緊急避妊は、中絶を回避するための手段だといわれている。少なくとも「わたしたち」は、そう信じている。
たとえば、「若者の性と緊急避妊」(北村邦夫 現代性教育月報 2001年11月号)では、まず「20歳未満の中絶数が急増」という小見出しから始まる。若年層の中絶が急増していることが指摘され、そこで「ここでは、望まない妊娠防止策として、世界が注目している緊急避妊法について紹介したい」「彼らがEC(緊急避妊)を適切に使用できたときには、わが国の望まない妊娠を劇的に現象させることも夢とはいえない」と続く。
また、性と健康を考える女性専門家の会ニュースレター2002年9月号では、「緊急避妊法の現状」という記事が掲載されているが、こちらでも「日本では1996年以降10代の人工妊娠中絶件数が上昇を続けており、また、既婚女性の4人に1人が人工妊娠中絶を経験している。日本の女性の健康はまさに危機的な状況にある」にもかかわらず緊急避妊に対する取り組みが遅れているとある。
望まない妊娠とその結果による中絶を予防するための、緊急避妊法。ここで共有されているのは「中絶」よりも「緊急避妊」のほうが望ましい手段であるという前提だ。アタリマエすぎて、誰もそんなこと疑わない。
「中絶」と「緊急避妊」は、どれくらい違うんだろう。または、どれくらい違わないんだろう。
『避妊ガイドブック』(文光堂 1999年)は、現在日本で手に入る避妊ガイドとしては最も詳細で信頼できるものだと思うけれど、緊急避妊薬の作用機序については、こう記されている。
作用機序は正確には解明されていないが、この治療は着床や胚の生存を妨げると信じられている。
前述の「緊急避妊法の現状」ではもう少し詳しく紹介されている。
ECP(緊急避妊ピル)の正確な作用機序は未だ明らかではないが、卵胞に関しては卵胞の成熟の阻止、排卵の阻止、適正な黄体形成の阻止等、また、子宮内膜に関しては、分泌期内膜の過度の促進、着床内膜の不適正化をもたらすと考えられている。
つまり、緊急避妊薬の作用のなかには、受精卵の着床を妨げたり、受精後の胚の生存を阻害する働きがあるということだ。
この作用を見逃さないのが、中絶に反対するプロライフ派の人びとだ。カトリック原理主義者は「反中絶」どころか「反避妊」を掲げていたりするけれど、ここで注目したいのはそんな禁欲主義的な主張ではない。
「ヒトは受精した瞬間からヒトである」という主張がプロライフ派の基本的な立場だとすると、緊急避妊も<殺人>の仲間ということになる。あるプロライフのサイトでは、「モーニング・アフター・ピルとは、すでに始まった命を終わらせる方法」ときっぱり記されていた。つまり、緊急避妊=中絶=殺人ということだ。
アメリカなどの資料やサイトを見ていると、「緊急避妊は中絶なの?」「いいえ、緊急避妊は中絶ではありません」なんてことが、くどくどと書かれている。ことさらに弁明しなければならないほど、この問いはなじみ深いものだということだろうし、警戒されているということだろう。
他方日本では、「緊急避妊は中絶か」なんて議論は、少なくとも表向きは、見たことも聞いたこともない。議論が行われない代わりに、こんな風に語られていたりする。「受精した卵は、もうすでにあなたの赤ちゃんなのよ。胚を構成している細胞には、あなたとカレの遺伝的情報が含まれているのよ。愛しいわが子を殺すのですか? なぜそんな残酷なことができるのですか?」とね。
中絶を「子殺し」とするまなざしは根深すぎて、すでに問答無用、議論の余地などない。中絶に反対するわけじゃないけれど、望ましいことではないわよね、という言葉には、反省しろ、痛みを感じろ、罪の重さを思い知れというメッセージが織り込まれていたりする。そのまなざしが、緊急避妊にまで及ぶ日が来ないとはいえない。
緊急避妊と中絶の境界線は、たぶんわたしたちが信じている以上に、曖昧なものだ。考えれば考えるほど、本当に、曖昧だと思う。 |
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