長生き
した人の為のものだな。とりあえず、今のわたしには関係ない。そのテレビ番組を見たときはそう思った。永六輔氏が嬉々として、ホスピタリティ溢れるユニークな医者を紹介している。医療と患者の関係のあり方に興味の出てきた頃だったので、その番組のタイトル「笑って死ねるか」に期待はあった。だが見始めると、相変わらず色艶のいい永氏から発散される活力が、なぜだか私の眼をそらせた。抗がん剤投与2クール目で、不健康な身体のどうしようもなさに直面していた40代の癌患者にとって、充分長生きし、経験を積み、人生の総仕上げとばかりに自らの終末をアレンジしようとする姿は、リッチでかけ離れた別世界の人のようだった。
永氏は妻を看取った体験を語り、人それぞれあるであろう固有の死生観を置き去りにした終末医療のあり方を、生々しく問い直そうとしていた。その問いかけには共感していたが、わたしの気分は議論の輪からはみ出していた。例えばこんなふうに感じていたのだ。着の身着のまま避難してきた雨風をしのぐ洞穴で、寒さに震えている自分がいる。洞穴の中には何も無いのにテレビの画面だけが煌々と輝き、次から次へとおいしそうなご馳走が映し出される。見れば見るほど腹が減ってしようがない。この際テレビの電源を切ったほうがまだましだ。
「腕がよくて冷たい医者と優しいけれど腕の悪い医者と、皆さんはどちらがいいですか。」壇上から癌専門の内科医が聴衆に向かって問いかける。聴衆は乳癌患者やその家族たちだ。会場は、質問に対する驚きや笑いや多少の反感などでざわめいたが、誰からもどちらがいいという声は上がらない。無理やりにでもどちらかに手を上げてくれというリクエストに答えた患者たちの大半は、腕がよくて冷たい医者の方を選んだ。「意外ですね。」と内科医がつぶやいた。「実際は患者のためを思う医者ほど、つまり優しい医者ほど技術を磨くので、冷たくて腕のいい医者も優しくて腕の悪い医者もなりたたない。医者の技術とは患者のためを思ってこそ進歩していくのです」。抗がん剤に関する講演の最後は、医療関係者が自らを諌め、医療と患者の関係を問い直そうとする言葉で締め括られた。
わたしはどちらにも手を上げなかった。丸くて空気の抜けたボールも、四角くて空気の入ったボールも、どちらもボール遊びには適さなかったから。ボールは丸くて空気が入っている以外、ボールとして有り得ないのだ。「選びようが無い」「そこをなんとか、便宜的に、例え話しなんだから」ということは解っていても、患者にとって、答えるにはあまりにリアルで命がけの質問なのだった。軽い気持ちで手を上げることはできなかった。
ネット上で知り合った患者どうし、顔を合わせて語り合うオフ会の席で、患者暦が長く知識の豊富な先輩がん患者に、治療法のアドバイスを聞いてみた。間違いの無い一般的なところを丁寧に詳しく何度も説明してもらった。ところが聞いても聞いても腑に落ちない。心に染み込んでこないのだった。なぜだろう、しばらく考え続けて、ふと気付く。彼女にとって再発転移がんの治療法はただの知識に過ぎないが、わたしにとってはどんなに先が細くなろうとも、どこまでも続く「生き延びる術」であるのだ。彼女に質問したことの答えは、わたし自身すでに知識として解っていた。それではいったい何が聞きたかったのだろう。慰めの言葉だったのだろうか、そうかもしれない。わたしの選んだ治療法に対する裏付けと勇気付けとが欲しかったのだ。同じ患者どうしという幻想を抱き、気持ちを汲んでくれることを期待したのは、わたしの手前勝手だった。
患者と家族、患者と医者、患者と患者、みなそれぞれに関係を結び、気持ちを探り合う。そしてときどき、立っている土俵が違うと言うことを思い出すのだ。
老人性痴呆症で入院している親戚を見舞った。亡くなった母の姉に当たる人で、病院で過ごした1年の間に、症状はぐんぐん進み、体の方も病み衰えた。長女であるその人を取り囲んで、3人の妹たちが、手に手を取って歌を歌っている。育った地方の方言で語りかけ、子供の頃の思い出話を語り聞かせる。「ほら、亡くなったY子ちゃんの娘よ、分かるわね。」伯母さんたちの一人が、デジカメのシャッターを押し続けるわたしを、指で指し示す。入院中の伯母さんは、知ってか知らずか、わたしの顔をじいっと見入る。いつまでも見つめられて気恥ずかしいので、愛想笑いを浮かべてみるが、伯母さんからのリアクションは無い。始めのうちは表情も乏しく、下あごをわなわな震わせていた伯母さんは、妹たちの手厚い語りかけに徐々に精気を取り戻していった。「品の良かおばあちゃんたい。姉さんの美しかこつ、だあれもかなわん。」というお世辞に、にこにこ相好を崩すほどになった。大福餅をぺロリと三個食べてしまい、そのすぐ後に運ばれてきた昼食も残さずたいらげた。
面会室は、サスペンスドラマでよく見る取調室にそっくりだった。更に小さかった。机と、椅子が四つあるだけだった。病人と面会人がくつろいだ時間を過ごすには、あまりにも殺風景な部屋だった。わたしにその権利があったなら、応接セットや観葉植物を配したいところだが、部屋が狭すぎて無理だろう。病院は建て替えられたばかりで新しく、設備も立派な大病院だった。
伯母さんは最後まで言葉を発することは無かった。視線がぶつかり合うこともなかった。伯母さんの立つ場所は離れ小島のように遠く思えた。本当はこの人にこそ答えて欲しい、伯母さんにとって終末医療とは何ですか? 人生の最期とは何ですか?
「あんたのお母さんもわたしの亭主も、若くて病気で死んでいくのはかわいそうだったばってん、ああして、長生きしてボケてしまうのもつらかねえ。」一番年の若い伯母さんが、帰り道々、独り言なのかわたしに語りかけているのか、つぶやいていた。一方わたしは、死ぬことの準備をせねばと、焦燥感にかられたこともあったが、「美人」と誉められ微笑んだ伯母さんの笑顔に出会い、そんなにせこせこしなくてもいいじゃないか、明日は明日の風が吹く、というような気楽の境地に達したのだった。
|
|
これより前のコラムを見る▼ |