この原稿を書いている4月30日は、ガソリン税の暫定税率失効の最終日である。いつもは空いている近所のガソリンスタンドにも長蛇の列ができており、それほど幅の広くない県道の両サイドに車が並んでいた。そのため、通過したいだけの車が通れず、一車線分の隙間を譲りあって車が走行していた。列の最後尾は交差点だ。その列に並びたい車は仕方なく住宅地の横道にそれ、ぐるぐる走り回っていた。多くのドライバーが女性である。夫が仕事だからだろう。昨日の休日にも見たガソリンスタンドに並ぶ列の男率の高さに比べ、今日の平日は女率が高い。男は仕事だから……。
ところで、ゴールデンウィークの真ん中の平日を休める会社員という幸福な人たちが少なからずいる。そのため、幼稚園の送迎も普段より男率が高いし、平均年齢もぐっと若くなっている(いつもはおじいちゃんばかりだ)。休みだから送迎をできるというわけだ。幼稚園の開園時間が出社時間よりも遅いということが多々ある中で、普段からそのくらいは協力してくださいなんて言えはしない。たまに協力するなら、お弁当も作って持たせてくださいよ、と言ってみたいものだけど、どれだけの父親が休みだからといって弁当を作って送迎をするのだろう? 考えても仕方ないか……。
この幼稚園というところは、母親の出番がとても多いということに気が付いた。送迎しかり、お弁当の準備しかり、親子遠足、母親参観、母親でも可の父親参観、その他イベントへの参加。そして、保護者会に出席したところ、とあるイベントの手伝いの役はどうです? などと言われ、引き受けることにしたのだけれど、これがまた時間のかかる仕事で同じ係りの人との打ち合わせや準備などでかなり時間をとられそうなのだ。担任の先生も母親である私に依頼してきたのであり、そこに父親がやってくれますよねという意味は含まれていない。幼稚園の父親に対する考え方は、「運動会準備のお手伝い、父親で参加できる方がいらっしゃいましたらお願いします」という程度のものである。結局は母親ばかりが何かと関わらなければならず、幼稚園とは子供と母親のものなのだと憤慨した。すると、パートナーがどこから聞きつけたのか、全て給食で、母親の関与もほとんどなくてもよい幼稚園を見つけてきた。それは凄いと驚いたが、保育料と競争率のほうが予想以上に凄かった。母親の関与の具合は、お金の問題なのだろうかとさえ思えてくる。
それでも私立幼稚園は保育料以外に、毎月の給食費、教材費、プール教室費、などなど出費が予想以上にかさむ。そんな中、4歳児を保育園に預けた場合にかかる公立保育園の保育料といったら、私立のそれと比べたら同じくらいか、場合によっては安い。じゃあ、保育園に通ってくれたほうが自分も昼間に沢山働けるし、お金も貯まるし、とりあえず金銭的な心配からは少しだけ開放されるような気がする。実際に、公立保育園と私立幼稚園のふたつに入園の申請を出した人というのは多くて、4月までに仕事が見つかり、保育園にも入園できるとなれば幼稚園の入園をやめるようだ。気持ちは痛いほどわかる!
しかし、私が幼稚園への母親の関与や、金銭的な問題を考えていることに、先輩女性は小学校に上がったほうが負担が大きくなると言った。純粋に小学校への金銭的な負担は幼稚園よりも低いようだが、仕事をしていれば学童のお迎えの問題や、学童に通わない学年になったときの長期休暇の問題。それ以外でも放課後や、これまた長期休暇の過ごし方について悩むという。実際に小学生の子供をもつ女性が、子供の友達はみな習い事で忙しく、放課後の過ごし方について悩んでいるようで、結局は自分の子供にも習い事をさせて時間をつぶさせるか、自分が付き合うしかないと言っていた。お金の負担に耐えるか、自分が関与するかということらしい。
その一方で、女の子供ばかりを持つ自分の両親のことを考えると、これまた似たような悩みがある。両親は二人で遠方に暮らしており、後期高齢者医療制度の年金天引きが始まって、今後の不安が一層深刻になったと訴える。そこに今回の暫定税率の復活だ。食品も値上がりしている。だれか老後の面倒を見てくれなければ困ると訴える。だれかが戸籍を移動してくれなければ困ると訴える。だれかが同居してくれなくては困ると訴える。とりあえず経済的な援助をするか、いっそのこと両親の生活の中に入ってしまうか、それとも、そのどちらもするかという、子供との関わり以上にこちらは切羽詰った厳しい問題である。そして、これは女性の両親であるからというところが問題を複雑にしている。姉妹やそれぞれの夫、そして、その両親たちとの同意を必要とする壮大な問題である。もしこれが夫の両親との問題であるなら、女性の意志よりも男性側の意志に従うことが大半であろう。
女性は周囲の状況を見て、働いたり、関与したりする。男性の多くが自分の仕事にあわせて他者に関われるのに対し、女性にはそれが許されていないように思う。別に、自分らしく生きたいので自分の思い通りにやりたいと言っているわけじゃない。子供が大きくなることや、両親が年老いていくこと、それに加え、自分も年を重ねていくことが、これほどまでに他者との関わり方を変えてゆく必要に迫られることなのだと、そう感じ始めた。ただ、それだけのこと。