第23回 「ジョンペのアネサ」

ジョンペのアネサ 、これはつまりわたしのことだ。

ジョンペとは順平。その地域特有の発音でジョンペと訛る。アネサとは女性に対する敬称で、姉様が訛ったものだ。男性の場合はアニサで長男のみに使われる。次男、三男はオンサマだが、意味は知らない。次女、三女の呼び名は無い!?。 順平という屋号を持った家の跡取り長女、これがわたしの本籍地における呼び名であり身分である。わたしは本籍地で育っていない。毎年一回、お盆の頃、祖母に会いに行っていただけである。しかし行く度、村の人々は「いつけえってきて、家さ継ぐんだろうかねっす、ジョンペのアネサ。」とわたしに尋ねた。「帰る」、住んだことの無い土地に帰るとは納得がいかないが、いつか予定調和的に、本籍地に吸い寄せられるように「帰る」のではないかと思い、恐ろしかった。

学生の頃から家を出て一人暮らしを始め、そのまま夫も持たず、子供も持たず、同居人も持たず、20年が過ぎた。森喜朗言うところの年金を貰う資格の無いオンナ、それはわたしだ。「結婚もせず好き勝手をしている」と森君に言われたけれど、全然違う。結婚がわたしの人生に無関係だったのであって、好き勝手をするために結婚しなかったのではない。もちろん、好き勝手に生きる努力はしてきたつもりだ。この違いわかるかな? わかんねえだろうな、森君には。

そして乳癌という大病を患ったけれど、家族には秘密だった。年老いた親に心配掛けたくない、というのは言い訳で、本当のところは自分のライフスタイルを守り通すためだった。死ぬときは家族に看取られるのではなく、ホスピスで死にたいと願った。わたしは最期までわたしらしくありたかった。自己イメージが貫けるなら、例え死んでもそれは病気に負けたことにはならない、恥ずかしくない、と思っていた。このことに関して、一人でがんばって偉い、あなたは強い、という見方もある。確かにある意味がんばった、でも少し違う。わたしはいつも一人ではなかったから。

闘病とは絶対的にわたしのものだ。例え肉親といえども、わたし以外の肉体が代わって闘病するわけにもいかない。患者本人が告知を受け、考え、納得し、選び取るものだ。そのようなピュアな状況の中で、自分自身より決定権を持つ存在に介入されたくなかったのだ。つまりわたしはそれだけ家父長的な家族を認めていて、まんまとその虜だったというわけだ。わたしが自分で決定権を持ちたいと執拗に願いつつ、家族に知れたらおそらくそれを失うだろうと思っていたのは、わたしのことに関してはわたし自身より父親が決定権を持っていて、そのことにわたしは結局逆らい得ない、という思い込みだったのだろうし、さらに言えば、自分に決定権があるという自己主張は、ジョンペのアネサたる身分の自負に支えられたものであったかもしれないのだ。

なぜそう思うようになったのか。

わたしは友達に励まされ、世話されて切り抜けたかった。今までそうやって生きてきたように、病気になってからも同じようにやっていくのが一番心地よかった。それはうまくいっていたのだ。実際上も、気持ちの上でも。わたしは自分で選んで整えた状況に満足していた。わたしはフェミだからこうやって生きていける、と。ところが身内にわたし以外の癌患者が現れた、病状は切迫している。わたしは自分のことそっちのけで動揺し、とにかく生きていてさえくれればと願う。彼が自分をどう保とうと願っているかとか、どんな最期を望んでいるかとか、そんなことに思いは及ばない。また、彼が自分の病状を知ってしまうことは余りに残酷で忍びない、できれば大丈夫、心配ないと言ってあげたい。私自身に関しては、自分の病状は全て完全に正確に知っておかなければならない、他の誰かが知る前に、と心に決めていたにも関わらずである。明らかに矛盾しているではないか。しかも、目の前にいる難病を抱えたごく親しい友人よりも、めったに会わないいとこの病状の方がずっとずっと気になってしまうのを、どうすることもできないのだ。なんだか悔しい。

身の周りに、友情と信頼に基づいた人間関係を築き上げていけば、旧来の家族制度の中で暮らすよりも、人生はずっと自由で豊か、これは実体験に基づいた正直な感想だ。ところが一皮剥けば、あっという間に旧来の家族制度の中に駆け戻る自分がいた。つまりわたしは、わたしらしい生き方と称しているところの人間関係の中で通用する価値観と、それに合流しない家族関係の中の価値観とを別々に使い分けていたということになる。そしてそれにうすうす気づきながらも、根本的な問題という意識がなかった。下世話に言えば、家族の前でフェミぶることは億劫だった。とんだエセ・フェミ・ヤロウじゃないか。健康で順調で問題が無いとき、フェミでいるのは簡単だ(いや簡単じゃない、まあ便宜上見逃してね)。遠く離れて双眼鏡で覗くように、家族構成員間の悲喜こもごもを観察していればいい。ところが何かエマージェンシーが発生し、家族の中に飛び戻ると、フーサンはジョンペのアネサに早代わり。わたしの中のダブル・スタンダード。

「わたしは癌です。」なんて、以前は言う必要はないと思っていた。親の方が先に死ねばいい。それまではがんばろう、なんだかがんばれるみたいだ、娘が乳癌だなんて不吉な知らせは一生知らない方がいい、と勝手に決め付けていた。だが、その行為の中の捩れた心理を、遅ればせながら発見するはめになった。わたしはまっすぐな人間になりたい。まっすぐなフェミに。

家族の前で「フーサン」を名乗ること、つまり「わたしはフェミ的乳癌患者です」と告白すること。つまりつまり誰の言うことにも従いません。わたしは今まで通り、自分で聞いて、自分で決めますと宣言すること。結婚前なのになんでとか、子供が産めなくてかわいそうとか言ったら、その場でぶっとばします。いいえ、言われる気配を感じたら、その言葉を口にする前にぶっとばされますよ、と言っておくこと。

厳しいなあ、いやだなあ。

みなさま、「フーサン家族に告白す」ルポをそのうちお届けしたいと思います。 その根性をお授け下さい。


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「なまくらだから」
48 [2004/06/04]
「がんが消えた 」
47 [2004/05/28]
「わたしのおやじ」
46 [2004/05/21]
「乙女とおやじ」
45  [2004/05/14]
「赤いドレスの女」
44 [2004/05/01]
「恋愛下手」
43 [2004/04/23]
「枯草の匂いがした」
42 [2004/04/16]
「国境を越えて」
41 [2004/04/09]
「一年たった。」
40 [2004/04/02]
「首にしこりが出たり消えたり」
39 [2004/03/26]
「うぎゃああああ」
38 [2004/03/12]
「遺体の腐臭 」
37 [2004/02/27]
「一番古いわたしの記憶、」
36 [2004/02/20]
「 生きているって痛い」
35 [2004/02/13]
「久しぶりのパフォー」
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