かつて沖縄一の遊女といわれた上原栄子さんの自伝『辻の華』を読んでいたら、当時の避妊のエピソードを見つけた。おそらく大正から昭和初期のことだと思う。
「各楼には井戸があって、その水がそれぞれの子種を流す役目をしていたのです。昔、辻の道端に、細長く掘られた水路の溝は、各楼から出る排水が通っていましたので、大勢の殿方の子種が溝のなかを泳いでいたことになり、帰り道を急ぐ父親と対面していたかもしれません」(『辻の華 くるわのおんなたち』)
吉原では、サクサンやらホウサンやらなんとかカリウムやらの、得体の知れない溶液で洗浄していたらしい。
これらは洗浄法と呼ばれていたけれど、殺精子効果のあるとされる液体を用いていたので、洗浄法+殺精子剤の避妊ってことかしら。
洗浄法なんてそんなの戦前のハナシだろ、と思われるかもしれませんが、わたしが小学校から中学校にかけて愛読していた『ギャルズライフ』や明星の付録「LOVE&SEX」なんかには、「コーラで洗い流したら大丈夫って言われて・・・」みたいな体験談が繰り返し登場したもんです。それらの大部分が編集者の創作だったとしても、それなりに信憑性のあるネタだったということでしょう。
そもそも洗浄法は、バース・コントロール技術の黎明期においては、かなり「正しい」避妊法だったようだ。荻野美穂さんの『生殖の政治学』によると、アメリカで1832年に発売された『哲学の果実』では、カリ明礬や酢、重曹などの溶液で、性交後5分以内に2〜3回洗浄することが奨励されていたし、1887年にイギリスで出版された『妻の手引』でも、洗浄駅に酢を入れる方法が紹介されていた。
マーガレット・サンガーが1914年に配布したパンフレット『家族制限』では、安全期の利用と膣外射精(これには否定的だった)、洗浄、コンドーム、ペッサリー、スポンジまたは綿花の詰めもの、膣座薬などの避妊法が紹介され、注水器などの図も添えられていたという。『生殖の政治学』はとっても面白いので、ぜひぜひ読んでみてね。
さて、時代はぐっとくだって『微笑』の1973年4月14日号。「完全な洗滌法 ビデの使い方など緊急事後避妊術のすべて」という特集記事も、医学博士のお墨付きだ。ビデに関する問い合わせ先として「東陶・ビデ係」が紹介されていたり、黒柳徹子の「ビデとわたし」なんて囲みコラムも盛り込まれて、とっても多彩な誌面展開。黒柳さんいわく、避妊とかセックスに結び付けられちゃうと抵抗があるけれど、女性自身を清潔にする心がけは当然のこと、だそうです。
その他にも、発泡性の飲料水(よく振ってから膣にあてる)、マヨネーズの袋(うひー)なんて方法もあった。
1974年の12月9日号には、「もう中絶は必要ない! セックス後できる避妊法」が登場。
「セックス後にできる避妊法なんて、まさか! だが、そのまさかが実現したのである」
それは、「扁桃腺などに塗るルゴール液を、ほんの少量、子宮口に塗るだけ」。事後避妊ができるのは「ルゴール液によって、子宮内の環境を悪くし、受精卵の着床を妨害したり、着床した受精卵が発育できないようになるからです」
岡山大学医学部産婦人科教室の共同研究グループによって開発されたそうです。
1977年8月27日号は、「私はこうして緊急避妊に成功!」という大特集。ただしここでいう緊急避妊とは、むしろ「丸腰でセックスに挑んだときの、とっさの避妊」というかんじ。レモンを輪切りにしてペッサリーがわりにしましたとか、やっぱり、清涼飲料水も大活躍。
梅干の汁で膣のなかを拭くとか、ヨードチンキを子宮口に塗るとか、素朴すぎる前近代の避妊法をあれこれ読んでいると、ついつい、あー、わたしはいい時代に生まれたんだなあー、みたいな気分になってしまう。
でも、わたしたちに与えられた選択肢は、ゲノムだのクローンだのと同時代とは思えないほどショボい。梅干よりはマシっていう程度だ。
それどころか、ピルやインプラント、注射法など「近代的」とされる避妊法ほど、ますます女性だけが割を食う仕組みになっているからタチが悪い。復元可能なパイプカットの技術がそれほど高度であるはずがないし、男性用ピル実用化だって、やる気になれば明日にでも可能でしょうが!
緊急避妊ピルを手にしたわたしたちは、100年後、どんなふうに語られているんだろう。女性だけがそんなものを飲まされていたなんて、と哀れんでもらえるかしら。 |
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