この週末、「HOW TO CHUZETSU」という短い文章を見つけた。ウルフの会という、アメリカのリブ文献を翻訳していたグループが発行していた、「女から女たちへ」という会報の第2号に収録されている。発表されたのは1972年。自分の中絶体験をもとにそれを綴っているのは、村上節子さんというリブの女性だ。
村上さんは、あるテレビ局のアナウンサーだったそうだ。当時のアナウンサーのなかで、結婚第1号、産休第1号、休暇を取って1975年の国際婦人年のメキシコ会議に参加。「容姿と声が衰えた」ことを理由に配置転換を命じられたときには、東京地裁に取り消しの仮処分を申請、「元美貌アナの配転裁判」として名を残す。「なにをおいてもパイオニアのリブ」と呼ばれた、輝かしい、リブ。
72年の「HOW TO CHUZETSU」も、どうやら実名で発表していたようだ。女子アナが、実名で、ハウ・トゥ・中絶。不倫の噂くらいで降板させられるような昨今の女子アナたちとは、時代が違うのか、そもそも根性の入り方が違うのか(おそらく両方だ)私にはわからないけれど、ラブピースクラブからもほど近い麹町を、そんなリブたちが闊歩していた時代があったんですね。
「人並の避妊知識はあった。いや少し詳しく知っている部類に属しているかもしれない」という村上さんは、女児をひとり出産し、その数年後に「おっちょこちょいで早とちり」ゆえか2度目の妊娠、中絶を決める。
今の生まない選択とは、すべて子殺しであり、生きることとは子どもを殺すことで生きのびる自分を、ある子を殺しある子を生む女を、みずからみつめ続けることなのではないだろうか。
文字通りある子を生み、ある子を殺した村上さんは、こうして自分の選択と向き合って生きてきたのだろう。そしてまた、そんな村上さんを支えてきたリブの仲間たちの存在も、こんな一節からうかがい知ることができる。
自分で医者を選ぶ自信がなかったら、友人知人を総動員して知恵を借りることだ。話せやしないですって! 実はこれが一番、あなたを苦しめていることなのだ。中絶をインビにすることがあなたを最も傷つけている。身体をいとおしむ意味でも、友人の助けは貴重なのだ。
「HOW TO CHUZETSU」には、一方で「女が産みたいだけ産める世の中に憧れる」というメッセージもたっぷり盛り込まれていて(それはウルフの会が「生活を抱えた若くはない女たちのリブ」であり、子どもをもちながら働くメンバーが多かったこととも関係しているかもしれない)、わたしはまあそのへんは読み飛ばしてしまうのだけれど、本当にリブ的な、リブらしい、文章だと思う。
先週、バカなオヤジが「集団レイプは元気があっていい」と発言したらしい。「むしろ正常なんじゃないか」とも。そのオヤジに釈明の機会を与え、積極的に擁護していたのが、田原総一朗だった。
日曜日の朝、ぼんやりとテレビをつけていたら、デブの太田なにがしの笑顔とともに、田原の声が聞こえてきた。女性たちはみんなカンカンなんだ、この番組で太田さんに釈明してもらうことについて、ぼくの妻も反対でね。
そうだろう、そうだろう。強硬に反対していたという「妻」こそ、かつてのリブ、村上さんなんだもの。
村上節子さんが田原節子さんになるまでの経緯は、今年1月に出版された『私たちの愛』でたっぷり紹介されている。乳がんで、再発していて、病状は思わしくないことも伝えられている。
村上さんがお元気なら、ほんの少しでいいから、お話ししてみたいと思う。リブの話を聞きたい。オンナたちの話を聞きたい。村上さんが夢見ていた「リブビル」の構想も聞いてみたい。まさに「中年リブ」にふさわしい年頃のわたしたちに、村上さんは何を語ってくれるだろう?
それから、まったく村上さん、どうしてあんなチンコオヤジと結婚しちゃったんですかー、と尋ねてみたい。ホントよねえ、やんなっちゃうわ、と笑ってくれるだろうか。今回のことも、しっかりお灸を据えてやってくださいと念を押しておこう。
そして、夫の原稿の校正など今すぐ放り出して、あなたこそ書くべきなのだと伝えよう。わたしたちは村上節子の文章を待っているのだと、そう伝えよう。
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