ある日の朝、インターホンが鳴った。モニターを見る限り、誰も見えないが念のため答えてみる。
「はい……。」
すると、小さな手が見えた。
「僕です! 遊びに来ました!」
彼は近所に住む男の子であるが、普段は保育園に通うため、会うことも少ないが、時折外遊びに加わることがあった。しかし、子供たちは好きなテレビ番組が一緒だとか、自転車が好きだとか、そういった共通の趣味で限られた短い時間を楽しく過ごしていた。けれど、次第に問題が起きた。母親がそれにいい顔をしないのだ。彼いわく、“必ずあとでお母さんに怒られる”。それが分かってからというもの、あまり会わないようにしたのだが、長くは続かず、こうして家を脱走してくるようになってしまった。
気になって彼に尋ねてみるが、ちゃんと報告してから来たと言うので、それ以上は何もいい出せなかった。しかし、数分後、母親が彼を迎えに来てしまった。すると彼は怒り出したのだった。
「僕は遊びたいの! 家なんか面白くないもん!」
彼の母親は毎日二人の子供を保育園に送り、仕事をしている。彼の兄が小学生になった今は、保育園に彼を迎えに行きつつ、学童保育へ兄を迎えにもいくというハードな生活を送っている。さらに、彼を通して分かったのだが、週に数回習い事にも行かせるということらしい。そんな母親だから、きっと幼稚園児をもつ専業主婦など嫌いなのだろうと、単に母親の立場の違いによるある種の嫌悪感があるのだろうと思っていた。習い事などさせないで、自由奔放に遊ばせているだけの母親など単に怠け者と思われているのかもしれないと。
一方的に引け目を感じてしまっていたが、つい最近彼の母親と話す機会があり、誤解が解けた。子供を預けた保育園が、時期のずれはあるが一緒だったこと。ただそれだけなのに、妙にお互いが少しだけ安心した。働く母親であったという共通点が和解のキーワードなんてちょと悲しいけれど。しかしながら、状況は好転したと思われた。朝、お互いの登園時間に会うことがあっても普通に挨拶できるようになったし、母親の彼女も無愛想ではなくなった。一件落着なのだ。数年後、同じ小学校に入学するだろう相手といがみ合っているなんてナンセンスなのだから。そう思ったのがわずか3週間前のことだった。
週末、彼と兄が訪ねてきた。いつものように親に報告してきたかを尋ねると、“お母さんは知っているから大丈夫”と言う。しばらく遊んでいると時間を気にしだした彼らが相談し始めた。
「そろそろ帰る?」
「じゃあ、ここに来たこと、お父さんには内緒だよ。」
「わかった。約束する。」
不思議に思って彼らに尋ねてみると、今は父親が遊ぶことや家の敷地内に足を踏み入れることを禁じているらしい。そして、この日のこの時間は父親が一人で出かけていたから家を出てくることができたというのだ。そして帰り際にこういい残した。
「絶対にお父さんには内緒にしておいてね。」
しかし、彼らの秘密の行動を父親は気付いていた。隠し事をしていることを察知していたのだ。その証拠に、父親は私と子供たちが目に入るといらついたように玄関の戸を音をたてながら家に入ったり、玄関先で喫煙した後、足でもみ消したかと思うとこちらに向かって吸殻を蹴り上げたりするようになったのだ。
彼の家で、彼らの行動を決めるのは、父親だということがよくわかった。彼らの話によると、両親共に働いている子供としか友達付き合いを許されていない。平日は習い事などで自分を磨き、週末は父親の趣味である野球を必ず応援させ、あとの時間は家族水入らずで過ごすことがよいということだった。しかし家の中での実際は、母親は家事で忙しく、父親はビデオなどを見てのんびり過ごす空間に兄弟の居場所はなく、自室にこもるのだそうだ。
彼らの気持ちは少し理解できる。自分の過去も同じような状況だったからだ。父親の判断で行動を制限され、友達を制限されるつらさを。加えて、父親が他の家の、特に母親の好き嫌いによる付き合いの制限が、どれだけ子供や母親の自由を奪ってしまうかを……。
ためしにこの状況をパートナーに相談してみた。すると、この父親がパートナーに対しての態度は以前と変わらないということがわかった。だとしたら、彼の不機嫌の原因は私と子供たちということになりそうだ。私は考えた。男同士では、家の代表として仕事をしているという共通点がある。だから他の家族の父親に対しては、好きだとか嫌いだとかという感情は生まれにくい。しかし、女の立場はいろいろだ。その立場の違いに対して評価が決まるとすれば、家の評価は女次第と言ってしまっても間違いではないように思えてくる。つらいことだけれど。
また週末がやってくる。父親の目を盗んで兄弟たちは訪ねてくるだろう。私はどう接すればよいのかと思う。いっそのこと、“もう来ないで”と言うべきか。それとも、“内緒にする。約束は守る”と言い続けるべきか。仮に“来ないで”と言えばこの兄弟を傷つけてしまうと同時に、自分の子供たちも傷つけてしまうだろう。親は子供の友達を選んで当然だし、家は対立してもよいものだと教えてしまうことになる。そして、この兄弟に対して、あなたのお父さんから嫌われているのを知っているのだと表明することに他ならない。そうすればこの子供たち全員には、悲しみや苦しみはもちろん、大人への不信感も残ることになってしまうのだろう。