういうことを主題にした時代劇があるなんて、考えてみれば、なんてスリリング、なんてパラドキシカル。

最終回で、チャングムともう一人の医女チャンドクが、これまでの仕事の成果を語り合うシーンがある。チャングムもチャンドクも実在の人物で、生きた時代は重なっていないが、キム・ヨンヒョンさんはふたりを同時に登場させた。わたしはその短いシーンを、本当にふたりの魂が出会ったとしたら、と夢想しつつ眺めた。「デ・チャングム」は多様なドラマだから、見る人が見たいように、数々のシーンをピックアップして、自分なりの主題を作り上げることだってできる。だから、フェミなわたしが見るからそう見えるのだ、ということもあるかもしれない。しかしもし、日本のテレビ局で、このストーリーが女性の脚本家から提示されたとしたら、果たしてドラマに仕上がる頃にはどうなっているだろうかと考える。何しろ、日本でのタイトルは「チャングムの誓い」というのだから。「デ・チャングム」、直訳すれば「偉大なるチャングム」だ。女に「偉大」をつけるのがそんなにいやか、とつい深読みしてしまう。「国の根幹を揺るがす大事」と言う声が聞こえてきてしまう。空耳だろうか。


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